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春の叙勲

例年5月3日に発表される春の叙勲が、天皇退位のため今日にずれ込んで発表された。
春の叙勲と対になる秋の叙勲については、院生時代、朝の新聞に目を通すのが義務だった。東洋史関係の学者が受勲した場合、同日に開催される東洋史研究会大会で、その先生に懇親会の乾杯の音頭をとってもらうという習慣があったからだ。編集委員をしている院生は、そのために新聞に目を通すように言われていたのである。

さて、今回は知ってる歴史やアジア学の先生がたくさん並んでいる。東南アジアではベトナム近現代史の白石昌也、地域研究の立本成文、日朝関係史の田代和生、フエ王宮の修復などに関わられた建築史の中川武さんの名前もある。

知ってる人が多いのは、団塊の世代が対象年齢になってきたこともあるだろうが、大事なのは、その世代で新しい分野のアジア研究に取り組む人が増えたということだろう。背景に中国革命と毛沢東思想、ベトナム戦争、「日米同盟」と日本の東南アジア経済進出などいろんなことがあったというのは、今に若い人たちには特に教えないとわからないだろう。

で、外国人の受勲者を見ると、ナムディン日本語・日本文化学院校長のファム・フー・ロイ(62)という名前がある。
これはホーチミン市で旅行ガイドをしていたあのロイさんに違いない。
1986年、冨田健次先生が引率する学生の旅行にもぐり込んで初の訪越をしたとき、最初に入国したホーチミン市から北上してフエ・ダナンまでの行程を案内してくれたのがロイさんだった。ハノイに日本語科が最初に出来た外国貿易大学の出身で、当時の日本語通訳のなかでは、とても上手な人の一人だった。
その年の秋にハノイ留学がかない、88年の旧正月を利用してホーチミン市・メコンデルタからハノイまで南北縦断旅行をした。そのときもロイさんが案内してくれた。一緒に行ったのは細井佐和子さんとドイツのマルティン・グロスハイムだった。
たしかロイさんとは、その後来日した際に東京で会ったこともある。
ナムディンが故郷だと聞いたような、かすかな記憶がある。

しばらくナムディンを訪ねていないが、また行きたくなった。
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大阪大学歴史教育研究会 第121回例会のお知らせ

若手によるきわめて興味深い、大きな話題の報告が並ぶ。

【大阪大学歴史教育研究会 第121回例会】
 日時:2019年5月11日(土)13:30~17:30
 会場:大阪大学豊中キャンパス文学研究科本館2階大会議室 地図
※通常の例会とは開催週が異なります。ご注意ください。

【1】早川尚志(大阪大学大学院文学研究科博士後期課程 / 日本学術振興会特別研究員DC)
「過去の環境変動の復元における歴史学の寄与:環境史の試みの事例紹介」

(要旨)
 過去の環境の復元は同時代の歴史文献の記述の理解、更には目下人類社会が経験する環境変動のより長期的な位置付けを行う上で重要性が高い研究課題である。このような試みはしばしば年輪や氷縞コア、湖底堆積物などの科学データによって行われがちであるが、これらのデータに基づく時間分解能には一定の制限がある。また、重要な「科学データ」の中には実際には歴史的な観測記録から数値化されているものがあることも知られている。それ故、しばしば同時代史料の読解が過去の環境復元について重要な視座を与えることや、しばしば現状の理解を大きく更新しうる。そこで本報告では、主に8世紀と17世紀の環境史上の近年の転回の事例を紹介することで、過去の環境復元についての歴史学的知見の重要性、及びにその寄与の可能性について検討を行う。


