「回顧と展望」のページ配分

冒頭に「総説」と「歴史理論」がそれぞれ5ページ、そのあとに日本史が181ページ(うち考古25ページ半、古代34ページ半、中世34ページ強、近世42ページ半近く、近現代44ページ半)、中国史55ページ半(台湾史2ページ弱を含む)、朝鮮史9ページ弱、内陸アジア史10ページ、東南アジア史7ページ弱、南アジア史8ページ弱、西アジア・北アフリカ史18ページ弱、アフリカ史3ページ強[中国史からここまでを合計すると111ページ強]、ヨーロッパ79ページ弱(うち古代8ページ弱、中世17ページ半、近代30ページ半、現代23ページほど)、アメリカ12ページ弱(うちラテン・アメリカ3ページ弱)[「西洋史」合計で91ページほど]、となっている。

ここで取り上げられた著者の出身は、文学部史学科だけとはもちろん限らないが、大学教員や院生・学生の数から考えると、アジア史が西洋史より多いなどということは到底考えられない。とすれば、実はアジア史(東洋史)は、西洋史と比べて多くのページ数を与えられているのかもしれない。

もっともいつもの意地悪な考え方をすれば、それは西洋史研究者の「生産性」の低さを表していると突っ込むこともできそうだ。しかも西洋史の各項は、翻訳をたくさん取り上げている。一流の研究や重要史料の翻訳を重要な業績として認めることに異議はないが、「西洋史は漢文で行ける東洋史とちがって語学の勉強が大変なので論文を書くまでに時間がかかる」という言い訳は、もはやまったく通用しないだろう。ヨーロッパのたいていの言語より難しいアラビア後を読みこなす西アジア史研究者を筆頭に、アジア史研究者も現地語の高度な史料読解能力をもち、しかも現地語と英語の双方で発信するようなことは、当たり前になっている。「現地の研究のレベルが高いヨーロッパと比べ、アジア史は外国の研究を摂取する必要性が薄い」という話も、もう全然通用しない。ヨーロッパの学界で認められる研究をしている日本人研究者も珍しくないのだから、逆にそれができない研究者は、存在意義を疑われざるをえまい。

それにしても毎年の「回顧と展望」で、近代・現代はもちろん中世について「イギリス」が独立の項目として立てられているのを見ると、「日本の学界はすごいね」と皮肉を込めて言いたくなる。

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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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