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神戸大付属の「地理基礎」「歴史基礎」公開研究会

今日は神戸大付属の「地理基礎」「歴史基礎」の公開研究会。話題になっているだけあって最初の予定の教室を大きなホールに変えたがそれでも満杯。見学者が100人ぐらい来ていた。油井先生や東京外大の先生方、東大の杉山清彦さんなど、知っている人もおおぜいいた。

授業は、「地理基礎」「歴史基礎」の順で行われた。地理基礎は、「風の谷のナウシカ」の「風の谷」はどこと考えられるか、作品中の自然環境や人間の描写から推測しようというもので、とても面白かった。もちろん「正解」はないのだが、ブドウが生える西岸海洋性気候ないしそれに類する気候、ヨーロッパ風の城や人の姿などで、多くの班が南欧からアナトリア、中東あたりに矢印をつけており、宮崎駿の書いた物では黒海に近いところだということだが、ストーリーは旧ユーゴの解体も踏まえているそうだ。

ちなみに討論ネタとしては、これをアメリカ大陸にもっていく議論もムリヤリにできないか、というのを一度大学でやってみたい気がする。理由の第一は「風の谷。。。」というタイトルの、アメリカ映画の名作「わが谷は緑なりき」との関係ありやなしやという点(だれか、無関係ということをご存じの方がおられたらお知らせ下さい)。「わが谷は。。。」も産業文明の問題が背景にあったはずだ。第二は、ヨーロッパ風の城などを除けば自然条件はカリフォルニアなどでも同じだということ(これまた産業文明の行きづまりを描くのに悪い場所ではないだろう)。第三は突飛だが、「風の谷」に描かれた砂漠からの連想。産業文明ではないが、カリフォルニアを含むアメリカ大陸の中部・西部は、中世温暖化による干ばつで農業社会が大きな被害を受け、それが先住民社会の衰退につながったとされる地域である(と教わった)。

もう1つ思いついた討論ネタは歴史的なもの。「ファン投票」では「風の谷」の候補地として、イスケンデルンという場所が第一位だとか。イスケンデルンとはどういう地名か、そういう古代都市が立地しえたような場所に、なぜ産業文明崩壊後の「風の谷」がそこに生き残りうるのかという問題である。産業と生態を考える宮崎駿なら考えそうな気もするのだが、皆さんならどう答えますか?

つぎに「歴史基礎」の授業は、通常日本国内だけのストーリーとして語られている高度成長を冷戦期の世界の中に位置づけさせようというテーマだったが、若い先生がやったので、見学している「高度成長を同時代として生きた」先生たち(私も)からみると、取り上げるエピソードやモノなどについてツッコミどころの多い内容だったのは、担当の先生の不運だったか。

冷戦構造のなかでの西ドイツの経済成長との比較が柱で、アメリカの支援のような共通性と労働力構造の違い(日本の集団就職、西ドイツの東欧難民+南欧・中東移民)などに着目させようとしたのはよいが、現代につながる問題としては、為替レートの効果は必須だろう。それと「三種の神器」などは定番として取り上げられていたが、「日本人が海外へ行けるようになった時代(観光と企業進出の両方)」ということもぜひとも取り上げて欲しかった。今日につながっていることである。私がこの問題の入り口によく使うネタは、戦前日本の最大の貿易相手(投資先でもあった)だった中国が高度成長の相手としてはほとんど無に等しい存在になっていた点を考えさせること(巨大輸出先だったインドとの貿易も細っている)。そのかわりにどこに日本企業は進出したか? 海外旅行(これも戦前は朝鮮・台湾を別とすれば満洲を含む中国が多かった)はどこに行ったか? ちなみに、日本の高度経済成長に関する生徒の事前アンケートが参観者向け資料で紹介されていたが、高度成長の原因も成長による社会変化も、海外旅行とか企業進出にふれたものは皆無だった。これは中学教育に対しても疑問を呈さねばならない。いろいろ盛りだくさんにしすぎないために削って良い問題ではない。

最後に授業をめぐる討議。
土曜日の東大シンポで『市民のための世界史』最終章の歴史研究の方法のところに言及してもらってうれしかったのだが、それと近い問題を、「歴史的思考力の育成」や、地理基礎(空間認識の育成)との対比で出てくるべき「時間認識の育成」に関連して、授業後の討議で発言させてもらった。そのまえに「近現代中心にするなら、そこは歴史学の専売特許でなく政治学・経済学国際・関係論なども研究するので、それらとの違いを出さねばならない」という高橋昌明先生の発言があったのとも関係するのだが、やはり「時間や時代とはなにか」という問題を歴史基礎の内容に組み込むべきだということである。たとえば歴史の教科書は時代を区切って論述する。それはなぜなのか、またどういう視角や基準によって時代は区切られているか、高校生もよく知っている時代を例にして討論させることはそんなに難しくないはずだ。もうひとつ、先日ブログで紹介した新聞記事の「今の教科書は鎌倉幕府の成立を「いいくにつくる(1192年)」とは書いていないという例がある。代わりに1185年、1180年、1183年などいくつかの例があるわけだが、それの論拠を高校生向けに説明して、それぞれの視角や基準の違いを討論させることは、これもそんなに難しいとは思われない。そこから出てくるのは、歴史の説明(解釈)に見られる論理のパターンである。同じ事象をみても学問が違えば別の論理(約束事)によって説明する。これはそこに導く材料になるだろう。実は拙著『わかる歴史・面白い歴史・役に立つ歴史』に書いたのだが、歴史叙述における5W1Hの説明の論理は、たとえば「報道」や「裁判における事実認定」の論理と同じではない。そのサワリを歴史基礎で取り上げておくことは、「歴史的思考力」の前提として重要だろう。

以下はいつもの悪口。歴史的思考力というと皆さんたいてい、どういう史料をどういうふうに読ませるかという話に集中する。今日もそうだった。それ自体は必要なことに違いないが、しかし遅塚忠躬先生の遺著となった『史学概論』に何が書いてあったか思いだしてほしい。歴史研究は事実立脚性と論理整合性を要すると書いてあったはずだ。「史料」の話と「概念の獲得」ぐらいで議論をおわらせ、どういう論理性を身につけさせるかを論じないのは絶対におかしい。

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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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