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モンゴル帝国と高麗

歴史教育に役立つ本が多い山川のリブレットに、また一つ好著が加わった。
森平雅彦氏の『モンゴル帝国の覇権と朝鮮半島』(世界史リブレット99)である。


抵抗か屈従かの単純な二分法を超えて、近代国家の主権観念や国民アイデンティティを自明の規範とするような枠におさまりきらない豊かで複雑な人間現象を見ること、モンゴル帝国と高麗の二者間系だけでなく帝国全体のなかに高麗を位置づけること、近年のモンゴル時代史研究の成果を踏まえつつ、単純にモンゴル帝国のスケールの大きさに魅了されるタイプの研究と一線を画することなど、方法上の立場や注意点を明確に示しているところが、とっても私好みである。先日書いた民衆の抵抗に関連していえば、日本でも有名になった三別抄の反乱について、「ラディカルな抵抗運動に無前提な価値をあたえると、現実にはそうした活動がしばしば挫折した事実を逆に浮かびあがらせ、(戦前の日本の学界が朝鮮史に貼った「他律性史観」のレッテルに由来する)他律性のイメージを再生産しかねない部分がある」という指摘(26-27ページ)に鈍感であってはならない。

付言すれば、韓国でも日本でも「長年の激しい抵抗のおかげで元は高麗の服属後もひどいことはできなかった」という言説がよく見られるが(『高麗史』にすでにそう書いてある)、クビライ時代までのモンゴル帝国のルールからすれば、素直に降伏した者には無茶はしないが、激しく抵抗した相手は徹底的に殲滅・解体するものである。
あれだけ抵抗した高麗という国がそういう目に遭わなかった事実は、森平さんも言う通り、高麗の支配層が対元関係できわめてうまく立ち回ったことを抜きにしては理解できない。日本では「支配者のやることを称揚するなどおかしい」という道徳論が今でもよく聞かれるが、「政権を取った社会主義者」にそんなお気楽な考えは許されない。少なくとも私が知っているベトナムの例では、「民族の利益を体現した」支配者(=リーダー)はどの階級に属する者であれ賞賛される(前近代に近代的な「民族」が安易に想定される点はもちろん問題なのだが)。

私自身があちこちで話している通り大越と高麗(および朝鮮王朝)の比較に強い興味をいだいており、10月1日に関西大学のシンポ(篠原啓方さんが中心で、韓越琉の比較・関係を扱う)、来年4月にはソウルのアジア世界史学会(AAWH)でどちらも、大越(李・陳朝)の地方行政単位や地方支配について高麗との比較を試みる予定なので、その点でもこのリブレットは勉強になった。
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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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