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與那覇潤「中国化する日本」第2回合評会案内

あらためて掲げておく。
土曜日が楽しみだ。わくわく。

第2回 日時:2013年3月2日(土)13:30開始
場所:大阪大学豊中キャンパス文学部中庭会議室

報告:「日本史・歴史教育の視点から」
1.高木純一(大阪大学博士後期課程・日本学術振興会特別研究員)
2.後藤敦史(日本学術振興会特別研究員)
3.久保田裕次(大阪大学博士後期課程)
4.後藤誠司(京都市立日吉ヶ丘高校教諭)
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「どん底への競争」止めよ

毎日新聞朝刊「異論反論」欄の雨宮処凛さんの寄稿。
生活保護切り下げは、214万人の当事者だけでなく(それだけいる!)、「自分には関係ない」と思っている多くの人に影響を与えるのだそうだ。

生活保護が最低賃金より高いことが問題になったが、生活保護を引き下げたのだから、最低賃金は上がらなくなる。しかし、いまの最低賃金でみんな食っていけるのだろうか。

生活保護費に連動して切り下げられるものがたくさんあるのだそうだ。
就学援助。住民税の非課税水準。保育料や国民年金の減免。障害福祉サービス。中国残留孤児やハンセン病患者への給付金などなど、38項目あるとか。

全部「ぜいたくを言うな」と片づけられる人は、他人を思いやる必要のない、幸せな人だ。
そういう人がたくさんいる日本は、いい日本ではない。

こういうことを「他人事ではない」と思う想像力、もとい思考力が育っていないとすれば、それは教育の欠陥か?

中東・北アフリカとどう付き合うか

今朝の毎日新聞の「記者の目」でテヘラン支局の鵜塚健記者が書いている。
日本では企業も外務省も、中東といえばどこもかしこも一緒くたにして危険だらけと考えて、及び腰の関わり方しかしない。
結果は、中国・韓国にビジネスでも途上国支援でも置いて行かれることになる。

欧米人が中国も日本も区別できないのを嘆く日本人はよくいるが、自分も同じことをしているわけだ。

阪大の二次試験の世界史(文学部・外国語学部)でもワッハーブ運動の問題が出ているが、そういう面での出来はどうだろうか。

安冨歩さんの論点

「原発危機と「東大話法」」の出版や、「魂の脱植民地化」のプロジェクトなどで知られた安冨歩さんの話は、與那覇さんの師匠というだけあって、期待通りにとても面白かった。

「学びてときにこれを習う、また楽しからずや」うんぬんという論語の文句について、中国・日本の従来の権威ある注釈・翻訳とはずいぶん違った読み方ができる、という話を枕に安冨さんが主張したのは、

1.われわれは日本語で考え表現する場合ですら、近代西洋的思考法のなかに取り込まれている。(東アジア関係学を創るには)そこから脱出して独自のことばをもたねばならない。
2.それは、「すでに確定した正しいことば」ではなく、そのための学びは、「学んだことが身についたと実感する喜び」を各自がそれぞれのやり方で感じるような、開かれたものでなければならない。

といった事柄だと理解した。2については討論でも、「正しいことばを覚える」やり方は必ず抑圧を生むこと、学問の「ディシプリン」というのはなにかを「見てはいけない」というタブーを共有することだ、などの点を強調された。また情報が幾何級数的に増加・氾濫している現在、「たくさん知ること」は学問の目標にならない、という点も明快に指摘された。

いっぽう私は、今までの講演や原稿と比べてもいちばん詳しく、阪大東洋史のカリキュラムや教育方法について紹介しようとした(が、前置きで外国人向けに「日本史・東洋史・西洋史の三区分」などの話をして、しかも通訳を気にしてゆっくりしゃべったら、本題である「阪大史学の挑戦」と東洋史の紹介をする時間が足りなくなってしまった。オソマツ)。名大の先生方や院生には興味をもってもらえたが、安冨さんの論点からすれば、こういう緊密なカリキュラムによる熱烈指導は抑圧につながるものとも言える。成田龍一さんに「1冊の教科書を作ってしまうことの権力性」を指摘されたのも、同質の問題だろう。

