ベトナムの独立記念日

世界史の大学入試で出題されたことがあるので、ホー・チ・ミンの「ベトナム民主共和国独立宣言」は日本の歴史教育界でもそこそこ有名である。冒頭にアメリカ合衆国独立宣言とフランス革命の「人権と市民権の宣言」(日本で通常は「人権宣言」と呼ばれているもの)を引いて、こういう原理に照らせばベトナム民族は独立を認められて当然である、と主張したもので、社会主義とか共産主義とかいうことばは一言も出てこない。「わが人民はベトナムを日本の手から取り戻したのであって、フランスの手からではないというのが事実である」という一句があり、1944年末から45年春にかけての「200万人餓死」にもふれる。新日本文庫のホー・チ・ミン『わが民族は英雄』など何種類かの翻訳があるが、Wikipediaの訳はかなりお粗末である(植民地支配とか民族独立とかの理屈がわかっていないし、ベトナム語の理解も浅い)。

ホー・チ・ミンが率いた「ベトミン」は、日本軍降伏直後の1945年8月19日にベトナム全土でいっせい蜂起、9月2日にハノイのバーディン広場で、ホー・チ・ミンが自分で起草した独立宣言を自分で読み上げた。ネット上でその録音もすぐ見つかる。平易で調子のいい、名文である。この日がベトナムではngày Quốc khánh(国慶の日、ナショナルデー)として祝われている。日本では独立記念日と訳す場合も多い。

大阪でも祝う会があちこちで開かれる。日越友好協会のつどいは下記。
http://nhatvietosaka.jp/log/dokuritu201309.html
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何をやっても勝つ

ゴールデンイーグルスの状況。
則本昂大はそんなに凄味を感じないが打ちにくそうだ。
長谷部康平がリリーフですっかり自信をつけたか。
守備では藤田一也。
アンドリュー・ジョーンズがここへ来ていいところで打っている。
明日は田中将大が登板。あと5回ほどの先発で全部勝ったりして。

対するバファローズは弱いチームの見本のような拙い試合運び。
マリーンズの方も...

「西村昌也(日本) ベトナム考古学界の偉大な友人」

ベトナムの学術誌『考古学』の最新号(2013年3号)巻頭に、ベトナム考古学院院長であるトン・チュン・ティンさんが表記の追悼記事を書いている。またその次の論文は、西村氏の盟友だったグエン・ザン・ハイさんが「集落考古学--キムラン村のこだま」という題で、キムラン村(西村氏が葬られた村)を中心に書いている。


ティンさんの追悼文の冒頭には、ティンさんの案内で日本の小泉首相がタンロン皇城遺跡を訪問した際に、西村氏が通訳をしている写真が掲げられている。そのあとに、西村氏の日本とベトナムでの研究やその他の仕事について詳しく紹介しており、外国人としては通常考えられない存在の大きさがよくわかる。

読むのがつらい一節もある。
「ニシは身を削って仕事をしていた。それはときに度を超していた。楽観的な笑い声の裏で、ニシは仕事をかかえすぎた考古学者に共通のストレスに耐えていた。私がそれをはっきり悟ったのは、2010年初めにニシに通訳してもらってA大学で講義をしたときだった。当日の朝、教室に入る前に約束の場所に行き、かれと笑いながら話すつもりでいたところ、奥さんのノリコが来た。ノリコが言うには、「ゆうべニシはへばって家で寝ているので、私が代わりに通訳します」とのことである。わけを聞くと、かれは過労でダウンしたという。私は悟った。そうか、仕事のプレッシャー、食っていくためのプレッシャーがあるのだ。ああいうハイレベルな日本人の専門家には、そういうプレッシャーは(自分たちの)何倍にもなるのだ」

われわれみんなが、かれを使いつぶしたのではないか。日越国交40周年が終わったら忘れ去るような問題ではないだろう。



『日本の起源』

受贈本(太田出版刊)


帯の端っこにある「いつから私たちは「こんな国、こんな社会」に生きているのだろう。どうしてそれは変わらないのだろう」という問いに、「国民性」などでない答えを出してみせる、そこに歴史学者の役割がある。

土橋正幸氏も死去

尾崎行雄氏に続いて土橋正幸氏も亡くなった。
東映フライヤーズの栄光は遠くなってゆく。

西鉄ライオンズの没落ほど繰り返し語られることはないが、昭和40年代の首都圏でフライヤーズが強さと人気を保っていたら、パの歴史はずいぶん変わっていただろう。

現実のパ・リーグはゴールデンイーグルスにマジック点灯。ジョーンズが同点打。西武ライオンズ初優勝のときの田淵幸一と似た役割か。数字は低いがここというときの存在感が大きいのだろう。そして決勝打はまたまた銀次。
なかなか勝てないバファローズの金子千尋を見ていると、阪急ブレーブスの弱い時代の梶本、米田、足立などのエースたちを思い出す。

アジアはどういう面で「遅れている」とされてきたか?

