17世紀日本にとって生糸は不必な品物だったか?

世界史教科書の海域アジア・東南アジア史関係の図版の問題を下で書いたが、日本史教科書もこの問題は深刻である。19世紀にできたベトナムのハイフォンの町が書いてある朱印船貿易の地図などはその最たるもの。第二次大戦後の日本の学界の弱点を見事に反映している。

先日たまたま見たZ出版の日本史Bは、ものすごく記述が詳しいが、そういう図は載せるは、鎖国のところには「鎖国ができたのは、必要な品がほとんど自給できたからである」といった旧態依然の説明は書くはで、なんともいえない。鎖国の説明は、生糸や砂糖や漢方薬は奢侈品だから「必要な品」でないとでも言いたいのだろうか? 
そもそも奢侈品は社会にとって不必要な品だというのは、マルクス主義の曲解としか思えない。権力の基底に生産関係なりなんなりがあるとして、しかし権力というものは自分を飾らなければ権力たりえない。その意味で支配権力をもつ社会にとって奢侈品は(そのすべてがとは言えないにせよ)不可欠な品である。それを否定するのは、「経済が土台で政治や文化は上部構造だ」という命題を、「上部構造は存在しない」という命題にすりかえるようなものだろう。
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東大入試に答えられない『詳説世界史』?

今日もほぼ一日入試の採点で終わった。
16世紀から20世紀初頭までのヨーロッパ勢力の東南アジアでの活動形態を二段階に分けて説明せよという東南アジア史の4問目は、同工異曲の問題が何度も出し、山川詳説でもはっきり書いてある。第3問のベトナムのチューノム(「字喃」という漢字表記は不適切)については、どんな使い方をするどんな文字かもいっさい教えないままで入試だけしょっちゅう出題する事態はけしからんと、再々述べてきた。

採点をしながら見ているうちに、『詳説世界史』(2014年版)に妙な地図を見つけてしまった。
170-171ページの「13世紀のおもな商業ルートと物品」という図である。何年版から入った図だろう?

日本から中国に渡るルートは鎌倉から本州・九州のどこも寄港せずに明州(寧波)に行くように書いてある。当時の日本随一の対外貿易港で日本初のチャイナタウンが成立していた博多がない図では福岡県の高校生に使わせるわけにはいかない。モンゴル時代のユーラシア・ネットワークについて答えさせる今年の東大世界史第1問で、指定語句に博多が入っている点から見ても、この地図は具合が悪い。
それに兵庫県でも使ってもらえないかもしれない。近畿最大の港である兵庫の津はいらないのか? 京都の朝廷や貴族は大陸貿易をしなかったと思っているのだろうか。
このごろ世界の学界で知られている日本(薩摩の硫黄島)の硫黄のような、日本の重要輸出品が書いてない。日本の輸出品として「銀・漆器」だけ書いてあるのは意味が分からない(銀を書くなら金は?)。
163ページには河北の定窯で作られた白磁の図版があり、あれは輸出品として有名なのだが、175ページの図で中国の産物としてはあがっていない。
ベトナム北部の商品「生糸」というのは、大航海時代と混同してないだろうか。
ベトナム中南部のところに輸出品として砂糖、銅、胡椒と書いてあるのも、全く意味不明である。18世紀なら砂糖は重要輸出品になるが、13世紀は聞かない。銅はほとんど産出せず、輸入品としてしばしば有名になるものである。他方、ベトナム中部は沈香の産地として中国や西アジアで有名だったが、それが書いてない(沈香産地はマレー半島も。逆にマレー半島のスズがこの段階で重要とは思えない)。
ジャワのところにも砂糖が書いてあるが、これも18世紀以降と混同してないか? 13世紀で書くなら綿布と胡椒であろう。他方、スマトラ島で胡椒が主要輸出品になるのは、マラッカ王国の段階ではないか。
これら13世紀の東南アジア・インド洋海域の貿易品については、1220年代に中国で編まれた『諸蕃志』という書物の記述がよく知られており、関西大学から訳注も出ている。

要するにこの図の作成者は、アジア交易の歴史が全然分かっていない。
これは来年度からでも訂正してほしい。


ついでに以下はあちこちで説明したが、188ページの「清代のアジア(18世紀後半)」の東南アジア部分はまずい。
ラオスの王権(ルアンパバーン、ウィエンチャン、チャンパーサックの3つに分裂していた)は、おおむねシャム(タイ)に従属していたが、ベトナムもしばしば宗主権を主張して介入したし、ルアンパバーンやウィエンチャンは清にも朝貢を続けている。清への朝貢国として日中両属の琉球を表示するなら、ラオスも同様に表示せねばおかしいのだ。

