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ファン・フイ・レー先生

1986年にハノイに留学するまで、ベトナムの学界のことをほとんど知らなかった私だが、ファン・フイ・レーという名前は、知っている数少ない学者の一人だった。1960年に後述するすごい概説書を出版しているので、もうかなりの長老かと思っていたが、はじめてお会いした先生は、まだ若々しいのでびっくりした。同時に、20代なかばで次々有名な業績を出されたのだと知った。

これは先生の個人研究で最初の本『黎初の土地制度と農業経済』(ハノイ:文史地出版社、1959年)。
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女性の所有権を含む法典『国朝刑律』の分析や、大規模な領主直営地の不在の指摘など、八尾隆生氏や私の研究にも影響をあたえた重要な論点が含まれている。

こちらは抗米戦争期の学界が打ち込んだ「外国の侵略に抵抗した歴史」の、最高傑作のひとつである『藍山起義』(ファン・ダイ・ゾアンと共著、ハノイ:社会科学出版社、初版1965年)。
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ほかにも、ベトナム史上でいつ民族(ネーションの意味)が形成されたかをめぐる論争のまとめなどすぐれた研究が多い。パリ滞在の際に、ベトナム史を代表する年代記である『大越史記全書』の、17世紀末の「正和本」に由来する版本を持ち帰って公刊した(それまではみんな19世紀の阮朝国史館本に由来するテキストを使っていた)ことや、阮朝の地簿(土地台帳)や硃本(朝廷に現場から上がる報告書)などの公刊・集計といった、文献学上の貢献も少なくない。近年は、タンロン遺跡の調査保存についても、考古学と文献史学のまとめ役をされた。
こういう膨大な業績をあげたレー先生だが、私個人の意見では、最高傑作は1960年に出された大学教科書『ベトナム封建制度史第二巻』ではないかと思われる。僚友のチャン・クオック・ヴオン、ハー・ヴァン・タン両先生が著した第一巻を含む3巻本のこの独立王朝時代(10世紀からフランスの侵略開始まで)の通史を、20代なかばの著者たちが著したと知って、おおげさに言えば私は戦慄した。当時の私はすでに30代。自分が逆立ちしてもかなわない秀才たちがベトナム前近代史研究をリードしているのだと思い知った。
「概説・通史がなにより好きな」私の見立てでは、その後にたくさん出されたベトナム通史で、これを超えるものは未だに存在しない。

以前のベトナムの学者には失礼ながら、典拠を示すようで実は示さないことも多い科挙知識人風の文章を書く人が多かったが、レー先生は西洋風の、史料も先行研究もきちんと典拠を示して書くことができる、数少ない学者の一人だった。
そのレー先生について、あるときふと気づいた。われわれ前近代ベトナム史研究者が必ずお世話になる潘輝注の『歴朝憲章類誌』という、19世紀初めの考証学の傑作があるのだが、その前後に潘輝注以外にも一族から多くの知識人を出していたことは習って知っていたのだが、その潘輝注をベトナム読みするとファン・フイ・チューとなる。あれ、もしかしてファン・フイ・レー先生はその子孫かな?

おそるおそる尋ねたら、あっさりと「そうだよ」という返事。直系の子孫だそうだ。そのころレーは黎だとばっかり思っていたが、ずっと後に末っ子のファン・ハイリンさんから「梨」だと教わった。だんだんハノイの学界に慣れてくると、ほかにも大学教授や社会科学委員会(社会科学の国立アカデミー)付属の研究所長などで、近世の有名な学者(たいていは地主貴族の出身)の子孫があちこちにいることがわかってきた。ベトナム革命はそうした階層を根絶していないこと、ベトナムではそうした階層から「赤い知識人」がたくさん出たこと、それに公的な学術教育機関があってもあまり頼りにならない貧しい発展
途上国では学問は「家学」として引き継がれることなど、いろいろな背景が見えてきた。
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プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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