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李陳朝期ロー河流域の地方豪族

李陳時代の広西に通じるルート沿いの状況はそれなりに研究されているが、雲南に通じるルート沿いのことはほとんどわかっていない。紅河沿いではなくその東のロー河流域に、今回の3点の金石文が残っている。元明時代の出兵ルート(考証は山本達郎『安南史研究I』)など見ると、紅河よりロー河のほうが、主要なルートだったのではないかと感じられる。

トゥエンクアン市内のロー河。ここはまだ海抜40メートル以下である。
DSC_7354.jpg

李朝の豪族として著名な何氏(今でいうタイー族か)の碑文が残る保寧崇福寺は、トゥエンクアンからハーザンに通じる国道2号から東に国道176号に入ってしばらく行った山あいの、ちょっとした盆地にある。ロー河とあとで行くハーザン省東部から流下してくるガム河の合流点に近いといえなくもないが、どちらの流れからも離れた山あいにあり、水系支配の拠点とは考えにくい(何氏の本拠自体の所在は不明である)。なにが権力の基盤だったのだろうか。
DSC_7457.jpg
現在の本堂の後ろに発掘中の箇所があり屋根がかけてある。
DSC_7470寺の跡を発掘したところ  DSC_7477.jpg
同時期の他の寺院遺跡でもよく見る、直径60センチ強の大きな礎石が散在する。

ハーザン市内のロー河。ここでも海抜は100メートルあるかないかだ。
DSC_7618.jpg

ハーザン市より下流側に、東岸に平林寺、西岸に崇慶寺が、ほとんど対称の位置にある。両方に地元の首長李氏一族(エスニシティ不明)による陳朝期の金石文が残っている。
崇慶寺は現在の国道2号線のすぐ西にある。
DSC_7905国道から寺が見える

平林寺はフーリン社にあるが、この社名は平林寺鐘(1296年)と崇慶寺碑(1367年)の両方に出てくる「富令場」に由来するものと思われる。
DSC_7902フーリン社(碑文・鐘に見える富令場の名を引く?)
「場」というのは、李陳朝期の王権直属の商業・手工業・交通などの拠点を指す名称かと思われる(拙著第6章などでふれた)。直属といっても、たいていそこを管理する地元の豪族がいたはずだ。それが李氏だろう。「場」設置の原因はロー河沿いの交通だろうか、それとも平林寺周辺では金が採れるというので産金だろうか。

平林寺入り口と、堂内に掲げられた鐘の文化財認定証。国宝に指定されたら、別の証書がもらえるのだろう。
DSC_7888陳朝の鐘のある平林寺  DSC_7892.jpg
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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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