LRTのこと(その3)

先週の台風のあとは一挙に梅雨明け、猛暑となるのかと思ったらそうではなく、ひんやりした日があったり、今朝は名古屋の家を出る際に、雷をともなう強い雨に見舞われた。JR中央線のダイヤが乱れ、新幹線に乗るのが遅くなった。地下鉄乗り継ぎで行くんだった。

プロ野球オールスター戦は、近年パが大きく負け越していたのでどうなることかと思っていたが、パの2勝1敗でやれやれ。今年も第1戦はひどかったが、3戦の場所がゴールデンイーグルスの本拠地である仙台だったのが幸いしたか。秋のドラフト会議での指名順のこともあるので、交流戦で大勝したからオールスターは負けてもいい、とはならない。

何度も取り上げる『鉄道ピクトリアル』路面電車特集のなかでも、宇都宮浄人「LRTをめぐる日本の現状と課題」(注付きの立派な論文である)は勉強になる。
・LRTというと日本では低床式など路面電車の新式車両(LRV)だけがイメージされるが、広辞苑の2006年版には「都市の新交通システムの一つ。路面電車の性能を向上させるなどして、他の交通手段との連続性を高めたもの」とある単なる路面電車でなく、「連続性」をキーワードとする、新しいシステムなのだ。筆者は一般の鉄道と比べた具体的な特性として、
-中規模都市、大都市郊外の支線などに適した、バスより大きな中量輸送力
-地下鉄や通常の新交通システムに比べた乗り降りの容易さ(結果として中規模都市なら移動時間も短くなる)
-高頻度とバスに勝る定時性、部分的に地下を走ったり既存の鉄道に乗り入れることも可能な柔軟性
-地下鉄はもちろん既存の新交通システムやモノレールより大幅に安い建設コスト
  -中心市街地・商店街の復活などまちの環境改善
などをあげる。
・日本でもLRT推進の声は行政・住民側合わせれば68もの都市・地域であがっているが、実現したのは富山市だけである。うまくいかない基本的理由は、LRT建設を訴える少数派の市民運動が至る所に見られる一方で、多数派の住民は自家用車の利用を前提として、LRT建設を無駄な公共事業と考え(またLRT建設で既存の道路の車線が減少することも、頭から受け付けない)、これに反対していることである。また「客を奪われるバス会社の反対」も力をもつ。筆者はさらに、日本では公共交通が独立採算性で運営され、「赤字」になってはならない、「赤字」の公共交通はムダであるという認識が根強いことを指摘する。

おまけ(2000年の鉄道ピクトリアルの特集の表紙。このときは遠からずLRTが各地にできるだろうと思ったのだが...)


*桃木注:公共交通が黒字でなければいけないという仕組みは、戦後アメリカが押しつけたものが、日本人の二宮尊徳的価値観と結びついて定着したものであろう。そのアメリカの仕組みは、自動車産業が政治を動かして作り上げたもので、結果として20世紀半ばにアメリカの路面電車はいったん壊滅したが(地下鉄と貨物輸送の一部を除き、鉄道全般が急速に衰退した)、20世紀末以後にはそれはおかしいとなり多くの都市でLRTが建設された、というのが、アメリカ交通史の標準的理解であろう。

・国会では議員立法によるLRT推進法案が2006年に作られ、その後、政府の地域公共交通活性化・再生法案に統合されて2007年に成立、現在ではLRTの建設に公的支援が受けられるほか、軌道事業の上下分離(いわゆる公設民営)も可能になっている。さらに「交通基本法」が今年の国会に上程・審議されている。この法案では交通の権利は採算以前の基本的人権であること、環境負荷の低減などが明記されている。つめり政府はLRTなど公共交通機関の整備を後押しする立場に立っている。
・高齢社会にあったまちづくり全体を議論する中で、公共交通問題を位置づけ、「赤字」「黒字」だけで公共交通を判断してはいけないことを多くの人に理解してもらうことが必要である(大規模災害のあとに短期間で復旧でき、ガソリン供給が絶たれてもみんなが移動が出来るという点でも、中小規模の公共交通機関は重要→宮城県石巻市が震災後に、新しいまちづくりの挑戦として、LRT導入を提示しているそうだ)。欧米でもLRTは当初から支持されていたわけではないが、実際に建設したら公共交通機関全体の利用者が激増してバスや商店街も納得した、などの例が多いので(仏のルマン、ストックホルムなどの例が引かれている)、日本でもいきなり欲張らずに、小さな例から初めて大きく育てていく姿勢が求められる。

宇都宮市の例を引きながら、全国共通の問題として「市民によるLRTへの反対もしくは疑問」「そうした市民の反対や疑問に答えを用意できない自治体」「そして交通という利害関係が輻輳する分野の調整ができないという現実」と述べるあたりは、「いずこも同じ」の感を強くした。「新しい歴史教育への市民や高校現場の疑問」「そうした市民・現場の疑問に答えられない研究・教育の“専門家”」「地域や領域ごとの主張が輻輳する歴史学・歴史教育の調整ができないという現実」... ああ!

この特集号では、宇都宮氏の論文以外でも、このままで日本が世界の趨勢から決定的に後れ、取り返しのつかない事態に陥る(必要な技術開発も含めて)のではないかという危機感があちこちで表明されている。富山市の森雅志市長のインタビューも含め、多くの人に読んでほしい。


関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
アクセス・カウンター
あなたは
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR