スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

西洋中心史観批判のワナ

(前の記事からつづく)
「アンチ巨人は巨人ファンの一種」とよく言ったものだ。しょせん巨人の手のひらの上で踊るだけだからである。
「オリエンタリズム」のサイードも、裏返しの「オクシデンタリズム」ではだめだと警告していた。

東洋史学者である私が以前から再々問題にしているのは、「西洋中心史観の裏返しとしてのアジアの特定地域(たいてい自分が研究する地域)中心主義」である。中国中心主義、中央ユーラシア中心主義、(西アジアの)イスラーム中心主義などいろいろあるが、共通するのは、アジアの他地域とのきちんとした比較なしに自地域をある時期の世界の中心と主張すること、それに東南アジア、アフリカなど中心性をもたない(大文明を形成しなかった)地域を頭から軽視することである。これでは、西洋中心史観に対抗すべき非西洋世界が分裂してしまう。

少し違うのだが、今回のPalat先生の「無条件にインドと中国をアジアの代表として扱い、なぜヨーロッパは資本主義化したのにインド・中国はできなかったかを論じる」という方法も、私にはヨーロッパ中心主義、アジア内での特定地域中心主義の両方を再生産するものに感じられた。Palat先生はヨーロッパ例外主義(ヨーロッパ中心主義)が世界史的普遍性を主張する(アジア特定地域中心主義はそうではない)とコメントしたが、私の意見では、アジア特定地域中心主義の克服は、西洋中心史観に本当に立ち向かうための必要条件である。

こういう問題がおこりがちなのは、さまざまな方法論や地域の研究を統合しなければならないグローバルヒストリーの難しさにもよる。今回の研究会でもそれが露呈するケースがあった。

第一に歴史社会学、経済史、国際政治学、歴史学などの方法論の間のギャップが問題になる。
たとえばリーバーマンは、著書のあらゆる章で「国家単位での政治=文化統合」が主題だと繰り返しているのだが、(なまじ経済のトレンドを組み込んだばかりに?)今回の研究会でも「資本主義化を論じていない」といった批判を浴びた。「近代国民国家の基礎となる中規模の政治=文化統合の成立過程の研究」(それが国民国家史観が前提にしてきたような「内発的・必然的」に成立したものではなく、「違った者になっていた可能性」が常にあったことを明示する)という歴史学者リーバーマンの目的は、あまり理解されていないように思われる。

またウオーラーステイン以後、近代を論じる諸学も近世までを視野に入れるのが当然になったが、その「近代の前提として近世を見る」方法は、中世や近世の変動そのものに意味を見出す歴史学(前近代史)の方法と同じではない。その差はたとえば、いずれにせよヨーロッパとアジアの間での巨大な分水嶺になった18世紀の理解において、システムや構造の変化に注意を集中する諸学と、「それがなぜ18世紀におこったか」に強い関心をもつ歴史学との違いとしてあらわれる。

第二に言うまでもなく、世界各地域の歴史をすべて高いレベルで統合することの困難である。
今回のPalat先生はたとえば、農耕社会から見た遊牧民を軍事的脅威(用心棒にもなりうる)、軍馬の供給者としてのみ扱ったが、リーバーマンがある程度おこなったように、遊牧国家(そこにいるのは遊牧民だけでない。オアシシスの商業ネットワークとの共生は遊牧国家成立に必須の要素である)がもつ広大な多元社会を統治するノウハウを見ないのは古い。
ただし中央ユーラシア史研究者は、Palat先生がそうしたノウハウを遊牧国家のものでなく北アフリカからインドに連なる乾燥地帯(の農耕国家)の財産としている点に注意する必要がある。どこが古いかと言えば大文明や世界帝国は西アジアがいちばん古い以上、中央ユーラシア史においても、そちらとの連続性やそこからの影響を無視するわけにはいかないだろう。別言すれば、Palat先生がモンゴルなどの北の遊牧民(大農耕社会との空間的区別が明瞭)と、北アフリカ~インドの南の遊牧民(農耕社会と入り組んで存在)のありかたを区別していた点は傾聴に値する。

また、近代の側からだけ中国を見る研究者は、中華帝国を漢民族だけのものと見るコンヴェンショナルな通念から抜け出せない場合が多いように思われる。遊牧民やオアシス民との「共有財産」である「大きい中華」と、漢民族が圧倒的中心となる「小さい中華」が交互にあらわれたという中国史の新しい常識は、国際政治学だけでなく経済史にとっても必要なものだと思うのだが。

日本や東南アジアがよく理解されていないグローバルヒストリーの議論は枚挙にいとまない。
Palat先生は稲作を勤勉革命のみに向かう(そして勤勉革命からは資本主義は発生しないとする。他方稲作が「インヴォリューション」に向かう可能性は論じなかった)と説いたが、資本主義の定義も稲作の理解も古い気がした。

最後は毎度同じ結論になってしまうのだが、「各ディシプリン・地域の専門家が学際的に協力する」だけでは、こうした事態の克服は永遠に不可能である。あいだをつなぐ「インターフェイス」や「通訳・翻訳者」の養成が必要である。
関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
アクセス・カウンター
あなたは
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。