魚屋を肉屋と誤認したうえで魚を売れと要求する?

福岡大は相変わらずすばらしい。
なんと集中講義の前に送ったレジュメについて予習大会をしたそうだ。
また、学部1年で史学概論(星乃さんが毎年やっているとのこと)を受けるなど、概論の講義をきちんと受けていること、学部生で七隈史学会の発表(これまで2冊の本になっている。2006年からやっているという。毎年の報告集も見せてもらったが、各グループに院生がついて指導しているとはいえ、阪大の院生発表にくらべても遜色ないできばえと見た)などを経験しているため、私がやっているような大きいまとめ(しかし途中で関連する別の分野の事項について答えさせたりする)にもついてくるのだろう。

昨日の夜、飲み会をしてくれたのだが、そのとき篠塚明彦「「津軽から見た世界史」の試み」(『弘前大学教育学部紀要』110:9-16)のコピーをいただいた。

内容は
「1.はじめに」で未履修問題をはじめとする、世界史学習の意義が見失われている状況と学術会議の提言、歴史学の側からの小田中、羽田、桃木などの議論、グローバル・ヒストリーへの着目などにふれ、
「2.桃木世界史・羽田世界史への疑問」では、桃木がいまや少数の高校生にしか関係ない受験を意識し、しかも教師が一方的に生徒を教えるという授業観で議論をしていること、羽田が中心性を排除して世界を描こうとしていることなどに疑問を呈する。
「3.地域からの視点を取り入れた世界史」で、江口朴郎や小川幸司の考えを引きながら、生徒の生活世界と結びつけた世界史教育を提唱し、「地域からの世界史」の取り組みにもふれる。
「4.津軽安藤氏の活躍に着目した交流圏の授業」で15世紀の十三湊安藤氏についてアジア交易の動きと結びつけた授業例を紹介している。最後に
「5.未来志向の世界史学習のために」では、「グローバル・ヒストリーからの指摘を待つまでもなく」日本一国史や偏狭なナショナリズムを超える必要を強調する。

桃木の議論は『わかる歴史・面白い歴史・役に立つ歴史--歴史学と歴史教育の再生を目ざして--』(大阪大学出版会、2009年)1冊だけを読んで書かれているようだ。羽田氏とあわせ、「第一線で活躍する歴史学研究者としての真摯な姿勢がうかがわれる」(p.11)と顔を立てつつも、高校教育のためには上記の問題があると批判しているわけである。

しかし、基本的な誤解や非論理があるように思われる。もしかすると、教育学の論文の形式や論理展開に合わない議論は理解できなかったのかもしれない。
(1)羽田や桃木が「グローバル・ヒストリーに着目した学習内容の組み替えを提起している」という書き方(p.10)は、もしこの2人が「グローバルヒストリーの立場に立っている」という意味だとすれば、はっきり心外である。もっとも桃木の場合は、秋田茂氏と共編著で『グローバルヒストリーと帝国』(阪大出版会、2013年)を出しているからそういう印象を受けるのも理由なしとしない。しかし『わかる歴史』のどこに、グローバルヒストリーで教育内容を組み立てろと書いてあるのだろうか。同様に、「イスラーム史が専門の」羽田氏が(『新しい世界史へ』岩波書店で)「グローバル・ヒストリー」の立場に立っているという断定は、ご本人がお怒りじゃないだろうか。

(2)あるいは、これは私の曲解で、桃木や羽田が「グローバル・ヒストリーの立場に立った」とは言っていないが、しかし「そういう不適切な考えに着目した」ことがおかしい、と言っておられるのかもしれない。どうも、2節以下を見ると、グローバル・ヒストリーというのは国家を超えた大きい(=生徒には実感がわかないような具体性の乏しい)世界だけを、しかも唯一の正解をして提示・強制するもの、地域の状況や地域の主体性などは無視する議論、というよくある思い込みをしておられるように感じる。グローバルヒストリーを推進する側にもそういう研究者がいることは否定できないが、秋田・桃木『歴史学のフロンティア-地域から問い直す国民国家史観』(阪大出版会、2008年)と上記『グローバル・ヒストリーと帝国』をご覧いただければ、秋田氏も桃木もそんな単純な議論をしていないことがわかるはずである。第一、桃木が地域研究的なベトナム史に取り組んできたことは、『わかる歴史』の第6章やあとがきにも書いてあるし、ネットなどでも簡単にわかるはずだ。また

 こちらも曲解かもしれないが、歴教協やそれと関連の深い歴科協(桃木はそこの長年の会員なんだが)には、グローバル・ヒストリーについて、国家や地域を無視するという、特定の帝国主義的歴史像を強制するなどかなり低レベルの偏見と先入観にもとづく発言をする会員が多いように感じられる。

(3)羽田や桃木が、「授業とは、学習内容について教師が深く理解し、それをわかりやすく生徒に教授するものと位置づけているように思えてならない。教師が上位に位置してすべての答えを知っていて、下位に位置する生徒たたちがその答えを求めていくという構図で授業がとらえらている」(p.10。『歴史地理教育』で井ノ口貴史氏が同様の批判をしておられるそうだ)という論難は、初期に何度となく浴びたものだが、見当外れである。それはこういうことを書かれる篠塚氏や井ノ口氏に、「歴史教育の話とはすべて、教育学の立場で教室で生徒に教える方法についておこなう議論でなければならない」という思い込みがあることを示す。別言すると、桃木や羽田の議論はすべて「これを生徒に教えろ」という議論だという思い込みである。

