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ベンガル飢饉とベトナム200万餓死の連鎖

サツマイモのついでに、同じHPでジュートの国別生産量を見ると、やはりインドとバングラデシュで世界の大半を占め、3位以下の生産量は微々たるものだが、ベトナムはいちおう6位に入っている。

先日の神奈川の高大連携セミナーのときに、第二次世界大戦下インドの「ベンガル飢饉」の話がでてきて、そのときに紹介しそびれたのだが、これと大戦末期北部ベトナムの大飢饉(いわゆる200万餓死←神奈川の講義で紹介したホー・チ・ミンの独立宣言に出てくるので有名)は連動している。

ベンガル地方はジュートなどの商品作物を輸、日本を含む海外に出する一方で、人口過剰により米は不足し、同じ英領のビルマから輸入していた。だが、ビルマが日本軍に占領されて米が入ってこずに飢饉となった。神保町の岩波ホールで初期によく上映していたインドのサタジット・レイ監督の作品に、この状況を描いた「遠い雷鳴」というのがあったはずだ。

いっぽう英領インドからジュートを買えなくなった日本は、代わりに、日本軍進駐化の北部ベトナムでジュートを栽培させようとした。もともと人口過剰かつ生産が不安定で、南部からの米輸入に頼ることが多かった北部~北中部で、(1)44年秋からの天候不順による不作、(2)日本・フランス双方による米穀供出の強制、(3)連合国軍の艦砲射撃による南部からの輸送の途絶、そして(4)無理なジュート栽培などが重なって、大飢饉がおこったのだとされる。
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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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