宦官の歴史と現在の学校における性的少数者への向き合い方

土曜日の歴教研は、事務局の若手の発表。
最初の猪原君は中国宦官史と唐代の宦官の特徴について報告したが、前置きとして宦官を性的に「異常」な存在とし、その性的「異常」の結果として政治的にも必然的に悪者になると見なす従来の教育が、性的少数者を認めようとする現代社会にふさわしくないことを指摘した前置き部分が、高校の先生方にとても歓迎されていた。しかしそこで話題になったのが、中国の宦官に関する概説としていまだに広く読まれているのは、宦官への異常視・冷笑が全く疑われなかった1960年代の作品であること。いろいろな分野で、新しい歴史学が読みやすい概説を書けず、古い概説によって古い理解が再生産される現象が見られる。現代歴史学がその意味で、クラシックの延長上に出来て現代音楽、--理屈から見れば発展しているのだが、古典派やロマン派のようにわかりやすく快くないので、だれも聞こうと思わない-と同じ道をたどっていないか、反省が必要だといつも思う。

もう1本の報告は日本中世史の中村翼君。1980~90年代の海域史が「何をやっても面白く新しかった時代」が過ぎて、「一国視批判」を言っただけではでは「日本史学」全体を変えられない状況がはっきりしてきたと、現状をややクラく語る。グローバルヒストリーにも、いまだに一国史や国民国家史観を説得的に超えることさせすればよいという発想が見られるが、その段階はもう過ぎているということだ。「ジェンダー史のゲットー化」と言われる問題と同じく、海域史もグローバルヒストリーも、たしかに「どこにも居場所がない」状況から大きく前進し、一定の居場所を確保することおよび学界のマジョリティにもこれらの分野が無視できないとお題目としては広く認めさせることに成功したのだが、その先でマジョリティ自身の姿勢を変えるところには距離がある、「どうぞゲットーの中で皆さんだけで活動して下さい」という態度が強まりかねない、という状況である。さて、これをどう打破するか、飲み会でもいろいろな議論が出ていたが、簡単ではない。
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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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