しかし、実際に桃木や阪大研究会(教育学や教科教育法の研究会だとどこかに書いてあるだろうか?)は、教師が心得ているべき内容と、教える内容は同じでないことぐらいわかっている。そのうえで、たとえば東南アジア史を教えるならこれだけのことを踏まえてください」と言っているだけで、「これを教えなさい」なとどは一言も言っていないし、上から目線で一方的な授業をしなさいなどとも絶対に言っていない。阪大歴教研HPに出ている高校教員の実践報告が双方向的授業などの報告になっていないのは、そこで扱われているのが内容面の新しさがだからである。そこを曲解されては大いに困る。それを拒否するのは、「内容の研究などしたら、生徒に関心をもたせ考えさせることができなくなる」と言うに等しい。

ちなみに、ある時期から歴教研のHPには「初参加の方へ」という記事を載せ、その点を断っている。地方の研究会などの講演でも、かならず「これを教えろという意味でお話しするのではありませんよ」と断ってから本題に入るようにしている。

ついでに、桃木が受験のことにふれるのは、それを要求してくる(大学入試のせいにしながら、受験に向けた授業をしている)多くの先生を桃木が相手にしているからである。それをケシカランと言われても困る。高校生全体から見て世界史で入試を受験する者が少数だからといって、その生徒たちが不適当な教育内容や入試の出題内容で痛めつけられていることを放置していいのだろうか?

(4)つまり桃木は(おそらく羽田氏や秋田氏も)地域に焦点を当てて、それを世界につないでいくこと、それを生徒主体の学びとして組み立てる教え方を否定していないというか、賛成している。賛成しているものを、「おまえたちは反対していてけしからん」と言われては、困惑するしかない。まして5で津軽を海域世界に位置づけることの有効性を述べるなどは、桃木を含む海域アジア史研究会が長年やっていることである

さらに困惑するのは、小川幸司さんの「自分の歴史」「地域の歴史」「日本列島の歴史」「世界の歴史」という同心円に関する発言を「この同心円は自分から出発して近い歴史像から遠い歴史像に、順番に形成されていくものというものではない。世界像があるから、日本列島の歴史像が鮮明になってくるということが、いくらでもある。世界史像があるから、伊那谷の歴史の意味が見えてくるということも、いくらでもある。そして世界像があるから、自分はいかに生きていくべきかを考え、自分自身が見えてくる」というところまできちんと引きながら、その前後の記述やあげられた授業例は、あくまで特定の地域(この場合は津軽でなく若狭からスタートさせているが)から出発しなければ生徒は理解できないと固定的に考えているようにも読める。しかし意地悪く言えば、これは一見、生徒の感覚に合わせているように見えて、実は教師がそうしないと理解できないことを示しているのではないかと疑われる。もしくは、生徒の実感は教師にしかわからないという考えにも見える。誤解であったらお許しいただきたい。

あとは蛇足だが、若狭に東南アジア交易圏が広がってくる時期を、東アジアと東南アジアの結びつきに関するアンソニー・リードの説をを引いて、鄭和の遠征が始まった1405年とするが(p.13)、アンソニー・リードは東アジア史は素人である(また、リードの『大航海時代の東南アジア』は翻訳があまりに悲惨なので、読まないでほしいと、歴史学研究の書評にずいぶん前に書いた)。函館の近くで発見された埋蔵銭「涌元古銭」(概要はhttp://www.maibun.org/handkun/wakimoto.pdf#search='%E6%B6%8C%E5%85%83%E5%8F%A4%E9%8A%AD')には、1324-29年の年号をもつベトナム銭が混じっている(http://www.maibun.org/library/pdf/20120630.pdf#search='%E6%B6%8C%E5%85%83%E5%8F%A4%E9%8A%AD')。結びつきは14世紀のモンゴル帝国時代にさかのぼる可能性が強い。

もう1点、「そもそも、日本列島を含む東アジア世界には明確な「国境」の概念が発達してはいなかった。「国境」あるいは「境界」という概念は、近代ヨーロッパにおいで主権国家体制が確立して以降に発達した概念である」「日本においても国境や自国の領域といったものを明確に意識したのは明治期である」(p.14)というのは、アンダーソンの想像の共同体論などの近代国民国家批判を、半可通的に受け入れたものだろう。

たしかに「近代的」境界概念は近代にならないと成立しない(トートロジー)。
しかし東アジアには、もともと領域や境界に関する一定の観念があり(たとえば澶淵の盟では明確な線の国境線が引かれる)、それは近世後期に強まる。蝦夷地の幕領化や北海道アイヌの千島との往来の禁止などはそのあらわれであるとされているように聞いた。今日の東アジアの民族意識や領土意識をめぐる紛争は、それらをすべて近代の産物だなどと西洋人の理論の受け売りで考えるかぎり解決できないことは、東アジア近世史で広く認識されつつあるといいってよいだろう。

そんなわけで、篠塚氏が示した授業案の大枠には賛成だが、内容の一部は修正してもらわねばならないし、そこに至る他人の発言の評価や、授業の背後にある理念は、思い込みや混乱が多く、力を込めたのが無駄になっているのが惜しまれる。

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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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