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30分でわかる社会主義・共産主義(その2)

ここは複雑なので教養の授業ではあまり踏み込まずにさらっと流すのだが、「唯物史観」や「時代区分論争(たとえば中国史の)」について学ぶ院生などには、いちばん大事なところである。

2.マルクス・エンゲルスらの「科学的社会主義」理論(『共産党宣言』『資本論』など)
・人類社会は、平等な原始共産制社会→人が人を搾取する(現在も続く)階級社会→自由で平等な、階級も国家もない(将来実現する)社会主義ないし共産主義社会、と段階的に発展する、という理論[「史的唯物論(唯物史観)」にもとづく「発展段階説」]→資本主義社会は階級社会(資本主義以前には奴隷制、封建制などの段階があった)のもっとも高度に発展した、ということはつまり最後の段階である。
・それぞれの発展段階での社会のありかたを決めるのは、「生産力(技術水準など。つぎの生産関係によって邪魔されなければ自然に発展してゆく)」と「生産関係(生産財を所有する者と実際の生産労働を行う者との関係。「階級闘争」を通じてのみ発展する)」の組み合わせによって成立する経済構造[「生産様式」]で、その中で生産力と生産関係の矛盾が激化する(例:自由経済にもとづく近代工業が出現したが、国王や封建貴族が支配する古い身分制の仕組みと衝突し発展を阻まれる状態)と、生産力を発展させる方向で「革命」がおこり、社会はより高い段階へと進む。私的利益をめざして無計画に競争する資本主義では、恐慌(→生産の減退)が不可避なので、最後はもっとも豊かな(生産力の高い)社会に進むための革命が必ずおこり、直接生産者および社会全体の利益のために動く計画的な仕組みへの移行が実現する。
・それぞれの段階は、経済構造に対応した特有の政治・文化構造をもつ[土台-上部構造論]。階級社会の場合、それらは支配階級(農民に対する領主、工場労働者に対する資本家など、生産財を所有する人々=搾取階級)によって支配されるが[例:工業化された社会では、資本家(ブルジョワ)の代表が政権を握り国家権力を利用してもうけるだけでなく、教育を含む文化面でも金もうけや大量消費が美徳として刷り込まれる]、そのなかでも搾取を強化しようとする支配階級と自立しようとする被支配階級(=直接生産者)との矛盾・闘争が繰り広げられる。資本主義社会の終焉は、工場労働者(プロレタリアート)を中心とする革命によってもたらされる。