【2】高木純一(日本学術振興会特別研究員SPD)
「東アジアの「近世化」と日本の村」

(要旨)
 東アジア「近世化」論とは、東アジア地域における歴史的リズムや政治・思想・文化の共有、相互影響を前提とした、一連の比較史的アプローチである。比較史という視座は、筆者のように、ともすれば近視眼に陥りがちな個別地域史の研究者にとって、自身の位置を再確認し、研究対象の特質を鮮明に認識することができるという点で有益である。しかし、東アジア「近世化」論においては、当該地域の「近代」、就中そこにおける日本の“特異性”に対する問題意識が強く、そのことは当該研究に単なる比較史にとどまらない深みを与えているが、同時に“認知のゆがみ”をももたらしているに感じられる。本報告では、とくに当該研究の起爆剤となった朝鮮史家宮嶋博史による「小農社会」論と、それをめぐる論争に改めて注目し、この点について詳しく述べてみたい。

中村哲先生の新著

イメージ (189)

奥付を見ると1931年生まれとある。最近の原稿を集めた本。
それだけで脱帽なのだが、内容的にも「歴史総合」など新しい歴史教育に取り込むべき議論がありそうだ。

歴史学の基本的説明

FBに書いたことのまとめ直し。
S倉先生ほか理系の先生向けの説明、学部生向けの史学概論の講義、連休明けの異分野の研究者の集まりで話すことなどに関連したメモである。

・私自身はあんまりいい説明だと思わないが、科学には法則定立的科学と個性記述的科学があり歴史学は後者に属するというかつての説明も、理系向けには意味があるかな。「個性記述」だから法則的説明がないのは当たり前。問題はそこで明らかにされた事実や、因果関係・意味などの説明の蓋然性や論理性である。それが意味がないとすれば、刑事裁判で被告の犯罪の「動機」を明らかにすることなども無意味になるだろう。
・科学であることを保証するのは反証ないし検証の可能性。その点で歴史学は、実験はできないが観測はできる自然科学の一部領域と共通する。「学術論文」では、どんな資料(=観測結果)をどう解釈したかが、完全に追体験可能な形で示されていなければならない。その資料の信頼度を確認するには厳密な「資料批判」の方法論がある。これは理系が知らない?人文学の常識。
・理系のみなさんも芸術の価値をすべて客観的な指標で評価しようとは思わないだろう。人の意識や意味、価値を扱う人文学にもそれと重なる部分がある。今のところ、それはAIにできない部分だと言われている。しかしGDPを基準にしようがどうしようが、それらは社会にとって研究する必要があることがらではないか。
・理系と違い人文学では、斬新な研究成果が論文でなく本の形で公表されることがよくある。またその世界へのインパクトは、被引用件数でなく何ヵ国語に訳されたかで評価されることが少なくない。とりあえず議論の前提としてこのへんは理系に共有されているだろうか。

新元号初日

平成の終わりが偶然とはいえベトナム共和国の終わりと同じ日に来たのは、いささかの感慨がある。
ちなみにきっと何千回もしゃべっているが、私が日本古代史なそでなくベトナム史を専攻しようと決意したのは、ベトナム共和国滅亡の日(あるいはその翌日)だった。
またこれは書いたことがないが、平成の初めのイベントとして、京大から東京に移られる石井米雄・桜井由躬雄両先生を送る「奴隷の送別会」があった。たしかその二次会で酔って悪い絡み方をして、桜井さんを不機嫌にさせた。恩師へのまずい形での反逆はあのへんから始まったのだった。その平成の終わりに、2人の恩師は亡く、東南アジア史研究は危機にある。

で、連休明けの「歴史学方法論講義」(史学概論に当たるもの)は私の担当で、これもたまたま「時間と時代」について話す予定である。
しかしそこで、元号のこと自体を詳しく話すつもりはない。やるなら東アジア文明における暦法・紀年法と年号について、また「国書」がみんなが教えられて思い込んでいるような意味での「日本独自の文化・思想の表出」ではないこと、などの点に踏み込むことは十分可能なのだが。
他の教員との関係で、今回は西洋中心史観および近代をゴールとする歴史観への批判が、グローバルヒストリーやアジア史の時代区分などの、どこにどう影響しているかを、主に話さねばならない。そちらはそちらで、相も変わらぬ西洋中心史観の再生産(アジアで唯一日本だけが近代化に成功したという歴史観もその一種である)や、その裏返しのアジア特定地域中心史観を批判するうえで欠かせないトピックなのだ。

プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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