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『市民のための世界史』合評会シリーズ最終回(編集済み)

昨日の阪大歴教研は、『市民のための世界史』合評会シリーズ最終回で、読書会で読んでくれた大阪の高校のベテランの先生3人による、章ごとの記述、課題やコラムに対する、高校の教室で使えるかどうかという観点を中心にした細かく辛口な批評。

編集の雑なところがまだこんなに残っていたかと呆れるが、同時に「歴教研に来たことのない先生はみんな同じところでひっかかるんだな」という点もたくさんあったし(そういう点について、先に手を回してこれまでの議論を知らせておかなかったのはこちらの手落ち)、「高校の教室での世界史教科書の読み方・使い方がこんなにガラパゴス化しているか」と思わざるを得ない点も少なくなかった。

上から目線でそれをやっつけるというのはとてもまずいのだが、昨日の会で時間の都合で説明をできなかった部分にも、説明・釈明しておくべき点はあるだろう。
たとえば「用語の暗記と概念の暗記」という論点については昨日参加されたどなたかがFBに書いておられるのを今朝移動中に見て、あとでコメントを書こうと思っていたのだが、どなただかわからなくなってしまったので、一部は別にブログにでも私見を書かせてもらおう。

ただ先に1件だけ、
高校歴史教育には言葉使いや用語の統一性にものすごくこだわるところがある(ただし、失礼ながら多くの場合はそれに必要な言語表現に関する素養を欠いたままで)。昨日も「」の使用の意図などについてずいぶん厳しく追及された。ただし用語・事項をカッコに入れる理由は「いわゆる(=自分はこの呼び方に賛成ではないが)」の意味だけだという前提は正しくない。
「いわゆる」には「史料でそう呼んでいる」「逆にこれは史料用語でなく学者の用語である」などいくつかのパターンがある。またカッコがゴチと共通の役割をしているケースがあるのには気づかれた先生がおられたが、だったら同じ用語がカッコつきで書かれているところとそうでないところがあるのも理解できるはずだ。ゴチの用語は本文中のすべての箇所でゴチにするというわけではないだろう。またカッコにはルビと似た機能もある。「読者が普通は知らない言葉・概念」に付けるのである。ルビも初出箇所だけ振るのが普通だろう。

一般論として、「同じ言葉でも時代や文脈によって意味が変わる」「逆に同じ内容を時代や文脈によって違う言葉であらわすことがある」ということを理解させるのは、歴史教育の目標のひとつではないだろうか。
だとすればすべての用語を厳密な定義にもとづいて全巻同じ意味・用法で使うというのは矛盾ではないか? 
それが必要なのは、単語の暗記が絶対的な意味を持つ現行スタイルの入試だけだろう。
違う言い方をすると、高卒で社会に出ようが大学に入ろうが、他人が書いた文書を読んで自分で考えたり仕事をすることと無縁では生きられないだろう。
そこですべての用語を厳密な定義にもとづいて全編同じ意味・表記で使ってないと意味がとれないような若者がやっていけるだろうか。もちろん程度問題だが、ある程度の言葉の揺れなどに馴らしておかないと、その知識は実社会では役に立たないはずだ。

今、高校でも大学でも「その教育でどういう力を付けさせることを目ざすのか」の明確化が求められている。そのときに「完璧に統一された条件下だけで発揮できる力を目ざす」(失礼だが別名温室栽培)ではダメだろう。
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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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