※プリントには書いてない(東洋史の)院生用の補足:
(1)「生産様式」「発展段階」などの「社会経済史(経済によって規定される社会構造=経済的社会構成体の歴史を研究する学問)」の考え方は、当時としてはきわめて理論的で、革命、恐慌や侵略戦争の歴史を鮮やかに説明して「過去の解釈でなく現在と未来の変革のための歴史学」を自任することができた。つまり「役に立つ」歴史学だった。しかもその理論性は知的刺激に満ちていたので、「面白い」歴史学でもあった。戦後の日本などで爆発的に流行した原因はこの両面にあった。
 しかし現在では、それらの理論は非常に旗色が悪くなっている。理由の第一はやはりヨーロッパをモデルに考案された理論なので非西洋世界にうまく当てはまらず、革命運動の役にも立たなくなったこと(ヨーロッパ史自体も、現在では大幅に刷新されているが)、第二に国・民族単位でしか考えられていなかったこと(マルクスは「世界経済」を論じる構想をもっていたとされるが果たさず、ソ連ではレーニン死後の権力闘争で「世界同時革命」が否定され「一国社会主義」が支配的になった)、第三は封建制なら農業生産力と土地所有形態にすべてを還元するような過度の単純化である。ただし、アメリカでウオーラーステインの「世界システム論」がマルクス主義と見なされるように(日本の「マルクス主義者」はひどく否定的だがこれは考えが狭すぎる)、グローバルかつ多変数的・複雑系的なとらえ方をすれば、「経済的社会構造」の「発展段階」をとらえることは依然、きわめて重要であると思われる。
(2)マルクス・エンゲルスは西洋社会について原始共産制-(古代)奴隷制-(中世)封建制-(近代)資本制という生産様式の段階的発展の図式をつくる一方で、アジアなど非西洋社会については当初、自力では発展や近代化ができない社会だという「停滞論」を信じていた。晩年になって「アジア的生産様式」(私有が芽生えているがまだ原始的共有制の枠を突破できず、所有は共有だが耕作は家族単位でおこなうような「アジア的共同体(農耕共同体)」が支配的である。ところが大規模な治水灌漑や防衛の必要性から早熟な国家が出現し、支配下のアジア的共同体から貢納を徴収する)という独自の生産様式=発展段階らしきものを唱えたのだが、これは奴隷制や封建制と同レベルの体系性をもつモデルかどうか疑わしく、アジア社会がそこから奴隷制や封建制(やがては資本主義や社会主義)に発展しうる形態なのかどうか、ヨーロッパにも原始社会と奴隷制の間に同じ段階があったのかどうかなど、あいまいな問題が多数残されていた。
 そこで日本人を含むマルクス主義理論家たちの間で第二次大戦前から、アジア的生産様式の理解に関する大きな論争がおこったが、アジア的生産様式の存在を肯定する論者が、「今でもアジア的生産様式のもとにある」中国の社会主義革命の可能性を否定してしまうなどの失敗があったせいもあって、否定的な議論が優生になった。スターリンはこれを独自の生産様式ではなく原始社会から階級社会への過渡期の形態にすぎないとして、世界のあらゆる国家ないし民族が遅い早いの差はあっても必ず原始共産制-(古代)奴隷制-(中世)封建制-(近代)資本制-社会主義という共通のコースを歩むと主張した。戦後日本の「歴研派」も当初はこの考えにしたがって時代区分論争を繰り広げた。そこでは「アジア」の特性よりも、「停滞論」を打破して「アジア(やその他の非西洋世界)も西洋と同じように発展できるのだ」と主張する点に主眼があった(レーニンに始まる考え方)。
 のちにスターリン式の「世界中が同じコースを歩む」という理論の無理が露呈する一方で、「共有制をもつ農耕共同体が資本主義を経ずに社会主義に進みうる」というマルクス晩年の仮説が発見されたことなどから、1960年代以降、アジア的生産様式論が再度注目を浴び(日本の学界でも)、西洋(奴隷制-封建制・・・)とは違ったコースで発展する歴史(将来は社会主義化するはず)があちこちで唱えられた。しかし1980年代以降には、「アジア」が「ヨーロッパの対極に仮想された世界」であって実態視できないことなどが常識になり、また農業や国家の研究が進んで「大規模治水灌漑を土台としたアジアの専制帝国」(マルクス主義の変形としてアメリカではやった「水力社会論」なども含む)というイメージも崩れたことなどから、「アジア的生産様式」という議論そのものは意味を失った。
(続く)


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30分でわかる社会主義、共産主義(その1)

「市民のための世界史」プリントの最後につけている特別付録である。
こういうのが必要な理由は7月21日に書いた。
一部の先生はご存じなのだが、ここで数回に分けて紹介しておこう。
実際はまともに講義すると60分かかる。

1.思想と運動の起源
・18世紀末~19世紀ヨーロッパでの資本主義の発展→「豊かさ」「近代化」とは裏腹な、経済格差の拡大と人間の尊厳の喪失、共同体の解体
・宗教心・道徳心を取り戻せと精神論をとなえるか、社会の仕組み(とくに私有財産制や資本主義など経済的な仕組み)を変えようとするかの選択→後者が「社会主義Socialism」「共産主義Communism」。暴動や協同組合運動などの模索を経て、19世紀後半から政党政治が一般化するなかで「社会党」「労働党」「共産党」などが出現。それらの中にも、貧困の解消や経済的平等を追求する発想と、人間同士の結びつき(コミュニティ)の回復を主目的とするような発想が併存。

最後の部分は一般に、必ずしもきちんと説明されていないが、かなり大事であろう(つづく)。

「市民のたjめの世界史」期末試験問題

「市民のための世界史III」(新入生向け)のほうの期末試験問題である。
前週に「日中関係」「ヨーロッパ諸国の世界進出」について出題すると予告しておいて、当日は「教科書・プリント・ノート類の持ち込み可」で試験をした。易しい問題ではないが、こういう大きなくくり方で考察や議論ができなければ、外交、ビジネスやマスコミなどどの世界でも「世界を考える」「世界とつきあう」ことはできない。

