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「文化と政治」の観点から見た大阪の現状

もう先々週のことなのだが、CSCDの招聘教授をされている茶谷幸治さんのお話をうかがう機会があった。
「長崎さるく」など町歩きを中心としたコーディネーターとして活躍されている方だ。

今は大阪市に頼まれてこういうのを展開中とのこと。

大阪市に最初にまちづくりへの協力を頼まれて、「吉本・たこ焼き・タイガース」はやりませんと言ったうえで引き受けた、というところが痛快である。

突然脱線なのだが、現在の史学概論の必須マターに、文化が不可避に帯びる政治性、文化という場で実現される政治など、新しい文化のとらえ方がある。これを尖鋭に問題にしたのが、「カルチュラル・スタディ」という議論である(日本ではこれが嫌いで無視している歴史学者のほうが多いが、CSCDも含め「外の世界」では--それを絶対視するというのでなく基本的な視覚の一つとして--「当たり前」の議論である)。また、旧植民地を扱う「ポストコロニアル・スタディ」でも、植民地支配という政治と、当地の文化との相互作用が問題にされることが多い。

こうした考え方に立てば、「吉本・たこ焼き・タイガースこそが大阪だ」という発想は、吉本興業の創意や努力にもかかわらず、(1)経済の衰退を背景とした大阪文化の多様性の喪失、(2)マスコミの東京一極集中のもとで「東京が喜ぶもの」しか発信できなくなっている状況、などの産物にほかならない、ということになる。

またカルチュラル・スタディやポストコロニアル・スタディに従えば、支配者(この場合は東京)に都合のいい文化を被支配者が自分で内面化したときに、支配が成り立つ。それは圧倒的暴力で押しつけられる場合もなくはないが、力関係がすでに平等でない場合には、弱い側の「自主的選択や努力の積み重ね」が自分をそういう従属に追い込むという「悲しき悪循環」を通じて実現するほうが普通である。

「吉本・たこ焼き・タイガースこそが大阪だ」と大阪人自らが思っている現在の状況も、高度成長期以降の歴史のなかでそうして作られてきたものである。そこではたとえば、「南海ホークスの大阪」の歴史が忘れ去られている。

ただしカルチュラル・スタディやポストコロニアル・スタディは、従属する側が支配的な文化を利用しながら(演じながら)、それを突き破る(はみ出す、「悪用」する、改造する...)動きをいつのまにかおこない、ときには支配体制をひっくりかえしてしまうことさえあると教えている。大阪がそうなる日がくると信じたいが、それには「生き残りのために積極的にふたまたをかける商人のしたたかさ」が不可欠である。タイガースやタレント府知事への熱狂は、そういうそういうしたたかさとは対極にあり、自ら「悲しき悪循環」を驀進する道だと言わざるをえない。


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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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