センター入試世界史Bの出題ミス

「貞享暦は、中国の(ア)の時代に、(イ)によって作られた授時暦を改訂して、日本の実情に合うようにしたものである」という問題が2通りに答えられるというのが、毎日新聞では昨日の教育欄「記者ノート」(三木陽介記者)と、今朝の3面コラム「火論」(玉木研二専門編集委員)と続けて取り上げられてしまった。

どういう出題ミスかは、「記者ノート」に説明がある。(ア)は授時暦を作った時代というつもりで出題しており、それなら元代だが、しかし日本語の読点には--明示的にこれを認識している人はほとんど見かけないが--「直後の語句にかからないことを示す」機能もある。そちらに従えば「中国の(ア)の時代に」は「改訂して」もしくは「日本の実情に合うようにした」にかかることになる。それなら(ア)は、貞享年間(1684~88年)に相当する中国の時代、つまり清が正解になるというわけだ。改訂は日本で行われたのだから中国の時代を問うのは不自然だが、文法上「間違い」とはいえない。

三木記者は日本語の句読点の用法を中学や高校でしっかり教えるべきだという井上ひさしの説を引く一方で、この問題文はそもそも「中国の(ア)の時代に(イ)によって作られた授時暦を、日本の実情に合うように改訂したものが貞享暦である」とすればよかったと結ぶ。これも適切な提言だが、ここでは、私が何度となく問題にしてきた日本語教育の杜撰さのほうをあらためて強調したい。テンやマルの有無や位置によって文の意味が変わることは一般論としてはだれでも知っているはずだが、しかしそれを全然意識しない文が世の中に氾濫している。さきの特定秘密保護法の条文も、それでももめた部分があった。行政文書は「または」と「もしくは」の上下関係などははっきり規定しているが、句読点については何も考えていないと思われる。

日本語の読点の用法はもちろん、絶対的なものではない。しかし文章を書くことを仕事にするような人間は、「第一には文や語句を読む(本来は音読する)ときの区切り(やリズム)を示すもの」「直後の語句にかからないことを示すケースがある」などの基本は明示的に覚えておくべきではないか。そうすると、たとえばやたらに読点が多いと読みにくくてかなわないことに気づくはずだ。文頭の接続詞の後は機械的に読点を打つなどというやり方では上手な文章を書けないことなども、やがて気づくだろう。私は文章の性質や読者によっても、読点の使いどころと使用頻度を変えて書く(長い文章だと途中で調子が変わってしまったりはするが)。

物理や化学と数学は別の科目・別の学問だが、物理や化学を専攻する学生は、その基礎として数学を習っていないと話にならないということを認識しているだろう。ところが歴史学の学生や研究者で、歴史学の基礎として国語のしっかりした運用能力がないとだめなことを認識していない人がたくさんいるのは、学界や教育界でも問題にしなければいけないように思う。

「火論」のほうは、「いったいこの設問はどんな歴史理解や思考力を問おうとしているのか」と痛いところをついたうえで、現在政府が進めようとしている入試改革にもふれ、「今回の正解二つの「出題ミス」は示唆的だ。さあどうする、どう変える、やる気はあるのか、とシグナルを送っているか」と結ぶ。
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面白いブログでしたので、ここ3か月ほどかけて全部読みました。すごく勉強になります。
 
今回の記事、同感です。私はむやみに「正しい日本語」を強調するような態度は好きではないのですが、もう少し読む人のことを考えて書いてください、他人に読ませる前に推敲(=誤解している人が本当に多いのですが、推敲とは誤字脱字等のチェックという意味ではありません)くらいしてください、と言いたくなる文はよく見かけます。

中高生に文章教育をするべきということならば、それこそ世界史や現代社会でやれるのではないでしょうか。

暗記型の定期テストをやめて、高校生にも年間に5本くらい小論文やレポートを課せば、分かりやすい文章を書く力は相当つくはずです。論理的思考力も涵養されるでしょう。書くためには書く内容について知らなければいけないので、知識もつくでしょう。
ただし、以上のような効果を生むには、的確なフィードバックやリテイクの指示ができる教員が必要不可欠ですが。

