世界史入試問題

阪大は去年の問題にひっかけた問題をまた出した。アンガス・マディソンの超長期のGDP変動の推計で、18世紀の西欧と中国を取り違えた回答が多かったことをベースにした問題である。今年の問題自体はイギリス「産業革命」と、中国の税制の変化という定番のトピックだったが、どのぐらいできたかな? 
産業革命を説明させる問題で人名・地名や特定の機械の名前を書いてはいけない、という設問にうろたえた受験生はいなかっただろうか(ワットやスティーブンソン、フルトンにハーグリーブズなど発明者の名前や、「ジェニー紡績機」などどうでもいいことを、放っておけばみんな書いただろう)?

私学でも一部論述問題が出ているようで、いいことだが、採点の業務量は過重負担になっていないか心配ではある。それとも受験者が減ったから可能になったのか?
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姫路のベトナム寺院で東日本大震災3周年法要

先日、日本ベトナム友好協会大阪府連合会と兵庫県連合会で合同で訪問した
ベトナム寺の和楽寺のご住職より以下のご案内がありました。

【東日本大震災犠牲者慰霊法要のご案内】

来る3月9日、東日本大震災から3年を迎えるのを前に、震災犠牲者慰霊法要を在日本ベトナム仏教寺院大南寺座主釈潤普が導師を勤め、大南寺を会場として下記の如く奉修いたします。また阪神淡路大震災犠牲者、水難事故者、自死者、水子、その他不慮の事故や病気で亡くなった方々の慰霊、先亡諸精霊の供養も併修いたします。
神戸和楽寺並びに姫路大南寺の役職員信徒関係者をはじめ、被災地から避難しておられる方、犠牲になられた親族友人知人のある方、そして被災地の惨状に心を痛め、慰霊の場を求める皆様方も、どうぞご参列ご焼香下さい。


日時 平成26年3月9日(日) 
   13時00分 開式 
   14時00分 慰霊法要 ベトナム明成寺住職 釈心満法師
   18時30分 閉式
会場 大南寺
   姫路市四郷町阪本157-1
お問い合わせ先 大南寺担当者電話090-3618-3773

なお、会場の大南寺は当日午前からご参拝頂けます。ご家族ご友人お誘い合わせの上ぜひお参り下さい。

西村昌也氏の遺作

西村さんの遺作を、西野範子さんが完成させた報告書である。欲しい方は西野さんに連絡を。
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この冬の調査で訪れた莫朝時代のニャーバウ城址(トゥエンクアン省)も取り上げられている。
あらためて、西村氏のフットワークに驚く。

海域アジア史関係の新刊書

それぞれ著者から頂戴した。
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海域アジア史を取り巻く学界の躍動はまだ続いている。

こちらはおまけで、歴評の室町時代特集。「地味な」室町時代だがアジア「近世論」にとっても大事な時代だろう。
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東南アジア史の大河ドラマ

院入試の間を縫って、「アジア史学基礎C」の採点をなんとか終了(追加レポートを命じなければならない学生が若干名出たが)。
くだんの「東南アジア史で大河ドラマ」は、6名がプランを出した。それぞれのテーマは

・阿倍仲麻呂とベトナム
・ベトナムの元寇(モンゴルとの混血児を主人公にする)
・鄭和艦隊と東南アジア各地の動き
・ポルトガル人で占領直後のマラッカに来て『東方諸国記』を書いたトメ・ピレスの人生と見聞
・マラッカ王国の繁栄と滅亡・鄭成功の東南アジア貿易
・鄭成功の東南アジア貿易

東南アジア側を主体にするという点が弱い答案が多かったが、それぞれグローバルに展開する面白いドラマができそうなテーマだ。

私のイチオシのテーマだが、授業ですっとばしたために残念ながらプランが出なかったのは、タイソン戦争を扱うものである(高校の授業でも阮福英やピニョーは教科書に出てくるから、それなりに面白い話ができるはずだ)。

まず、「ベトナムのナポレオン」とも呼ばれたグエン・フエ(阮恵)などタイソン三兄弟やその武将たち(末期に阮福英軍と戦って最期を遂げる女将軍ブイ・ティ・スアンなどもいる)の、壮烈な戦闘シーン満載である。清軍を破ったゴックホイ・ドンダーの戦い、シャム軍を撃退したラックガム・ソアイムットの戦いなどの栄光と、延慶城攻防戦、帰仁城攻防戦など追い詰められていく時期の血みどろの戦闘など、大迫力で見せたい。

