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ソンミ村虐殺事件

FBで、ある「友達」のスレッドに書いてあるのを見て気がついた。
1968年3月16日がこの事件の発生の日だ。
ベトナム戦争の戦況を変えた「テト攻勢」の1か月半ほど後である。
これらの事件でアメリカ国内と世界の反戦運動が一挙に燃え上がり、アメリカは苦境に陥った。

日本中世の災害と気候変動

岩波講座日本歴史4では、田村憲美氏の「自然環境と中世社会」が、日本中世史における気候や人口の変動を取り込んだ社会・経済研究を跡づける。他方、『日本史学のフロンティア2 列島の社会を問い直す』(荒武賢一朗・太田光俊・木下光生編、法政大学出版局)では市村高男「古代中世における自然大災害と社会の転換-復旧・復興過程に着目した視点の提示」が、巨大地震を中心に一部火山噴火にもふれている。慶長地震の復興をしなければならないときに朝鮮再出兵など命令したのが、豊臣政権の命取りになったという話はナットクである。

どちらの論文も実に面白いのだが、一方が気候変動ですべてを説明し、他方が地震ですべてを説明している感じがしなくもない。両方で触れられている飢饉や伝染病なども含め、総合的な歴史叙述のモデルが求められるところなのだろう。
その際、田村氏が触れているように自然科学的方法がどんどん進歩しており、そこではうっかり古い概念やデータを使うと相手にされないことになる。たとえば「中世温暖期」という言葉はもう古く、「中世気候異常期」という言葉が世界では使われている。だが、ようやく気候変動への注目が少しはされるようになったという段階にある高校教育では、そこまで教科書に書いていいかどうか悩ましい。

さいごに余談。市村氏の論考に付載された巨大地震の一覧表を見ると、高度経済成長期が数十年間も大地震や大噴火が起こらない奇跡の時期だったことがよくわかる。その時期が忘れられずにこの列島上で原発を動かそうというのは、やはり正気の沙汰とは思われない。

ベトナムの水中考古学と西村昌也氏

ベトナムの雑誌『考古学』の2014年6号が少し前に届いていた。
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クアンガイ省で開かれた水中考古学国際シンポの特集である。同シンポには17か国の学者を含め国内外から200人が参加したと巻頭に書いてある。

「水中」という点ではベトナムはもともと元寇を撃破した「バックダン河の戦い」で河底に植えた杭など、デルタの川や沼の中から見つかった有名な遺物をもち、15世紀後半の北部ベトナム(チューダウ窯)産の輸出陶磁器を満載した「ホイアン沈船」の引き揚げなど、海中からの発見も相次いでいる。
現在は南シナ海の領有権紛争を意識した部分もあるのだろうが、陶磁器を積んだ貿易船などは、韓国の新安沖沈船がそうであるように、ナショナリズム(や大中華主義)が独占できないものをもつ。たとえば東南アジア史では、フランスのピエール・マンガンが文献と沈船の情報を組み合わせて、近世にみんなが「中国人の船」と思い込んだジャンク船というのは、実はもともと東南アジアと中国の技術を組み合わせて南シナ海で創り出されたハイブリッドな船だったと証明している。水中考古学がナショナリズムや大中華主義を超える対話を広げる場になるようにを祈りたい。

5月にシンガポールで開かれるAAWH(アジア世界史学会)で予定されている西村昌也氏の追悼パネルでも、水中考古学の報告があると聞く。かれも亡くなる直前に科研費をとって、ベトナムの沈船を研究しようとしていたのだ。


東南アジア考古学会例会の案内

アンコール遺跡に関心のある方はぜひどうぞ。

東南アジア考古学会第237回例会

日時:2014年3月28日(土) 15:00~17:00
会場: 早稲田大学 戸山キャンパス 36号館(6F)682教室
   (東京メトロ東西線「早稲田」下車徒歩3分)

発表者:菅澤由希(筑波大学大学院)
    下田一太(筑波大学)
    田畑幸嗣(早稲田大学)
題目:「クメール古代都市サンボー・プレイ・クック遺跡群の都城区における基礎調査」

お問い合わせ
〒154-8533 東京都世田谷区太子堂1-7
昭和女子大学
 歴史文化学科 菊池誠一研究室内
 東南アジア考古学会事務局
 E-mail: jssaa(a)jssaa.jp

北陸新幹線開業

昨日はその日だというのも、新聞を見るまで忘れていた。
これで関西の地盤沈下がますます進む。
富山ライトレールなどが首都圏で知られ、LRT普及につながればいいのだが。

しかし、貨物も含めて全国の幹線鉄道を標準軌に変えるぐらいの政策を掲げる政治家はおらんものか。
愚劣な道路造りの資金の一部でできて、モーダルシフトによるCO2排出量の大幅減にもつながるのだが。
「世界に尊敬される日本」にしたかったらできるはずだ。

ディエンビエンフーとバンメトート

ばたばたしているうちに記念日が過ぎてしまったが、3月はベトナム解放戦史の上で特別な月である。
1975年3月10日、中部高原のバンメトート奇襲がおこなわれ、翌日にバンメトートは陥落、そこから4月30日にかけて、ベトナム共和国政権は急速に崩壊した。
1954年3月13日、ディエンビエンフー要塞に対する本格的な攻撃が開始され、55日後の5月7日にフランス軍は降伏した。

バンメトートは今、世界有数のコーヒー都市になっている。
ディエンビエンフーにも今年中に行く計画があるが、今はどんな様子だろう。
プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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