相手に合わせて教える能力

承前。
東方学会シンポで出ていた議論に、大学歴史教育の内容がサプライサイドの都合で一方的に決められているのではないかという指摘があった。まことに正しい。

旧国鉄がきびしい批判を受けた理由のひとつに、「乗客の便宜より車両運用を優先するダイヤ作り」があった。1両あたり1日に何キロ走るかという効率は高いのだが、混雑度や他路線との接続などは無視されていたというわけである。それと同じ問題が大学の歴史教育にあるように思われる。

阪大でうっかり桃木先生など何人かの先生に出会うと(先生自身が上手にやっているかどうか疑問もあるが)強制されて院生が苦労するのが、
(1)その場の必要に合わせた授業や発表→中国通史が必要なら本気で教える、世界史が必要なら本気で教える
(2)相手がなにをわかっているか、なにをわかっていないかを考えた授業や発表
の2つである。

このやり方は院生にとってたいへんである。時間がかかる。専門研究(留学もたいてい必要になる)と両方やろうとすると、よほど優秀な院生でないと、MC2年・DC3年の計5年では終わらない。人によって、学位取得までは狭い専門研究に集中し、こういう訓練はポスドクでやるというパターンももちろんある。もし今後、博士後期課程院生にみんな3年で学位を取らせろという圧力が強まるようだと、この阪大式はとてもやりにくくなるのは事実である。

ついでに東洋史の「合同演習」などでは、たとえば中央アジア史の院生が東南アジア史について、あまりに無知な(中央アジア史だけの常識にもとづく)質問をするととっちめられる。阪大東洋史では教養教育での「専門基礎科目」で中央アジア史・中国史・東南アジア史の3分野すべての概論を履修することを義務づけているからである。都合で履修していない者は、大学院に入ってからでも履修させる。つまり教える側(発表する側)・教わる側(発表を聞く側)の両方が高度な能力を要求されるのだ。
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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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