広西のキン族
広西のベトナム国境に近い海岸部にはキン族(京族)が住んでいる。
国境の東興の東隣、江平鎮の京島という一帯が有名である。

南寧から欽州市・防城港市を経てここに来たのだが、こちらの方ではベトナム語の案内板がたくさんある一方でチワン語を見ない。下は博物館入り口のもの(ベトナム語のタイトルの綴りが間違っているが)。

博物館の展示によれば莫朝の洪順3年に移住してきたという伝承があるそうだ。

展示はなかなか充実している。しかし新暦正月明けの寒くて雨の降る平日で、観光客はまったくいなかった。
チューノムと漢語の対照表。これを読み上げるテープが館内に流れていた。

現代のアオザイを着た女性の写真があちこちにあったが、あれは仏領下のベトナムでの発明品である。どういう経路でここに入ったのだろうか。

ハンノム(漢字とチューノム)で書かれた書物の展示もあった。

つぎに有名なバンビ(さんずい+万、さんずい+尾)村のディンへ。

隣りに老人クラブがあり、おおぜい集まってトランプなどで遊んでいたので、出入りしている老人に声をかけてみたところ、一人の老人はとても聞き取りやすいベトナム語で話していた。別の老人はベトナム語がわからない様子だった。
ちなみに江平(坪)というのは、18世紀末の19世紀の、ベトナム側ではタイソン朝に協力して阮福映と戦い、中国側では嘉慶の海寇として恐れられた海賊集団の根拠地として有名な場所である。キン族と中国人(漢族とは限らない)の入り混じった勢力だったにちがいない。
国境の東興の東隣、江平鎮の京島という一帯が有名である。


南寧から欽州市・防城港市を経てここに来たのだが、こちらの方ではベトナム語の案内板がたくさんある一方でチワン語を見ない。下は博物館入り口のもの(ベトナム語のタイトルの綴りが間違っているが)。

博物館の展示によれば莫朝の洪順3年に移住してきたという伝承があるそうだ。

展示はなかなか充実している。しかし新暦正月明けの寒くて雨の降る平日で、観光客はまったくいなかった。
チューノムと漢語の対照表。これを読み上げるテープが館内に流れていた。

現代のアオザイを着た女性の写真があちこちにあったが、あれは仏領下のベトナムでの発明品である。どういう経路でここに入ったのだろうか。

ハンノム(漢字とチューノム)で書かれた書物の展示もあった。

つぎに有名なバンビ(さんずい+万、さんずい+尾)村のディンへ。



隣りに老人クラブがあり、おおぜい集まってトランプなどで遊んでいたので、出入りしている老人に声をかけてみたところ、一人の老人はとても聞き取りやすいベトナム語で話していた。別の老人はベトナム語がわからない様子だった。
ちなみに江平(坪)というのは、18世紀末の19世紀の、ベトナム側ではタイソン朝に協力して阮福映と戦い、中国側では嘉慶の海寇として恐れられた海賊集団の根拠地として有名な場所である。キン族と中国人(漢族とは限らない)の入り混じった勢力だったにちがいない。
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