英語で話す

いつも偉そうにいうほど、私の英語は立派でもなんでもないが、とにかく専門の話であれば、顔色を変えず、途切れずに話すことはできるようになった。昨日のスン・ライチェンさんのセミナーに来てくれた東洋史や日本史の仲間にも、ご同類が何人かいた。

もちろん文法や発音は大事で、きちんとしないと肝腎の点が伝わらないどころかとんでもない誤解をされることがある。
それでも大抵の日本人に必要なのは、恐れずにどんどんしゃべって、不正確でもいいから途切れずに会話が出来るようになることだろう。その経験を重ねなければ、それ以上先にはまず行かれない。

そして、その過程で生きるのは日本語で表現する訓練である。日本語だっていちばんぴったりの言葉が思い出せないことや、専門用語を使ってしまうと相手が理解できない場合などがあり、瞬間瞬間で判断しながら表現を使い分けなければならない。結局偉そうにいつもの話を繰り返すが、そのときに「This is a penを、どんなときでも”これはペンです”としか訳さないような日本語の言語生活をしている人は、言葉の勉強がうまくいかない」という教育を私は受けることが出来た。

ディスカッションで学生に発言させようとする際にライチェンさんが言っていたことのなかで、「おれだって最初から英語がうまかったわけではない。でもアメリカではだれもおれの英語を笑わなかった」というのが強く印象に残った。
すごくゆっくりしゃべるので、日本ではいらいらした相手に途中で話を遮られてしまうことも多かった私の父が、「アメリカではみんな自分の話を聞いてくれた」と再三言っていたのを思い出したからである。ああ、アメリカってやっぱりそうなんだ。
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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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