大学の未来は教養教育から

毎日新聞10日付け夕刊(大阪本社管内)「パラダイムシフト--2100年への思考実験 第5部変貌する学と美6」に、猪木武徳氏の「大学の未来は教養教育から」という文章が寄稿されている。
http://mainichi.jp/shimen/news/m20141110dde018040079000c.html

政府は無用な心配、余計な干渉をしないでそのまま「成り行き」に任せればいいという考えと、競争に勝ち残るために次々と改革をしなければならないという強迫観念の両方を極端な考えと批判し、特に短期的効果を狙った自己目的的な改革を戒める。「今回めでたくノーベル物理学賞に輝いた3人の日本人研究者の受賞対象となった業績も、近年の「選択と集中」方針による「強い大学」への研究費の重点的配分体制に移る前の大学、あるいは企業内で取り組まれた研究が生み出したものであった」という指摘を、後者の体制に移った後に生じたSTAP細胞「事件」などと比べながら読んだ読者も多かっただろう。

「大学はどのような形で生き残るのだろうか」という結論部分は、「基本的に大学は、大学でしかできない教育を引き受けるべきだとういことだ」という方向で展開させる。
「。。。技術変化の多い社会で直接役に立つ知識や技能は、大学教育によってではなく。実際の仕事を通して獲得されるものがますます多くなるだろう。したがって、大学は、生半可な実務教育をほどこすのでなく、数理的な訓練と、国際的な知的競争の場で求められる言語表現を核とした教養教育に力を注ぐ必要がある。英語教育を小学校からとか、「感じたことをそのまま書きなさい」といった散漫な作文教育でなく、古典を含む人文学や社会科学の遺産をよく学び、自らの考えをまず母語で正確にそして豊かに語る能力、説得力のある文章を書く技術を養うことが、これからの大学の教養教育の中核を占めるべきだと、私は思う」という結びは、私にはかなり共感できるものだが、これが現場で「役に立つ実務教育」に反発する人々の支持を受けるかというと、難しいところがある、なぜならそういう人々の多くが、大学や学生の自立性・自主性をアプリオリな前提としているため、「感じたことをそのまま書きなさい」式のやり方でなぜいけないのかを考えること自体を悪しき実利主義・マニュアル主義にとらわれることのように思って拒否する傾向が強いためである。また「役に立つ実務教育」を批判し財界人などの「教養の欠如」を嘆く大学教員が、自分が行う教育については、細かい「専門の知識や研究方法を身につけるのが大学だ、教養教育などはそれより低レベルの存在だ」と考えているケースが多いという点も、大きな矛盾である。

他方、政治家や財界人・親の多数が、猪木氏のいう「生半可な実務教育」を大学を含む学校に求めている点も、頭が痛いところだ。氏のいうような大学をつくるのは、簡単ではない。


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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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