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『市民のための世界史』への書評に感謝(一部修正)

『市民のための世界史』に対するかなり詳しい批評を書いてくださっているブログを、遅ればせながら発見した。
筆者のwhomoroさんには感謝にたえない。
http://d.hatena.ne.jp/whomoro/20140813/1407892636

内容はなかなかに辛口である。
フランスの記述が弱いなど、耳の痛い指摘が少なくない。

ただし(そういう読まれ方をするのを予測できないお前たちが悪いと言われれば反省するしかないし、とくに私の性格を反映した挑発的な物言いが反発されるとすれば、いよいよ申し訳ないのだが)、「既存の固定観念で読まれている」ところが多いのも事実だ。
阪大歴教研での長い議論の歴史をご存じであれば、序章(たとえば2~3ページ)や終章・あとがきで書いたことにもとづいて、本書を違った読み方をしていただけたのではないかという気はする。
それにしても、全国の高校教員のうちで阪大歴教研の考え方になじんでいる方はごく一部だから、このブログはそうでない多数の先生を代表して書いてくださったものと、やはり感謝すべきだろう。

そのうえで、執筆者側の考え方も書いておきたい。私がほかの著者と打ち合わせずに反論を書いて批評をやり込めるなどというのは反則だろうが、ただ本書の基本的な考え方について4点書いても、これまでの経過からみて許してもらえるのではないか。

1.2ページで断ってあるように、本書は「世界史Bに準じた教科書」ではない。実際の厚さや教養課程で学部・専攻を問わず学ぶものという性格上、それはむしろ世界史Aに近い部分が少なくない。

2.「阪大イコールグローバル・ヒストリー」という固定観念の流布には私も責任の一端があるが、この教科書そのものを「グローバルヒストリーの立場で書いた教科書だ」と明示した個所はないはずである。終章の275-6ページあたりでは、むしろ「それだけではないのだ」ということを示したつもりである。

3、本書は、事項レベルで「これとこれとこれを入れなければけない」という考えを最優先する編集のやり方をしていない。むしろ「そのやり方こそが世界史の中身を限りなく膨張させ履修者を減らしてきた」という考え方から出発している。そこで4ページに書いたように、本書中の語句にうち「どれは覚えるべきでどれは単なる例示か」という区別はほとんどできない。

4.本書各章には問いがあるが、その正解はどこにも書いてない。つまりこの教科書は、”教科書「を」学ぶ”だけで学習が完結することを想定した書物ではない。また本書の表紙を見ていただくと、英語で A World History for Citizensと書いてある。書名などでAをつけると、「ほかにもあって、これが唯一絶対ではない」という意味になる。つまり、一部では論争史も含めて歴史観の提示ははっきりするが、それはその歴史観を学生たちに植え付けるためではない。

ちなみに本書は「間接的に高校で最低限学んできてほしい内容を意識している」「高校教員への挑戦だ」と書いているので誤解する読者が多いかもしれないが、「直接これを高校で教えろ(それに使える))」などとはひとことも書いていない。あちこちの高校教員から「われわれの頭の整理にはいいが、教室では使えませんね」という評価を受けているが、それは想定(期待)通りである。
本書は直接には、あくまで大学の教科書である。そして筆者たちは、大学教育について、「完全に価値中立的でなければならない」とか、あるいは「すべてを学生の自主的な思考と選択に任せて、教員は材料の提示に徹するべきだ」という極論にくみしない(そもそもそんなことが可能だとは思わない)。

「高校でこれを教えろなどと一度も言っていない」という点は、歴教研の場で初参加の先生から何度となく受けた誤解なので、何度となく「そうではない」と繰り返してきたことなのだが、「高校教員への挑戦」などと書くなら、本書でももっと特筆大書しなければいけなかったのかもしれない。
また、「お前たちの正史を学生たちに押し付けるつもりか」とも、詳しくj話したことのない相手から再三言われた。これはあくまで、われわれの理解や考え方の提示であって、これが唯一絶対の正解だなどというつもりはないという点も、もっと強調すべきだったのだろう。
以上2点のどちらについても、この本で頭を整理してその先生独自の教育に役立てられるかどうか、本書が「高校教員への挑戦」と言っているのはそこである。ひたすらこの本の通りに説明するような教員がいたら、それは挑戦にこたえたことにならない。

いずれにしても本を出せば、その1冊だけで評価され、ときに誤解されることは避けられない。自分が指導している学生が書いた書評だったら、「その1冊だけ読んで、著者(たち)の他の著作や経歴・学会活動に配慮しないようでは、書評は書けない」と指導するのだが、今回の場合、そうもいかないだろう。
私の精神は、そういう場合には、まめに説明や反論を繰り返し、できれば直接対話をすることである。この「毎度おなじみ」の失礼な反論が、そういう対話のよすがになればよいのだが。



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プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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