無駄な努力

学習や訓練の成果・効果というのは、かけた時間や労力に単純に比例はしない。
ある線に満たない時間や労力ではいくらやっても成果はゼロ、ところがある線を越えると急に力が伸びる(効果が上がる)、といったパターンは一般的に認められる。

それなのに現在の日本の教育では、新しい内容ややり方を導入しても、既存のそれをスクラップはできないので、新しい部分はちっとも効果が出ない一方で、古い部分も十分な効果の出るラインを切ってしまうといった最悪のやりかたが至る所でおこなわれている。英会話やディベート、調べ学習、職業体験、高大連携、世界史の中身でいえば東南アジア史やアフリカ史など、みんなこれである。

こんなことでは、新しいやり方や内容を導入する意味はない。無駄な努力はやめた方がいい。
だからといって、古いやり方と中身でいいとみんなが開き直ったら、間違いなく日本がダメになる。
それならどうするか?
新しいやり方や内容に、十分な時間をさけるようにする方法を、全力でみんなが考えねばいけない。

それにはたとえば、一部の秀才を基準に設計された教科書やカリキュラムをみんなに適用するのは間違いだし、高校だけ、大学だけなどそれぞれの段階だけですべてを実現しようと思うようでは改善は不可能である。

ひとつの段階(たとえば高校)ですべてをやろうとしてはいけない。
初等~高等教育や社会教育の全部を見ながら考えねばいけない。
これを見ているあなた、あなたもですよ。

高校教員なら高校、大学教員なら大学の改善を主な目標にするのは当然だが、高校しか知らない教員に高校の改善はできない、大学しか知らない教員に大学の改善はできないのだ。






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プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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