今後の日本での歴史家の仕事

先日北條勝貴さんが下のように書かれたのFBでシェアしたが、あらためてこの話を引用しておきたい。
われわれ日本の歴史家は、こういう態度で殺される覚悟を決めるか、それとも御用学者のふりをしてこっそり権力者を出し抜く巧妙な議論を展開するか、それともなにもなかったことにして「考証」に没頭するか、どれでいくのかの選択を今や迫られている。隣国の学者たちと同じように。

この事態はわれわれ歴史学者にとって、まさに『春秋左氏伝』襄公二十五年条の出来事と同じだ。斉の宰相崔杼は、私的な怨みから主君の荘公を謀略によって殺すが、斉の大史はこの出来事を「崔杼弑其君」と記す。後世に汚名の残ることを怖れた崔杼はこの史官をも殺すが、今度はその弟、またその弟が出て、兄が殺される度に同じ文章を記し続ける。崔杼も諦め、歴史の記録は定まった。また、南方の史官が大史兄弟の処刑を知り、「崔杼弑其君」と書いた竹簡を持って駆け付けるが、すでに記録が定まったと聞いて帰途に着いたという。何という凄まじい、事実を残すことへの執念だろうか。中国王朝の「正史」はとかく政治的に歪められているとの通念があるが、本来の史官は、王朝や諸侯の価値観から独立して、自らを天と結びつけ、客観性と自律性を確保していた(といわれる)。もちろん理想像には違いないが、歴史学者が、肝に銘じなければならないエピソードである。
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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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