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銅鼓の大群

ベトナムのドンソン文化のシンボルとして日本の世界史教科書でも知られた銅鼓の起源をめぐって、政治的な論争がある。ベトナム側は仏領期にドイツのヘーガーがおこなった分類によって最古の「I型」銅鼓が出土する北部ベトナムが起源としてきたが、中国では解放後に雲南の石寨山などで見つかったより古い銅鼓(プレ・ヘーガー型。小型で文様もない)を根拠に中国起源説を唱えてきた。これは明らかに中国側に分があるのだが、問題は銅鼓を生み出した紀元前の雲南や広西の社会を「中国の一部」と言えるかどうかという点で、そこについて中国側が国民国家史観にもとづく説明を強めるものだから、ベトナム側も意地になって銅鼓外来説を認めようとしないという悪循環が今日まで断ち切れないでいる。

こういう政治性を持つ銅鼓を、チワン族など土着民族社会のシンボルとして、広西のどの博物館にも展示してある。どの博物館にもある点はベトナム側も同じなのだが、いかんせん数が違う。またベトナム人研究者も認めているが、博物館の展示が中国の方がはるかに上手である。

以下は南寧市の広西民族博物館のもの。
DSC_8998以下の銅鼓写真はLUMIXで撮影したプレートと対応  DSC_8999b.jpg  DSC_9000b.jpg
DSC_9001b.jpg  DSC_9003b.jpg  DSC_9004b.jpg
DSC_9006b.jpg  DSC_9007b.jpg  DSC_9008b.jpg
DSC_9009b.jpg  DSC_9010b.jpg  DSC_9011b.jpg
DSC_9012b.jpg  DSC_9020b.jpg  DSC_9027b.jpg
DSC_9028b.jpg  DSC_9030b.jpg  DSC_9033b.jpg
DSC_9038b.jpg  DSC_9029b.jpg

昼から見学に行ったのだが、市の中心部をはさんで大学と反対側にあるうえ、地下鉄工事による渋滞プラス運ちゃんが道を知らなくて到着が遅れたため、民族展示と銅鼓の展示を駆け足で見るのが精一杯だったのは残念。
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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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