ユーラシア東部における戦争の時代(1550-1683年)

秋田さんのグローバルヒストリー・セミナーでスン・ライチェン氏の発表。休み時間なしでほぼ3時間ぶっ続け。諸事情で来日が決まったのが遅く、会の案内も直前だったのだが、全部で22人が参加して、大いに盛り上がった。院生も含めて大勢が(全員がうまいわけではないがみんな英語で、うまく言えないところは誰かが助け船を出すかたちで)積極的に発言したのがよかった。
 発表のトピックは、かれの大きな枠組みである1550-1683年の東部ユーラシアを戦争の時代、火器の時代ととらえる枠組みの一部で、兵書(軍事技術の本)の大量生産と国境を越えた普及を、中国や日本、東南アジアの例を中心に論ずるものだった。
 日本史の専門家からは江戸時代のとらえ方についていろいろ異論が出ていたが、私が面白かったのは、北虜南倭の時代の中国での兵書の大量生産や秀吉の侵攻に直面した朝鮮でのその受容といった戦争そのものによる兵法の理論化、書物の生産とは別に、「戦争が終わってから戦争を振り返って本を出したり軍事理論を作る」という共通の動きが、戦争の時代がピークを過ぎた17世紀後半から出てくるというライチェン氏の指摘だった。江戸時代の軍学者の五代流派はそういうものとして、1680年代に成立するのだそうだ。それは当然、そういう時期になって孫子の兵法を重視するといった非実用的な面を持つし、また実際の戦争のあり方をゆがめて歴史を創造する面があるが、それでもそれは戦争の時代の産物だというわけである。日本の場合はそれが武士道の形成などとも結びついたのだろう。
 関連して興味深かったのが、北部ベトナムでもやはり、壮烈な内戦が終わった1670年代以降に、兵法書の出版を含めていろんな文化や技術の再構成・テクスト化が行われたことである(風水について論文を書いたことがあるが、仏教もそうだし多分もっといろんな分野で証拠が見つかるだろう)。そこに戦争に関する占いの本がたくさんあるのは日本と違う、日本ではむしろ戦国時代に占いが盛んになって、17世紀後半以降は「占いを否定したもっと科学的な兵法」が主張されるので、そこがベトナムと違う、と中村翼君が教えてくれたが、戦争を考えなくてよくなった(逆に言うと戦争で手柄を立てて出世することが不可能になった)時代に、軍事理論や軍事技術を含む多くの分野で理論化の(およびそれを「口伝えの秘伝」ではなくむしろ「流派ごとの教育商品」にする)動きが出てくるという点で、日本と北部ベトナムに共通のトレンドが見られたように思われる。これは私自身にとって、面白い気づきだった。
 なお、日本の軍学の担い手について質問があったが、ひとつのポイントは「徳川の平和」(1683年までは、国内は平和でも支配者や知識人は明清交代期の中国の軍事情勢に強い関心をもっているが、それが1683年に変わる)は、大量の浪人や、仕官はしていても戦争で出世する見込みのない武士たちを生み出したことだろう。鎖国前はその一部が東南アジアに渡って傭兵になったが、そういう可能性が消えた17世紀後半には(復明勢力の求援に応えなかった幕府の「決められない仕組み」の結果)、国内で武技や軍事理論を商品化するしか生きる道のない武士が、大量に生み出されたのだと想像される。
 一方的にしゃべるのでなく議論を喚起しようというライチェン氏の姿勢と、山内さん、中島楽章さんの積極的なコメントもあって、ほかにもいろいろ面白い論点が出ていた。収穫の多い会だった。皆さんに感謝。
 そうそう、飲み会も盛り上がったが、今日は実に珍しく朝から夜まで、スイーツと呼べるものを一口も食べなかったw
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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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