もうひとつ、292ページの「東南アジアの植民地化」の地図は、相変わらずマレー半島の英領全部が「マレー連合州」(複数形なので私は「連合諸州」と訳す)であるかのように表示しているが、これは完璧な間違いである。海峡植民地を除く9つの保護国・地域(=州)のうち、「連合」に含まれるのは4つないし5つで、残りは個別に保護条約を結んだ「非連合諸州」である。『詳説世界史』と同じ会社が30年以上前に出版した『世界現代史』シリーズに書いてあるこの事実を、教科書が無視し続けるのはどうしてだろうか?

所詮私の影響力などたかがが知れているのだが、この10年延々とやってきたことが全然受け入れられていないとすると、ちょっと拗ねたくなる。
3月4日の世界史教科書シンポ(立教)での私の態度がいつも以上悪かったら勘弁して下さい。

恩師の遺著

贈っていただいた。石井米雄先生が亡くなってもう5年になるんだ。

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モンクット王とパルゴア神父の話は、われわれの院生時代にもよくしておられた。「関西例会の日々」が本当に懐かしい。


『日本史学のフロンティア2』

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先日の第1巻は実に面白かった。こちらも読まねば。

ベトナムへの原発輸出

一昨年の6月の東南アジア学会でこの問題のパネルをやったとき、西村昌也さんも参加していた。


その数日後にかれは亡くなった。健在だったらどういう発言をしていただろう。

関大付属の日本史公開授業

関西大学附属の日本史の授業は、文系の受験組の日本史B(7人だけ)で、佐倉の歴民博所蔵の錦絵を見ながら、江戸時代後期の食文化について考えるというテーマ。食べ物屋を中心に江戸の各町内の売り物を並べた絵双六と、お大名も訪れる有名料亭を描いたものの2枚だが、生徒は鋭かった。「屋台など庶民的な食べ物(絵双六の下の方)と高級料亭など(双六の上がりに近い上の方)の両方が描かれている」「ソバなど現在もある食べ物が多い」「参勤交代みたいな行列が料亭を訪れている」など、とても大事な気づきだろう。

公開授業がたいていそうなるように、今日も時間切れで、最後は先生が「消費の増大と商品経済の発展」「貧富の差の拡大と一揆や打ち壊し」「幕府や藩の財政難と改革」など既習の構造的説明にムリヤリ結びつけて終わったのだが、もう1時間とってまとめができたら、生徒の素晴らしい気づきがもっと活きるだろう(私以外の参観の先生方も一致した)。
たとえばそこでは、絵に描かれた食べ物の材料や調理道具、食器がどこから来るかなどが示す流通と商品生産の発展。絵双六にお茶屋が多いことに気づいた生徒もいたので茶の生産・流通でもいいし、団子や餅菓子もあるので砂糖、ソバならそばつゆに必要なものを問う(醤油、みりん、昆布、鰹節など)のも可能だろう。食器や包丁がどこから来たかも問える。

もうひとつは人の移動。絵双六は江戸情報として諸国に持ち帰られたとのことだが、もともと参勤交代などで巨大な数の一時滞在者がいる江戸の構造、さらに江戸後期の労働力移動や観光の発展などにつなげて当時の都市生活をイメージさせるのは、生徒たちが将来「東京に出て行って暮らすかもしれない、しかしその後関西に戻るかもしれない」「その東京での生活もピンキリだろう」ということと結びつく、大事なポイントだろう。それとくらべると、鎌倉時代も室町時代も江戸時代も繰り返される「商品生産と貨幣経済の発展→階層分化と体制の危機」といった抽象的説明は、生徒にだけでなく教員にすら縁遠いことがらのように思われる。とくに「貨幣経済」は教員側がアダム・スミスや大塚久雄の時代の説明しか理解できないようだと、生徒の力になる説明は不可能である。

なお関西の生徒に江戸のことを教えてもやはりピンと来ない部分がある。
昨日の歴史基礎の議論でも出たが、「大阪名所図会」みたいなものを使って同じことをやるローカルバージョンがあってもいいように思われる
プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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