鎖国下の琉球の対中国貿易と長崎の対中国貿易の違い

先週の「市民のための世界史」で、鎖国後の日本では「4つの口」で対外貿易を続けたという話をしたところ、琉球の対中国貿易と長崎の対中国貿易はどう違うのだ、という質問が出た。

いちばん基本的な違いは、琉球の貿易は中国に出かけていく朝貢貿易(=国家間貿易)であるのに対し、長崎貿易は向こうから民間商人がやってくる貿易(密貿易・海賊集団、東南アジア華僑、清朝が認めた商人集団など中身はいろいろ)という点だろう。
第二に、日本側での貿易の利益は、琉球貿易では薩摩藩や琉球王国に入る(もちろんその下にいろいろな商人がいるが)のに対し、長崎貿易では江戸幕府と長崎市内の商人に入る(こちらももちろん、背後にいろいろな藩や商人がいるが)という点も、大事な違いだろう。つまり江戸幕府は、日本列島の貿易や外交を完全に一本化することはできなかったということである。

金額や貿易品はいろいろな変化があるが、琉球貿易はかつてのような反映を取りもどすことはできなかったと見られる。ただし商品の点では、最近有名になった蝦夷地から琉球へ続く「昆布ロード」など、琉球も日本各地の産物を集めて中国に持ち込んでいる。

なお、以前にも書いたことがあるが、豊臣秀吉の朝鮮侵攻後、日本列島中央の政権と中国の外交関係は途絶したままになっている。長崎で貿易をしているから江戸幕府と清朝の間に外交関係があったかのような誤解がよく見られるが、あれは国家間の外交とは関係がない。鎖国後の長崎に中国本土から渡航したのは、密貿易集団でなければ、清朝が「政経分離」で特別に認めた商人集団である。日本と清朝の間に正式の国交が結ばれるのは、明治時代に日清修好条規が結ばれたときである。このへんは、中学・高校でも気をつけて教えてほしい。

昨日の講義は教科書第7章「ヨーロッパの奇跡」。イギリスの財政軍事国家形成と産業革命、米仏などの「環大西洋革命」などが主な内容である。今回の小テストは章の最後の課題でなく、章の冒頭にある「前章で見たアジアの18世紀と、ヨーロッパの18世紀の動きはどう違っていただろうか」を書かせた。政治・国家体制、軍事、経済と暮らしの3つを中心に書けと口頭で指示したが、どんな答案が出てくるだろうか。前週の日中比較の課題についても、今日の講義の冒頭であらためて要約したので、「アジアは眠り込んだまま変わらなかった」などとは書かないと思うが。
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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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