ベトナム戦争と同様、チュオンソン山脈~タイグエン(中部高原)での戦闘や、山地民の帰趨が大事な意味をもった。当時の史料には「上道」という言葉が出てくる。
写真はジャライ省の、タイソン三兄弟の長兄グエン・ニャック(阮岳)が若い頃にジャライ族の首長の娘を妻にして拠点にしたという伝承を持つ山間の地と、「タイソン上道博物館」
DSC_6432.jpg DSC_6493西山上道博物館

阮福英がタイソンに追われてシャム湾を逃げ惑うところ、バンコクに亡命してシャム王ラーマ1世(アユタヤを滅ぼしたビルマ軍を撃退した英雄タークシンから王位を奪った男である)に臣従しビルマ軍と戦う話なども興味深い。サイゴンに舞い戻ったあとの阮福英政権の様子を目撃した日本人漂流民も、たしかいたはずだ。

阮福英の長子カインを伴ってルイ16世の宮廷に赴き阮福英支援の命令を引き出す話、それがフランス革命などでパーになったためポンディシェリーなどで自分で集めた義勇軍(阮福英の勝利後に、貴族に列せられてフエに住み着いた2人のフランス指揮官もいた)とともにベトナムに舞い戻る話などは比較的有名だろう。背景として、そもそもなぜピニョーがベトナムにいたかという、ベトナムへの伝道と各宣教会の縄張り争いの話も、最近いい研究が出ている。
黎朝最後の皇帝の亡命を受けて出兵を命じた乾隆帝、清軍敗北を取り繕うためにグエン・フエの偽物を北京に「謝罪」に行かせ高齢の乾隆帝をなだめてグエン・フエを冊封させた満洲人福康安以下の清朝軍人・官僚など、清朝側の動きも見逃せない。

インドシナ半島と南シナ海の諸勢力も、二つに分かれて争った。阮福英を助けたのはピニョー軍団だけではない。双方が華僑の頭目や中国人海賊集団と手を結んだ(乾隆末年から嘉慶年間は、広東などで海賊が大暴れする時期である)。また、タイソン反乱の時期に没落したのは黎朝・鄭氏やフエの阮氏(広南阮氏)だけではない。主因はシャムの出兵だが、名目上カンボジアや広南阮氏に服属しつつメコンデルタ西辺の港市ハーティエンに独自の勢力を築いていたマク(鄚)氏も没落した。

カンボジア・ラオスも2つに割れた。広南阮氏に追い詰められていたチャンパー(パーンドゥランガ)の一部はタイソンに賭けた。タイソン戦争はベトナムの内戦というより「インドシナ戦争」になった。
最後は嘉慶帝が海賊問題を理由にタイソン朝を見放したことなどで、タイソン側は孤立してゆく。ゴー(呉)氏、ファン(潘)氏など有名な文人一族でも、それに殉じた人々がいた。

こういうグローバル・リージョナル・ナショナル・ローカルな動きが入り組む中で、タイソン戦争は展開したのだ。面白くないわけがない。






東洋文庫で古代南アジア・東南アジア史のシンポ

とても行きたいのだが、別の会議と重なっている。残念。

東洋文庫国際シンポジウムのお知らせ

東洋文庫・総合アジア圏域研究班ではこのたび、南アジア・東南アジアに関するb国
際シンポジウムを開催するはこびとなりました。

The Second International Symposium of Inter-Asia Research Networks

"State Formation and Social Integration in Pre-modern South and Southeast
Asia: A Comparative Study of Asian Society"

開催日時等につきましては下記URLをご覧ください
https://sites.google.com/site/tbkenkyubulecture/kenkyukai-sinpo
なお、このシンポジウムは事前登録制(定員50名)とさせていただいております。
ご出席を希望される方は(公財)東洋文庫(Fax: 03-3942-0120、e-mail:
kouza@toyo-bunko.or.jp)までお名前、ご所属、ご連絡先を記した上でお申し込みく
ださい(定員に達し次第、受付の方は終了させていただきます)。

以上、どうぞよろしくお願いいたします。

(公財)東洋文庫
〒113-0021

東京都文京区本駒込2-28-21

Fax: 03-3942-0120

e-mail: kouza@toyo-bunko.or.jp
プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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