涼しかった西安

「暑い」「水質が硬水なので下痢をする」などさんざん脅されておそるおそる行った西安は、(洛陽が暑すぎたせいもあるが)涼しくて快適だった。8月17日から20日まで4日間の見学。
初日と4日目は、西北大学の王維坤先生がみずから案内してくださった。

まず東北の大明宮跡へ。ここは最近までスラムというか庶民の街だったのを立ち退かせて公園として整備した由(ガイドの張さんの家も、もともとこの敷地内にあったとか)。
南の丹鳳門が復元されている。内部は例によって遺構と写真などの展示。
DSC_3579大明宮の丹鳳門跡 DSC_3587門道にはやはり柱があるb

北へ含元殿遺址まで歩き、含元殿基壇(復元)とそのうしろの展示館を見学
DSC_3589儀仗兵の行進? DSC_3592b.jpg

午後は明清の城壁(唐の宮城・皇城をほぼ囲む)の南門へ。城門の張り出し(瓮門)が残っている。
DSC_3618もう一重のおう城があるb
ついで外城(京城)の南門である明徳門跡、京城東南隅の曲江池(復元)などに行く。
DSC_3646これは明徳門の柱配置の表示らしいb DSC_3647復元された曲江池b
曲江池は都城の西北隅より50メートルも海抜が高いところにあるのだが、国土を象徴する都城としては、中国の場合は「東南の海」を象徴する池がどうしても必要だった。こういう話を聞くと、東南アジアの王権となにが違うのかよくわからなくなる(1970^80年代に、官僚制で動く中国と違い、その種の象徴性が決定的なのが東南アジアの特徴だとよく言われたが)。

夜は王先生のご招待。15年物の西鳳酒という強い酒で何度も乾杯。しかしヨーグルトドリンクがあり、交互に飲んだのであまりひどく酔わずにすんだ。八尾さんは西鳳酒がすっかり気に入って帰りの北京でも探していた。
P1050039ヨーグルトと交互に飲むと酔いが防げる

18日は兵馬俑博物館、陜西省博物館、大慈恩寺(大雁塔)など。写真は大雁塔の上層から見下ろした風景。
DSC_3857最上層南側b DSC_3859北側b

19日は碑林博物館、明清城壁(唐の皇城)の含光門(復元。ここも博物館になっている)、西安博物院と小雁塔(薦福寺)
DSC_4002門の上の東側(明清の城壁がずっと続いている)b DSC_4097b.jpg
この日の2つの博物館の詳しい展示で、長安のプランについてかなり頭に入った気がする。

20日は郊外の漢の陵墓へ。途中、陜西省考古隊の事務所に案内され、収蔵品を見学。空港の造成で大量の墓が見つかったとのことで副葬品がたくさん。
P1050195.jpg
景帝の陽陵。ここの地下展示もすごい。
DSC_4161陵本体へ DSC_4163b.jpg

タンロンについて、長安など中国都城との関連で前から気になっていることがある。それは少なくとも陳朝期には大羅城(いちばん外の城壁で囲まれた空間、つまり京城)が、「大羅城右伴」と「大羅城左伴」と二分されていることである。
不整型の大羅城をどうやって東西に分けていたのだろうか。

もう一点は、李陳朝のタンロンには61ないし36の「坊」があったと言われるが(大越史記全書の記事にもとづく)、李朝では「巷」も史料に散見する。これらは道で囲まれた空間か、それとも道の両側を含むいわゆる「両側町」(中国では宋代に出現する)のどちらだったのか?

それから洛陽や長安で痛感したのは、宗教施設や儀礼の場がよく研究されていること。タンロンは南郊壇、社稷壇はやっと発掘したが、「大内」にあったはずのものをはじめ仏寺、道観や廟などの研究がまったく進んでいない。

見学した対象は中国史の専門家から見れば初歩的な場所ばかりだったが、展示・復元の方法も含め大いに勉強になった旅行だった。

*今夜のマリーンズは、上野が好投して杉内に投げ勝ち、首位ホークスを負かした。気分良く寝られそうだ。
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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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