以下の2つの課題に両方とも答えよ。
I.7世紀初めから20世紀末までの日中関係の歴史のうち、①7~8世紀、②14世紀末~16世紀はじめ、③16世紀なかば~19世紀なかば、④19世紀後半~1945年、⑤1945年以後現在までの5つの時期について、簡単に説明せよ。それぞれの時期について、まず中国と日本との外交関係はあったかなかったかを書き、次に外交関係があった場合には対等な関係だったかそれとも非対等な関係だったか、対立・戦争があった場合にはどんな対立・戦争だったか、経済・文化面ではどんな交流がおこなわれたかなどに注意しながら書くこと。②③の時期の「日本」については琉球王国、④⑤の時期の「中国」では台湾の立場についても書くこと。
 (注意)
1.正確な年代が必要なのは④⑤の時代だけで、それ以前は「唐王朝が」「室町時代に」など政権や時代の名前を書くか、それでは不十分な場合でも「○世紀に~」「△世紀末に...」のように世紀を示せば十分である。
2.「外交関係」の有無とはどういう意味か、よく考えて答案を書くこと。現在の日本と北朝鮮との間には外交関係がない(貿易はしているし、ときどき「外交交渉」もおこなわれるが)。また日本と台湾の経済・文化交流はとてもさかんだが、これも正式の外交関係はない(日本政府は「台湾は中国の一部」という中国政府の主張を認めているので)。これに対し、冷戦時代の日本とモンゴル(当時はソ連側)は貿易も交流もきわめて少なかったが、外交関係はあった。

II.ヨーロッパの膨張と世界支配の過程について、①16~17世紀、②18世紀、③19世紀、④19世紀末~20世紀前半の4つの段階に分けて説明せよ。それぞれの段階について、ヨーロッパ側の主要な国家(③④の段階ではアメリカ「合州国」も含めること)、対外進出の対象となった主な地域、そこでの現地側との力関係、ヨーロッパ側の進出の目的や実現したことなどを、人・物・カネの流れに注意しながら書くこと。

Iは毎年やっている問題だが、今年は親切で(注意)をつけた。IIは阪大文学部の入試の過去問を加工したものである。答えはプリントの当該部分を見ればだいたい書いてあるのだが、教科書を主に見てしまうと(そうする学生はたいてい、教科書の組み立てが頭に入っていないので)時間ばかりかかってうまくまとめられなくなる。

Iでは注意書きをつけてもいろいろ間違いが出る。パターンとして「何世紀」でものを考えられない学生が多い。たぶん16世紀イコール1600年代と考えるような学生がいるし(初回の授業で「世紀」の意味は確認したのだが、そんなことは覚えていないのだろう)、他方では鎌倉幕府や元朝は何世紀だったかうまく思い出せない(考えられない)学生が少なくない。ピンポイントの年代暗記ばかりで世紀単位での把握をしない受験勉強のやり方に問題があるだろう。
もうひとつは、注意書きがあっても「外交関係」「国交」などの概念がつかめない学生がかなりいる。16世紀なかば~19世紀なかばの日中間では、その前半期の大規模な貿易関係を教わるので、「外交関係あり」としてしまう。逆に19世紀後半~1945年の時期は、日本の侵略や戦争のイメージから、「外交関係なし」と即断する。

なかには法学部で「外交関係イコール相互の国家承認、大使館の設置」などの近代的定義を丸覚えしてしまって、7~8世紀を「外交関係なし」とする答案もあった。法学部や経済学部にはこういう、近代社会(それも先進国の)だけに当てはまる定義や理論を普遍的なものとして覚えてしまうケースが少なくない、という注意点を思い出させられた。それでは歴史が理解できない以上に発展途上国とつきあえないので、しっかり指導する必要がある。

東京オリンピックから48年

オリンピックというと東京オリンピックについて、あれこれ思いだす。
通っていた小学校のすぐ下の国道を聖火リレーが通ったこと、親が切符を手に入れてサッカーの試合を見に行けたこと(オリンピック観戦のために学校を休んだ場合、公休扱いになった!)、「子どもの教育に悪い」とTVを買わなかった父親がオリンピックのためにTVを買ったこと、男子体操やレスリングの金メダルラッシュと「東洋の魔女」の活躍、柔道無差別級で神永がヘーシンクに完敗したショック、マラソンの円谷の銅メダルなどなど...

