理系から見た歴史教育

ご覧になった「友達」の方もおられるだろうが、1週間ほど前にFB上で、阪大の理系のS先生と論争をした。発端は例の「非常勤講師全裸事件」だったのだが、高校時代の歴史や古文にはいやな思い出しかなく、大学でも人文系の先生に知り合いもなく、税金を使って国立大学で人文学を研究する(=その分理系の研究費が減る)意義がわからないという先生と、人文系の存在形態・意義や理系に必要な歴史・人文学のあり方について、お互い直球を投げ合って、意味のある議論ができたと考えている。

>大学の理系教員は10年やっていれば、 ほぼ確実に 台湾と中国の問題、ユダヤとモスレムの問題を理解した上の 自分の業務上の正しいスタンスを決めなくてはならなくなる。 これは学生も同じ。 ここで両論併記の頭がないと 台湾の学生と 中国の留学生を同時に論文に入れるときとか、、、ユダヤ人のVIPの先生の対応の時の 雑談でのコメントとか、、、モスレムの学生さんやスタッフさんがいるときの対応とか、、、、 ここは、ビジネスに有利な自分の立場を作り上げるか、 あくまでも中立で行くか(ふれない これが古典的正解)、 自分の個人としての価値判断で 業務の損益を覚悟するか、、、、ここには 業務に合わせるならなおさら ぶれない適切な自分の世界観が 学生といえども必要。

CSCDがやっている高度教養教育の必要性を裏付けるご意見である。面白いのは「こういう部分で歴史には一定の意味があるが(また現代国語は絶対必要である。倫理もかなり役立っている)、古典についてはいっさい役立っていない」という考え方。理系の中でも古典が好きでそれは人間性を豊かにすると考える人もいるに違いないが、CSCDの授業でも似た意見を聞いたことがあり、古典への抵抗は歴史や社会科にタイするそれより一般的強いのかもしれない。

さて、「こういう知識を与える歴史教育は必要だが、そうでない歴史(たとえば前近代史)の教育・研究などは、税金を使わずに道楽でやってくれ」というこの先生のような考えは、理系(とくに医学系より理工系)では一般的なものだろう。これに対し、歴史研究・教育の側の態度は、まだまだ「歴史好きにしか通じない理屈と実践」に終始していないか。
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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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