実際、阪大東洋史にも「体育会の先輩による後輩いじめ」に近いことがある。特に内部進学をした院生が、自分たちが学部時代にたたき込まれた知識やスキルを共有しない他大学出身の院生に対して違和感をむき出しにするようなケースは、阪大東洋史の教育がそれを強めてはいないかという反省的なまなざしが必要だろう。

ただし、今回のシンポで名大の院生も発言していたが、阪大のように熱烈指導をしていなくても、学部時代と別の大学や専攻に入学した院生に対しては、生え抜きの院生が違和感や敵意を示すケースが圧倒的に多い。

これは要するに、「自分と違う論理をもつ者に対しては、まず好奇心でなく違和感をもつ」という日本人の大多数の心性が問題なのである。それは小さいときから執拗に、どこまでも執拗に刷り込まれ続ける。大学歴史教育にたどり着くずっと以前で、「開かれた言葉」の芽は摘み取られている。もちろん大学歴史教育がそういう抑圧に棹さしてはいけないのだが、それをもって系統的教育を否定することにはならない(もちろん安冨さんもそんなことは主張していない)。

それにしても、阪大東洋史の仕組みが体育会的であり、「開発独裁」に似た側面を持っているのは事実だ。
それが無用になる日が来るだろうか?

東アジア関係学の構想

今回のシンポは池内敏さんがオーガナイズしたので、6人の報告者中で歴史学者が5人もいたのだが、主催した近現代日本文化研究センターの陣容を反映して、参加者は手伝いの院生も含め、文学や映画研究などの分野がほとんどを占め、歴史系があまり見られなかったのは残念だった。

ちなみに「東アジア関係学の構想」というテーマは、主催の日本近現代文化研究センターが4月から「アジアの中の日本文化研究センター」に改称することにちなんだものだそうだ。

ディスカッションでは、「東アジア」を「日韓(朝)中(台)だけ」でしかも「国民国家の寄せ集め」ととらえてはいけないという点で意見がおおむね一致した。ただ、地域研究とディシプリンとの関係についての議論は、東南アジアについて散々やった議論、最近の北大スラブ研の試みなどから見ると、やや素朴だったように思われる。

研究・教育交流のための言語をどうするかという点は、当然結論がでなかった。英語は必須だがそれだけではすまない。どうしても多重通訳・翻訳が必要になる。今回は発表者に合わせて初日は英語-日本語、2日目は中国語-日本語の同時通訳を使い、そのうえで中国語や韓国語の留学生によるwhispering(必要な人の横に座って耳元で通訳する)も配置したのだが、どうしても伝わらない部分はあった。報告集などはあらためて慎重にチェックすること、院生に複数言語の習得を促すだけでなくwhisperingや逐次通訳の経験を積ませることなど、交流の継続・発展のためには、いくつかの意識的な取り組みが必要だろう。

シンポでは上海の復旦大学と東大の協力などのきわめて大規模な取り組みも紹介されたが、日本近現代文化研究センターのような小規模なセンターの活動としては、院生のトレーニングという側面を含めて、いいシンポだったように思う。

韓国の人文学

名大の「東アジア関係学の構想」シンポに行ってきた。
いろいろ勉強になったのだが、今夜は遅いのでひとつだけ。

韓国の人文系用の大型予算HK(Humanities Korea)は政府が勝手に決めて大学に押しつけたものではなく、人文系学界の猛運動の結果できたそうだ。HKの10年間という年限は理系にもない長期のものであり、また社会科学用のSSKがあとから出来たがHKより小規模だとか。

人文系がこういう運動をする力があるというのは、直接には1970~80年代の民主化運動の担い手たちが活躍したせいだという説明だったが、背後にあるのは儒教知識人の伝統かと感心した。日本の人文系とはえらい違いだ。
プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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