オリンピックの影でひっそりやっていたプロ野球日本シリーズは南海ホークス対阪神タイガース。スタンカとバッキーという外国人エースの対決だった。スペンサーの猛打などで前年の最下位から躍進した阪急ブレーブスは惜しくも2位。関西のプロ野球が輝きを放っていた時代である。

現在のプロ野球、マリーンズは相変わらずの拙攻。それなのに外国人補強は投手ばかりとは、理解に苦しむ。
ファイターズも負けたが、ライオンズが迫ってくる...

歴史がビジネスになる業界・職業

「市民のための世界史」は教養課程の方は期末試験をするのだが、「市民のための世界史S」は試験をしないかわりに、最終回にちょっと討論をしてもらった。

テーマのひとつがこれ。「歴史の知識や理解がビジネス(仕事)に生かせる業界・職業には、研究者や教員以外にどんなものがあるか」
・外交官、政治家、国際ビジネスの担い手
・観光業界
などはすぐ出た。
・伝統芸能や伝統工芸の世界、家元制の世界(お茶、お花ほか)なども出た。
・出版社、TV局、マンガ・アニメやゲームなどの業界
ももちろん出た。
・国際交流の場で生きる、
という意見もすぐ出たのだが、
・職業としての通訳・翻訳業
というのが案外出なかった。

史学概論に対する学生のツッコミ、悩み...

水2の「歴史研究の理論と方法」、最終回は補足と総合討論をしたのだが、私が最後にだめ押しで日本史の批判(日本史業界だけが、それが日本史だということがわからないようなタイトルの本や論文を書いて平気でいる、という定番ネタほか)をしたこともあり、コメントカードには「うんざりした」という手厳しいのも含め、反発や疑問がいろいろ出た(それで日本史や他の分野の学生も考えてもらえればいいのだが)。

・複数の学生から質問が出たのは、「歴史イコール自国史という観念」は日本だけか、というものである。
これはもちろん日本だけではない。ただ日本の日本史は、きわめて研究レベルの高い専門家が、とても単純素朴な観念や習慣を維持している点のアンバランスが、他の先進国よりひどいように感じるが。
また、アジアの多くの国では最近まで、自国史と欧米の歴史には関心があっても「まわりのアジアの歴史」への関心は皆無だった。そういう点では「日本のほうがまし」である。ただそれは「まし」ではあっても「21世紀にそのままでよい」ことを意味しない。
・「日本史に閉じこもらずに外の歴史を見ろと言われてもどこを見ていいかわからない」などのコメントもけっこうあった。史学系一般について「とれる講義が少なく専門性が高すぎて、自分でなにをどう勉強/研究していいのかわかる機会がない、学生を育てることになっていない」という意見もあった。2回生では無理もないし「講義(とくに特殊講義)の内容が学生の状況を考えずに決定され、専門性が高すぎる」点は教える側の大きな問題なのだが--「研究方法」を身につけさせる場として重視される「ゼミ」も、史料読みはきっちり教えても、こういう学生に「研究方法」を体得させるものにはならない危険がある--、学生の方も「それをだれかが完成したマニュアルとして教えてくれるまで自分ではなにもしない」ということでは困る。少なくともこの授業を含めたレポート課題について、
・複数の参考文献を読んで、その違い・対立点を要約する。
・(可能ならそれに関する史料も読みながら)それぞれの説の長所と弱点を考えてみる。
・以上を整理して他人にわかるように書いてみる(書いたら、それを他人の目で読んでみる)。
ぐらいの練習はしてほしい。また史学系の専門課程学生というからには、高校での履修歷にかかわらず世界史・日本史両方の概説を(各1シリーズぐらいは)読んでおくものだろうし、人文系の専門研究の前提として「新聞を毎日読む」ことは、今でも不可欠ではないか。

プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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