『海域アジア史研究入門』は日本史の時代区分を提示したか?

このところ、移動の電車の中などで『岩波講座日本歴史』を読んでいる。昨日からは「中世1」。って、自分が月報に日本史研究への批判(と賛辞)を書いた巻なのだが、後回しにして読んでいなかったのだ(苦笑)。

まずは巻頭の総説にあたる「中世史への招待」(桜井英治)の書き方に感心。「頭脳の古代、ロマンの中世、体力の近世・近代」という学会内ギャグから始まり、ほどほどの史料が残っていて適度に想像力を働かせながら研究できること、分裂性。多元性をはらんだ中世それ自体の面白さといった中世史の全般的特徴、そして1960-70年代に佐藤進一門下からつぎつぎ生まれた新研究など、今日の学会動向を論じる諸前提を述べた「はじめに」からして読ませる。本論もいきなり具体的論点に進まず「一.知の現状と中世史研究」で、80年代の社会史的研究とその後の国家史への「逆流」(必ずしも否定的意味ではない)、「網野善彦後」の社会から期待されず自らも理論的発信ができなくなっている学界状況などを論じて読ませる。

その後の「二.中世の時期区分をめぐって」「三.東アジアにおける中世日本の位置」などもよくまとまっており、三で銭貨と親族組織を例として日本社会の(中国・朝鮮半島よりも)東南アジアに近い側面を紹介するあたりも、古代史ならぬ中世史でこれを認めてもらえたのはうれしいことである

一点だけ、新しい時代区分のところで『海域アジア史研究入門』(桃木・山内・藤田・蓮田編、岩波書店、2008年)の、9世紀から14世紀前半を「中世」、14世紀後半から17世紀初頭を「近世前期」、17世紀中葉から19世紀初頭を「近世後期」という時代区分を紹介していただき光栄なのだが、この紹介にはミスリーディングな部分があるので一言しておきたい(この区分は、編者4人の合意のもとで提示されたが、たたき台は私がつくった)。

桜井氏は「これらは大陸アジアだけでなく、日本にも適用可能なものとして提案されているはずである。となれば、それは通説的な日本史の時期区分を全面的に否定しているとまではいえないものの、かなりの挑戦であることはまちがいない」「ただし時期区分に関する同書の説明は驚くほど淡白で、「中世」については、「アジア海域交流が活性化し、ユーラシア規模での交流圏が成立する」時期であり、「中国海商の海」の形成と表現してもよい」時期であること、「そして、この時期にかたちづくられた交易のシステムやネットワークが、のちの時代の海域アジにおけるそれらのひな形となっていると考えられる」ことなどを指摘するが、この時期をなぜ「古代後期」や「中世前期」でなく「中世」と呼ぶのか、同時期に同域内に存在した諸国家の国制や社会にも「中世」とひとくくりにできる何らかの共通性が認められるのかなど、いくつかの決定的な説明を欠く。。。」と評された。

これだけ見ると、原著を読んでいなくて、しかも世界史の時代区分論に詳しくない読者は、「なんだか間抜けでへんてこなことを言っているヤツがいる、自分たちには関係なさそうだ」としか意識できないだろう。たしかに「なぜ古代後期でないか」というあたりはもっと説明が必要だったかもしれない。ただ、われわれの時代区分は、そもそも時代区分論そのものを目的として提示したのではなく、海域アジア史の諸テーマの整理のために便宜的に提示したものであるから、「説明が淡白」なのは当然である。

それより重大なのは、われわれの区分は、この桜井氏の評価の前提にあると思われる「日本史」の常識、つまり個別国家・地域の「構造」をベースにした時代区分とは論理次元を異にすることである。そういう立論の当否は別として、このことに気づいてもらわないと、私が月報を書いた意味がない。

第一にこれは、海域アジア(の東部)という広域の時代区分であって、その時期の各個別地域が中世かどうかを問題にしてはいない。その内部に様々な「前近代的」「生産様式」や「社会構造」を含んだトータルな「近代世界」の存在は、比較的理解されやすいと思われるが、われわれの時代区分はそれと共通点をもつ。

それは、近代以前にはかつての「世界史の基本法則」のような純粋な比較史でない限りそのような広域の時代区分は成り立たないという考え方を、われわれはとらないことを意味する。それは、われわれが近代世界の場合にはそれでも論じうる全体としての「構造」ないし「システム」を、必ずしも想定しないからである。単純化して言うと「関係」ないし「場」の時代区分であってかまわない。したがって個々の地域の国制とか社会の「構造」を問うことはお門違いである。例を引けば、われわれが注目するのは、「メキシコ銀が世界を結びつけた」16世紀の状況である。そこにまだ、19世紀のような全世界を巻き込む経済的分業関係の「構造」(近代世界システムと言えばわかりやすいか)は成立していない。しかし「世界の結びつきと連動性」は存在しているのである。

こうした考えは、「日本史」の皆さんにはなかなか理解しがたいらしいというのは、時代区分ならぬ地域区分で、山内晋次さんたちの「東部ユーラシア」という地域設定が「構造を示せ」という反発を受けることからもわかる。しかしそれは時代区分の幅を狭めることでしかないのは、単一の基準による時代区分ができないことを認めている(いくつかの要素を並べるしかないと明言している)桜井氏には、わかっていただけると思いたい。ちなみに「一国史」がまったく無意味だなどと私は一度も考えたことがない。私のベトナム史の時代区分に関する著作など、桜井氏がご存じないのは当たり前だが、そこでは私は、社会経済構造の時代区分をおこなっている。それと海域アジア史研究入門の時代区分は目的も論理も違う。

さらに蛇足で、海域アジア史の「中世」について、桜井氏はヨーロッパ史の影響を感じ取られたようだが、ここは私の研究書(『中世大越国家の成立と変容』)とそこで紹介したアメリカのリーバーマンの時代区分とはいかずとも、「中世」の始まりについて東南アジア史(例:『岩波講座東南アジア史2』)や「唐宋変革論」以来の東アジア史の時代区分論、あるいはインド洋世界論などを、また「中世」の終わりについてはモンゴル時代史と14世紀の危機論などを思い浮かべていただけると有り難かった。

以前も海域アジア史研究会で「真面目な日本史研究者」と時代区分についてのバトルをやらねばならないという話が出たことがあるが、あらためてそれが必要だと感じた。
関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
アクセス・カウンター
あなたは
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR