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レー先生と史学科の「四柱大臣」

何度もしゃべってきた事柄だが、ファン・フイ・レー先生は、ベトナム民主共和国がジュネーヴ協定によるフランスの撤退後に設立した、ハノイ大学史学科の1期生である(前身は解放区に設立された大学で、レー先生たちも最初はそこで入学したと聞く)。

史学科の最初の教授は、前近代史でダオ・ズイ・アイン、近現代史でチャン・ヴァン・ザウという伝説上の人物だった。グエン朝の前身に当たる広南阮氏政権樹立の大功臣の子孫であるフエの貴族出身のダオ・ズイ・アイン先生は、「国民文学」とされるキエウ(コム・ヴァン・キエウ)の研究などでも知られた万能の文人だが、1930年にインドシナ共産党が成立する前にベトナム各地で作られた共産党のひとつであるアンナン共産党の指導者でもあった。同様にチャン・ヴァン・ザウ先生は、南部の共産党の指導者だった。文人が学者と政治家の両方をするという、儒教圏の伝統がここにはっきり見られる。

面白いのは、2人のとも民族主義的傾向が強いため、成立当時の民主共和国の政治的主流からは外れて、いわば祭り上げられた状態で大学教授になったことである(その後もさらに言論活動が当局に睨まれたりして、ハノイ大学からは早くに離れているが、概説書などの大衆的人気は一貫して高かったと思われる)。

この両教授のもとで1期生として学び、その後のベトナム史学界をリードしてきた4人の学者がいる。古代史・考古学のチャン・クオック・ヴオンとハー・ヴァン・タン、前近代史(中世史)のファン・フイ・レー、近現代史のディン・スアン・ラムの4人で、人呼んで史学科の「四柱大臣」。昨日書いた『ベトナム封建制度史』は、ヴオン、タン、レーの3先生が中心になって編纂されたものである。4人とも史学科の教授になり、タン先生はのちに社会科学委員会(現ベトナム社会科学アカデミー)傘下のベトナム考古学院の院長になられた、

専門上、ディン・スアン・ラム先生は「何度もお会いした」という程度だが、ほかの三先生には、研究上でずいぶんお世話になった。それぞれに特徴があり、タン先生には後輩のファム・ティ・タム先生との共著『13世紀の抗元戦争』という大名著がある。ヴオン先生は女性史や地理=文化的な歴史など色々新しいことに手を出す人で、ハノイの学界で無視されていたチャンパー研究に光を当てた功績も大きい。タン先生とヴオン先生の共著には、『封建制度史』第一巻のほかに、『考古学の基礎』という入門書もあった。

私のゼミなどで何度となくしゃべってきたことだが、こんなに優れた人々が同時に史学を選んだ、それは希有なできごとだと思う。その影響のひとつは、多くの学問分野でハノイ大学より社会科学委員会参加の研究院の方が、研究機関としては格上とされたのに対し、歴史学では史学院(初期を除き、その所員もハノイ大史学科卒が多いのだが)よりハノイ大、現在はハノイ国家大の方が格上の感をあたえつづけていることである。最近の欧米の学界ではベトナムの歴史学界に関するメタヒストリーの研究がけっこう出ているが、管見の限りでは、そうした基本的な事実がわかっていないものが多いようにも見える。





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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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