憲法解釈の変更

前に何度も書いたが、たしかに日本には「解釈改憲」の伝統がある
「律令制」は形式上、明治維新まで生きていたが、実態は平安中期以降、どんどん違ったものになっていった。
大日本帝国憲法体制も、天皇機関説の否定や「統帥権の独立」などにより、もともと想定されていない方向に暴走した。
前者はある意味で新しい時代に適応し長期的に効果を発揮したが、後者は短期間で国家の滅亡を招いた。

「必ず後者の轍を踏む」と言ったら、集団的自衛権支持派は感情的に反発するだろう。しかし憲法解釈の変更に対して、「サヨク」でなくて「集団的自衛権を行使できるように改憲しよう」という人々が大勢反対している事実をどう考えるか。「近隣にひどい国があって挑発してくるなあ、こちらも何をしてもいい」という考えでは法治国家は守れない。法治国家を崩したら結局、戦前と同じ事になるのではないかと、この人たちは反対している。集団的自衛権推進派やその支持者が、この面で説得的な議論をしているとは思えない。

もうひとつ心配なのは、政府があげる集団的自衛権行使のケースや関連して秘密保護法などで作ろうとしている仕組みに「平和ボケの寝言」が多くて、こんなことで日本の平和と安全が守れるとは思えない点である。確実なのは「中国と似たり寄ったりの自由のない、すべてが政治判断で決められる国家」ができることだけである(いくら北朝鮮や中国の悪口を言っても、それは「近親憎悪」にすぎず、自分もそれと似たようなことをやろうとしているという事実の否定にはならない)。そのあげくに平和も安全も守れなかったら、踏んだり蹴ったりではないか。
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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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