洛陽の猛暑

洛陽で郵便局から送った本が、船便なのにもう着いた。
そこで、洛陽のことを簡単に書いておきたい。

開封はそれほどでもなかったのだが、洛陽は暑くて閉口。河南省の夏は暑いと聞いていたが、まさかハノイやフエのように暑いことはないだろうとタカをくくっていたら、15日は夏のベトナム調査でもめったにない蒸し暑さだった。

前夜洛陽入りし、14日はまず隋唐洛陽城の外城の南門だった定鼎門跡へ。このように復元されている。
DSC_3326まず洛陽外城の南正門である定鼎門へ

内部は発掘された門道などが保存されている。
DSC_3329b西の門道(路面は唐代)

復元された楼上には隋唐洛陽城の大がかりなジオラマがある
DSC_3340宮城・皇城のあたりb DSC_3348北から見た中心部b

このあと内城の応天門跡、明堂(儀礼用建築)跡など回る。

15日は猛暑のなかを、よりによって漢魏洛陽城の遺跡めぐり。野外を歩いてひたすら汗を流した。
写真は太極殿跡。
DSC_3429太極殿址b

夜は地元でお世話いただいた石自社先生(社会科学院考古研究所洛陽工作站の漢唐研究室洛陽唐城考古隊隊長)をお招きして、洛陽名物「水席料理」の宴会。やっぱり強い酒もついてくる。
P1040782.jpg P1040784.jpg
飲みながら通訳をしてくださった河上さん、フック君(2人とも中国語の達人)に感謝。

16日は北のボウ山にある古墓博物館へ。
北魏の宣武帝陵
DSC_3449北魏宣武帝陵b

最後に竜門石窟に寄り、新幹線で西安に向かう。
いちばん有名な大仏(奉先寺)
DSC_3519いちばん有名な大仏(奉先寺)にたどりつくb

奉先寺のあと、一人でどんどん石窟を見ていたらだんだん気分が悪くなり、一周して待ち合わせの食堂に着いたころには頭痛と吐き気。これは12日にケガした頭がどうかなったかと本気で心配したが、単なる疲れだったようで、新幹線に乗って涼しい西安に着くころには症状もすっかりおさまり、翌日夕方には食欲もすっかり復活。

洛陽でタンロンについて考えたことがある(初歩的なことばかりだが)
-タンロンの「宮禁がはじっこにある横長のプラン」に洛陽の影響はないか?
-タンロン遷都後に旧都ホアルーを長安と呼んだということは、タンロンは洛陽になぞらえた??? それとも大越は「南朝」だから建康?
-洛陽にせよ長安にせよ皇帝陵は都城の郊外にある。タンロン郊外でなく王朝の出身地に陵墓を作る大越のやり方はどこから来たか?

マリーンズが昨日はやっと勝って球団通算4000勝(1950年の2リーグ分立時にできたチームのなかではライオンズに続き2番目)を達成したが、今日はまたライオンズに負けて最下位。チーム本塁打が「おかわり君」一人分と大差ないというのは、昭和30年代までの貧打のチームを思い出させる。また、ファイターズが梨田監督退任とかでガタガタになりホークスが大独走というのは、あまり面白くない。

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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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