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百済のドラマ

これもBSで放映中の韓流歴史ドラマ『ケベク(階伯)』を最後の3回だけ見た。
以前から番組表で放映しているのは気づいていたが、ほかのドラマとおなしく100回ぐらいやるのかと思って放っておいたら、36回で終わりとは意外だった。
百済滅亡時に5000の兵で新羅軍を5万を4回破り、5回目で全滅したという点や、滅亡の原因が我が子を守ろうとする王妃の愚行にあるというストーリーは、真田幸村に似てる気がする。

高句麗や新羅のドラマがいろいろあるのに(百済はいつも敵役)、百済のドラマはないのかと思っていたらこれがあったわけだが、最後の3回の作りは粗い感じ。
新羅に内通したのが露見した王妃と腹心が、新羅に逃亡しようとして、2人だけで新羅の国境に現れるなど、爆笑のツッコミ所はあったが。
いろんなドラマをつぎつぎ見るからやむをえないが、おんなじ顔があっちのドラマこっちのドラマに出てくる。

ジェンダー史の解説・教材集


われわれの『市民のための世界史』よりもっと遅れたが、ようやく出た。

日本の専門家が西洋史に偏っているうえに、章立てを現行の高校教科書に合わせたため、ヨーロッパ中心主義を再生産しかねない面があるのを否定できないが、そこに注意して読めば、とても面白い本である。
「ジェンダーとは何ごとならむ」と戸惑っている「普通の男性研究者・教員」が勉強するのにも使えるだろう。
また、『市民のための世界史』にも、不十分ながらジェンダーや家族・女性・婚姻などにふれた部分がある。その背景を知りたい方も、この本や各ページにあがっている参考文献を読んでいただくといいだろう。

日本と中国の戦争に米国が巻き込まれる危険

毎日夕刊の「この国はどこへ行こうとしているのか 解釈改憲」
今日は寺島実郎氏が登場している。

冷戦期の残影である「集団的自衛権」という「周回遅れの議論」に日本が埋没しているという点をまず批判している。

日本では「米国の戦争に日本が巻き込まれる懸念」があったが、米国では今、「日本と中国の戦争に米国が巻き込まれる懸念」が芽生えているそうだ。ワシントンの一部研究者やジャーナリストの間では「日本のイスラエル化」と呼ばれているとか。「イスラエル化」とは、「好ましく都合の良い同盟国」だった日本が、「厄介な同盟国」になり始めたことを意味するというのが寺島氏の解説だ。それが極限まで行くと、「中国にとっての北朝鮮」になるのだろう。

-日本(政府)は「日米で連携して中国の脅威を抑え込む」と期待する。しかし米国にとっては「日本は大切な同盟国」であると同時に、中国もアジア太平洋の秩序を共同管理するために不可欠な存在だ。
という寺島氏の指摘を認めたくない日本人は多いのだろう。

しかしそんなナイーブな考えでは、やがてアメリカに「裏切られて」、かつての左翼が日本人民の敵とした「アメリカ帝国主義とその目下の同盟者としての日本独占資本」という規定をもじって、「米帝とその目下の同盟者としての中国共産党が日本を苦しめているという」構図を右翼が主張することになりかねない。その先に待っているのは、「鬼畜米英」と叫んで中米双方と戦争する事態かもしれない。

そんなのイヤだと思う人は、ここで日本が立ち止まれるように声を上げるべきだろう。

「高句麗広開土太王」最終回

サンテレビで、昨夜が最終回だった。
後燕の首都を占領し北魏もろとも足下にひれ伏させて凱旋。かつての広開土太王の盟友でありながら誤解から宿敵になった高雲(後燕の帝位に就く)もついに広開土太王の真意を理解する。

韓国ナショナリズムの溜飲が下がる大団円だろうが、高句麗が単なる朝鮮半島の国家というより、中原王朝や契丹など中央ユーラシア勢力とならぶ東北アジアの強国だったことは、日本でももっと理解されていいだろう。
最後の方で王妃とか百済王など重要人物が全然出てこなくなったのは?

その高句麗滅亡後を描く「テジョヨン(大祚栄)」もBSで放映中。
ここでも高句麗復興をめざすテジョヨンの集団と唐・契丹のかかわりが大きな柱になっている。
唐に攻め込むビルゲ可汗やトニュククなど突厥第二可汗国の面々も登場した。

もう一本、テレビ大阪の「大王の夢」は、少し前に高句麗の鉄器兵を破り、今は新羅の善徳女王(トンマン王女)即位前の動乱の最中。後に反乱をおこすピダム(毘曇)が前面に出てきたところである。廃位された先王の子で、復讐のためにあえて現王の実子ではない王子(実は流民の子)を即位させようとする王妃と組み、それによって階級社会を破壊しようとする「鬼門」の首領ピヒョンは、昨夜、トンマン王女にあくまで忠誠を誓う親友金庾信に斬られた。

雇用柔軟化の本質

毎日17日付「浜矩子の危機の真相」は「柔軟な雇用 ガレー船、蛸部屋の復活か」と、「雇用柔軟化」の本質をずばり突いている。
「柔軟な雇用という言い方は、一体、誰のための柔軟性を指しているのか。成果主義にせよ、ゼロ時間契約にせよ、これらはいずれも、労使関係において、リスクを一方的に使用者側から労働者側に転嫁する突破口となりかねない。」
まったく正しい。

雇用契約の中に特定の労働時間が書き込まれない「ゼロ時間契約」がまかり通るとどんなことになるか。
-正社員はダメ。だけど、ゼロ時間方式なら雇ってあげるよ。そういわれれば、就職難民たちは、同意せざるを得ないだろう。かくして、ゼロ時間契約にサインした途端、彼らの時間は、彼らのものではなくなってしまう。
いつ、仕事の声がかかってくるか分からない。夜中かもしれない。明け方かもしれない。子どもが病気のときかもしれない。大事な人とのデートの日かもしれない。久々に、親に会う約束の日かもしれない。だが、仕事に飢えた人々は、雇い主の一声を断れない。物理的に居場所を制約されていなくても、ゼロ時間契約は、弱者たちから自由を奪う。

この人が、これだけ悲痛な調子で書くのを初めて見た。

今が戦争への引き返し不能地点

毎日夕刊「この国はどこに行こうとしているのか 解釈改憲」
半藤一利氏のインタビューが、「今が「引き返せぬ地点」だと警鐘を鳴らす。1938年の国家総動員法に当たるのが今回の解釈改憲だという考えである。

インタビューの一部は
http://mainichi.jp/shimen/news/m20140519dde012010003000c.html
で読める(あとは会員登録が必要)。
プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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