堺市博物館企画展「タイの古陶磁III」
「堺環濠遺跡」からタイやベトナムの陶磁器、ベトナム銭などが出土することは、その筋ではよく知られていた。
海域アジア史の重要な物証である。
見逃せないのは、チャンパー陶器の出土品が初めて展示されること。
17世紀初頭の中部ベトナムというと、日本ではホイアンとの貿易ばかり注目されるが、14世紀以来のチャンパー陶磁器の主産地ゴーサイン窯があった現在のビンディン省(クイニョンという港町が有名)も古くからの貿易中心であり、日本人が直接渡航したかどうかはわからないにせよ、華人ネットワークを通じて日本と結びついていたことが疑う余地がない。その地域は1471年の黎聖宗の大遠征以来、ベトナム(大越)の支配下にあったとされるが、その支配のあり方や「ベトナム化」の進み具合はほとんどわかっていない。阮氏支配下で中南部(中部ベトナムの南半分)のベトナム化が大幅に進展するのは17世紀末以降のことと思われ、それ以前は少数のベト人支配者が華人やチャム人をゆるやかに支配するだけだったと想像されるが、陶磁器のような最初から輸出商品として生産された品物の場合、作っていたのが地元の人間だったかどうかはわからない。
海域アジア史の重要な物証である。


見逃せないのは、チャンパー陶器の出土品が初めて展示されること。


17世紀初頭の中部ベトナムというと、日本ではホイアンとの貿易ばかり注目されるが、14世紀以来のチャンパー陶磁器の主産地ゴーサイン窯があった現在のビンディン省(クイニョンという港町が有名)も古くからの貿易中心であり、日本人が直接渡航したかどうかはわからないにせよ、華人ネットワークを通じて日本と結びついていたことが疑う余地がない。その地域は1471年の黎聖宗の大遠征以来、ベトナム(大越)の支配下にあったとされるが、その支配のあり方や「ベトナム化」の進み具合はほとんどわかっていない。阮氏支配下で中南部(中部ベトナムの南半分)のベトナム化が大幅に進展するのは17世紀末以降のことと思われ、それ以前は少数のベト人支配者が華人やチャム人をゆるやかに支配するだけだったと想像されるが、陶磁器のような最初から輸出商品として生産された品物の場合、作っていたのが地元の人間だったかどうかはわからない。
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堺市博物館 その2
堺市博物館は、このブログを始めてすぐの頃に記事にしました。
どんなブログにするか、まだ試行錯誤の段階だったので、非常にあっさりした記事になりました。
今回再訪したので、写真を増やし、内容がよくわかるような記事を書きたいと思います。
堺市博物館では、堺の古代から近代にかけての歩みを、多くの展示物で紹介しています。
特に仁徳天皇陵は有名で、百舌鳥・古市古墳群として、世界遺産に...