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韓越友好ドラマだった(?)「武人時代」(訂正)

(金永健氏が慶応で学んだというのは記憶違いでした。蓮田隆志氏のご指摘により訂正します)

連日雪がちらつく寒い天気に、京都の学生時代を思い出す。

サンテレビで放映中の韓流「武人時代」は、毎日平日の昼にやっているので最初は見ていなかったのだが、ふと思いついて1回録画したら気になり出して、このところ毎日録画して見ている。なにしろ高麗時代・武人政権といては、大越との比較が気になってしまう。
昨日の分を今朝の食事をしながら見たら、主人公の一人で「金剛夜叉」と恐れられた猛将イ・ウィミン(朝鮮王朝の建国者イ・ソンギェの先祖という設定?)を助ける謎の女性「芙蓉夫人」が、ウィミンの先祖は戦乱を避けて安南国から渡ってきた来た王子で、ソラボル(新羅宮廷)に身分を隠して仕えた、高麗時代のソラボルには、「南の海から龍が現れて高麗を滅ぼし新羅を復活させる」という伝説があった、とかいう話が出てきてびっくり。これは「韓越友好ドラマ」だったんだ。

「先祖が安南から」のネタは、おそらくベトナムと韓国が復交した1990年代にけっこう話題になった、ベトナムの李朝末期(13世紀初頭)に、陳氏の追及を避けて高麗に逃げてきた王子が始祖であると近世に主張した、黄海道甕津の「花山李氏」一族(李承晩はその一族と称していた)の存在にあるのだろう。金永鍵『印度支那と日本との関係』(冨山房、1943年)という本に、「安南花山君李龍祥の事蹟」という紹介文が出ている。金永鍵氏は朝鮮出身で、ハノイのフランス極東学院図書館に勤務、独立後は北朝鮮に渡ったと聞く。

ベトナム法制史の大家片倉穣(かたくら・みのる)先生も、『朝鮮とベトナム 日本とアジア ひと・もの・情報の接触・交流と対外観』(福村出版、2008年)に「花山李氏の族譜試論―朝鮮のなかのベトナム」を書いておられる。花山李氏がどんな史料をもとにこういう「歴史」を創りだしたか、その背景にどんなベトナム認識があったかを論じており興味深い。

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No title

金永鍵が慶応で学んだというのは無いのではないでしょうか?イン・ヨンデ「1930‒40 年代の金永鍵とベトナム研究」『東南アジア研究』48-3では、京城第二高校卒業後、中国でフランス文学を学び、京城のフランス総領事館に勤めた後、極東学院に就職したとしてます。1940年にベトナムを離れた後も、日本にいたのはごく短期間で、朝鮮で敗戦まで過ごしたようです。

No title

おや、そんな論文が出てましたか。私の記憶違いでしょうね。どうも有り難うございます。

No title

はじめまして。時々、拝見しております。今頃ですが、気になった点があります。金永鍵の慶応との関係ですが、慶応に亜細亜研究所が過去にあり、その機関誌『亜細亜研究』の中で金永鍵が文献解説を担当しています。1943年11月、1944年4月。今ある研究員名簿では名前を確認出来ておりませんが、何らかの関係があったと思われます。
プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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