阪神大震災20周年

書きそびれていたが阪神大震災20周年。
あの朝、私は仕事で東京にいた。
朝にTVを見る習慣のない私は(当時はスマホなどもあるわけがない)、何も知らずに仕事先の某センターに行って「お前のところは大丈夫か」と言われびっくり。すぐに家(当時、大阪の東淀川区に住んでいた)に電話したが、すでに電話がつながらなくなっている。夕方まで仕事をして東京駅に走ると、新幹線もダイヤは乱れているが、それでも夜遅くに新大阪まで帰ることができた。家の中もかなりぐしゃぐしゃだったが、幸い大きな被害はなく、赤ん坊たちも無事だった。

翌日おそるおそる大学に行ってみると、研究室(旧教養部の完成したばかりの建物にあり、まだましだった)の床は予想通り本棚から落ちた本がうずたかく積もっている。本を踏み分けて机にたどり着くと、机の上のパソコンがケーブルだけつながって床の上にぶら下がっていたのを思い出す。たしか本の整理はその日1日では終わらなかった。学内でも文学部の中はもっと大変だった。素早くどこからか角材をもってきて壊れかけの本棚を補修した学生運動世代の先生の話とか、生物学の建物ではホルマリンの瓶が割れて生物標本が床に流れ出したとか、いろんな話があった。直接の建物倒壊や火事以外に、ライフラインの大事さが認識されたのが阪神大震災だったが、大学近くのコンビニやスーパーでも生活用品が姿を消した。買ってきてくれと頼まれて十三や東淀川のスーパーを探した覚えがある。また大学では、院入試を予定通りやるかどうかが教務委員会で議論されたし、ずっと前に決まっていたトヨタ財団のチャンパ展も、実施するかどうかいっとき議論した。話はそれるが、神戸市長田区にたくさんのベトナム難民が住んでいるということが認識されたのも、阪神大震災がきっかけだった。

あれから20年。研究や教育の面で、自分はいったい何をしていたんだという自責の念は、ときどき頭をかすめる。


あれから20年。
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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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