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アジア太平洋戦争の終結

8月15日前後はへばっていて何も書かなかったが、再三言ってきたように、あの戦争は8月15日に終わったというのは、あまり適切ではない。
そもそも連合国軍向けにポツダム宣言受諾(無条件の受諾)を中立国スイスを通じて通告したのは8月14日だし、ミズーリ号の上で降伏文書に調印したのは9月2日である。8月15日というのは、無条件降伏を天皇が国民に知らせた(命じた)日に過ぎない。戦争というのは敵があるものだから、通常は敵との間での終わりを戦争の終わりというものだろう(第一次大戦のロシアの一方的離脱のような例もあるにせよ)。だから日本以外の諸国の歴史教科書には、戦争が終わった(日本を負かした)日付は8月14日か9月2日と書いてある、というのは佐藤卓己さんの新書でよく知られている。

そしてもちろん、近代戦争は講和条約が結ばれねば、完全には終わらない。だから岩波の世界史年表の「第二次世界大戦」の項目は、1951年のサンフランシスコ講和条約(+日米安保条約)の調印まで含めてある。

また、日本占領地域がその後どうなったかという意味では、サンフランシスコ条約以後にもいろいろなことがあったのは言うまでもない。
たとえばベトナムでは、1945年8月19日にベトミンが一斉蜂起して、その年3月に日本軍がフランスから「独立」させたバオダイ政権を倒し、9月2日に「ベトナム民主共和国独立宣言」をおこなう。連合国はこの民族自決を認めるべきだという独立宣言中の主張にもかかわらず、連合国は北部に中国(国民政府)軍、南部にイギリス軍が進駐して仏領インドシナを分割占領、そのあとから当然のようにフランス軍が復帰して、第一次インドシナ戦争が始まるが、ベトナムはそのあとも続く「30年のたたかい(バームオイナム・ダウチャイン)」を戦い抜き、独立と統一を実現する。

8月下旬のこの時期は、現政権下のベトナムでも、独立に踏み出した「8月革命」の輝かしい時期とされ、独立宣言をおこなった9月2日は、ナショナルデー(国慶節)として盛大に祝われる。

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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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