形から入る教育の重要性

秘密保護法と世界史教育を引っかけた投稿をFBにしたら。教育の問題でもたくさんコメントをいただいた。考え方の骨格ないし形がないところで知識だけ増やす教育の問題点が話題になった。自分で言うのもなんだが、「ああいえばこういう」桃木先生が実は、日本伝統の「形(型)から入る」トレーニング法が大好きである事実に、同僚や院生たちが気づいてくれるといいのだが。私が敵視するのは、定型的教育そのものではなく、いっさい意味を教えず中身の点検もせず応用もせず、古い形だけを墨守するような教育のあり方だ。

私はいずれも中途半端に終わったが、「語学教師」をしたし「体育会経験者」でもある。ピアノを習わされたこともある。
基礎の「形」の徹底反復なしに語学やスポーツ・音楽などが上達するなら、こんな楽なことはない。英語教育がダメな一因は、単語ばかり覚えさせて基本文型の徹底反復をさせないことだろう。

ただ問題は、「形から入る教育」は「形式だけ墨守する指導者」も生みやすいことである。
意味のないウサギ跳びをさせる、練習中に水を飲ませないなど、マイナスだと科学的に証明されてもそれを受け入れなかったりする。「指導の形」に体罰が組み込まれていたりすると目も当てられない。

もうひとつ、「形」から入る教育は当然、段階を追って進むことになるが、最初のうちは「なんだかわからず楽しくない」ことが多い。ハノン・ピアノ教則本が楽しいとは思えない。将棋の初心者に4枚落ちの練習が楽しいかどうか、とても疑問である。
習う側が自主的に(好きで)参加する活動なら初歩で終わってしまった人間は放っておけばいいかもしれないし、多くの参加者が創意を発揮できる上級まで行くようになっている分野なら問題はない。しかし学校教育のようにおおぜいに強制する活動で、大部分が「なんだかわからない」段階で終わるとすれば、それは教えられている形が悪いということになるだろう。また自主参加でない活動では、どうしてもその形に合わない参加者をどうするかという問題も軽視できない。

高度成長以降(少数のエリートへの教育でなくなって以降)の日本の中等・高等教育は、こういう問題への配慮が不十分だったのだと思う。さて、こういうところを乗り越えた「新しい形」は編み出せるだろうか。
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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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