文学部の1回生で専修を選ぶ参考にするための、「文学部共通概説」という授業がある。週に3コマほど設定されており、全体で6割ほどの教員が、自分の専門や所属専修について、1人1回の講義をする。学生はどのコマを受講してもよく、2人の先生についてレポートを出すことが義務づけられている。

私はほぼ毎年出演して、自分のベトナム史研究の概略と、阪大史学系および東洋史専修の独自性の紹介をしている。中身は、最初に歴史オタク(とくに系図オタク)から出発して「世界的権威」になった(???)自分の研究を紹介したあと、いつもの挑発のパターンで、「東大にも京大にも行けなかった屈辱を胸に」「趣味の学問をひっそりとやって」「卒業後は安定した地方公務員にでもなろう」という考え方がいかに間違っているかを力説する。阪大史学系、とくに東洋史はそういう場所ではなく、「巨人・阪神に指名されなかった野球選手」を「意味のある系統的な猛特訓」で鍛え上げ、「メジャーで活躍できる選手」や「複数のポジションができる貴重なユーティリティプレイヤー」「コーチや解説の達人」などに育て上げる場所だ、と説明する。日本史・西洋史へのマンパワーの偏在、世界情勢の変動なども示して、学生諸君が今までの常識通りに「無難な日本史」や「エレガントな西洋史」などに集まり、近隣諸国を含めアジアのことはよくわからないままにしておくことが正しいかどうか、これも挑発的に問いかけて講義を終える。

内心苦々しく思っている日本史や西洋史の先生がいるだろうが、近年の私は、至る所で公然と「日本史と西洋史が多すぎ、東洋史とくに東南アジア史が足りない」と公言しているので、もうだれにも止められないだろう。ただ阪大は「西洋史の先生方の多くが、今までの西洋史のありかたはもはや正当化出来ないことを公言している」大学である。また私は、東洋史や東南アジア史内部の弱点も再三指摘している「自虐史観」の持ち主であり、他分野の批判ばかりしているのではない。そういう私の挑発に、たくさんとはいえないが毎年1人、2人は乗って、もともとの第一志望ではなかった東洋史への進学を決意する。

さて、私のレポート課題は今年も使い回しで、以下のようなもの。170人ほどの新入生のうち、20人ほどが提出した。

「アジアの遅れた国々の歴史などは、進んだ欧米諸国の歴史とちがって、日本や世界にとって積極的意味をもたないから、少数のオタクが趣味で専攻するだけでよいのであって、みんなが勉強する必要はない」という意見に、この講義の内容も参考にしながら反論せよ。上の意見のどの部分に反論するかを明確にしながら、なるべく複数の反論のパターンを書いてほしい。

それぞれもっともらしいことを書いているのだが、気になったのは「アジアの遅れた国々」という部分への反論である。ほとんどの学生が「経済には進んだ遅れたの差があるが、「遅れた」アジアは今や世界の中心の地位を回復しつつある」「文化には進んだ遅れたなどはない、あるいはアジアの方が進んだ文化もある」の2点しか書いておらず、「自由や人権、民主主義などの価値や制度をアジア社会は自分で生み出せなかった(だからアジアは遅れている)」という考えに言及していない。では現実に新入生が受けてきた教育で、ふれてきたマスコミやネット・ポップカルチャーの世界で、そういう考えは過去の物になっているか。断じて否である。この問題を意識できないのは、不勉強のそしりを免れない。

経済の話はいわば社会科学批判である。文化・社会の話は人文学内部の話である。人文学とそれにもとづく近代ヨーロッパ中心の「教養」こそが、ヨーロッパ中心史観を支えてきたこと、それは質に関する議論なので、量的にとらえられる経済の中心がアジアに戻ったのちも維持されうる。そのことを自覚できる歴史教育を、全国に広げねばならない。
プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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