スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

今村啓爾先生の西村昌也氏への追悼文

東南アジア考古学会の雑誌『東南アジア考古学』33号(年1回刊)が届いた。
開いてみると、西村さんと桜井さんへの追悼文が載っている。西村さんのは今村先生が、桜井さんのは新田先生が書いている。どちらも心のこもった文章だ。

今村先生は、「トラブルメーカー西村」の性格と行動を、「何度バカヤローを連発したであろうか」と正直に書いている。
指導教員として、それはそれはたいへんだったろう。
そのうえで
「彼という人間をまず性格面から描いたが、正面から描かれるべき人物像は、情熱的に、ひたむきに自分のすべてをかけ、考古学の調査研究に打ち込む学問の鬼であった。対象がどれだけ巨大で複雑であってもひるまない。旧石器時代から近世の陶磁器生産まで、あらゆることを研究テーマとし、調査に没頭していった。一つの国際学会で3つ4つの研究発表をおこなうこともあった。自分の生活もままならないのに、発掘した窯址の保存のために奔走し、現地に遺跡博物館を作った。現地で若手研究者を育てることにも情熱を注いでいた。その学問的確信を貫き通そうとしたところに、彼の世間知らずな言動の源があった」
と的確に評価され、「早すぎる人生だった」と惜しんでいる。

学問の鬼。
そうだ。
結果としてかれは、日本の大学への就職を犠牲にしてまで、ベトナムに命をかけた。

元寇の際にモンゴル軍に捕らえられ、降伏したら王に封じ手やろうと敵将からもちかけられたが、「北の王になるよりは、死して南の鬼とならん」と叫んで壮烈な死を遂げたチャン・ビンチョン(陳平仲)という将軍のエピソードなどを、ふと思い出してしまった。
関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
アクセス・カウンター
あなたは
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。