先生にレポートを提出する前に、生徒同士で組んでお互いのレポートを読み合い、「編集者ごっこ」をするのも、相手に分かる=誤読されない文章を書くためのトレーニングとしては有効ではないかと思います。

 自分は高校教員でも教育学者でもないのですが、外側から見て思ったことを書かせていただきました。失礼や無理解がありましたら、ご勘弁ください。

(質問)
『ジェンダーから見た世界史』130ページにある「15世紀のチャンパー王がラキウの王女だったと伝えるテキストがある」というくだりは、チャンパー王の「嫁」が琉球の王女だったという意味でよろしいですか。

文の流れからそう判断した方が適切ですし、一応、先生の書かれた『チャンパ』(1999)にもあたってみましたら、15世紀チャンパー王ボー・クパーの嫁が琉球王女と書かれていました。なので多分この王女と同一人物だと思うのですが、この王女とは別人で、本当に琉球王女がチャンパーの女王になっている可能性も捨てきれません。同一人物であっても、夫の死後に女王になった可能性もあります。大学の先生にブログでお手軽に質問するような真似をして本当に申し訳ありませんが、よろしければお教えくださいませ。

チャンパに関する誤記のお詫び・訂正

えらい間違いを見つけていただき有り難うございます。『ジェンダーの世界史』は「チャンパー王の妻はラキウの王女だったと伝えるテキストがある」のつもりでした。校正刷りでこんな間違いを見逃す人間が日本語について偉そうなことを書くとは、「天に唾する所業」でしたね。深くお詫びして訂正させていただきます。



> 面白いブログでしたので、ここ3か月ほどかけて全部読みました。すごく勉強になります。
>  
> 今回の記事、同感です。私はむやみに「正しい日本語」を強調するような態度は好きではないのですが、もう少し読む人のことを考えて書いてください、他人に読ませる前に推敲(=誤解している人が本当に多いのですが、推敲とは誤字脱字等のチェックという意味ではありません)くらいしてください、と言いたくなる文はよく見かけます。
>
> 中高生に文章教育をするべきということならば、それこそ世界史や現代社会でやれるのではないでしょうか。
>
> 暗記型の定期テストをやめて、高校生にも年間に5本くらい小論文やレポートを課せば、分かりやすい文章を書く力は相当つくはずです。論理的思考力も涵養されるでしょう。書くためには書く内容について知らなければいけないので、知識もつくでしょう。
> ただし、以上のような効果を生むには、的確なフィードバックやリテイクの指示ができる教員が必要不可欠ですが。
>
> 先生にレポートを提出する前に、生徒同士で組んでお互いのレポートを読み合い、「編集者ごっこ」をするのも、相手に分かる=誤読されない文章を書くためのトレーニングとしては有効ではないかと思います。
>
>  自分は高校教員でも教育学者でもないのですが、外側から見て思ったことを書かせていただきました。失礼や無理解がありましたら、ご勘弁ください。
>
> (質問)
> 『ジェンダーから見た世界史』130ページにある「15世紀のチャンパー王がラキウの王女だったと伝えるテキストがある」というくだりは、チャンパー王の「嫁」が琉球の王女だったという意味でよろしいですか。
>
> 文の流れからそう判断した方が適切ですし、一応、先生の書かれた『チャンパ』(1999)にもあたってみましたら、15世紀チャンパー王ボー・クパーの嫁が琉球王女と書かれていました。なので多分この王女と同一人物だと思うのですが、この王女とは別人で、本当に琉球王女がチャンパーの女王になっている可能性も捨てきれません。同一人物であっても、夫の死後に女王になった可能性もあります。大学の先生にブログでお手軽に質問するような真似をして本当に申し訳ありませんが、よろしければお教えくださいませ。
プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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