「市民のための世界史」第3回小テスト
先週は「市民のための世界史III」も「S]も都合で休講した。
その前の週に実施した第3回小テストの課題は、
日本は中国の制度・文化・宗教などのうち何を取り入れ、何を受け入れなかったか、唐までの時代を中心に説明せよ。
書いてほしいのは、
(1)受け入れたものでは、
・漢字ないし漢字文化
・仏教(および儒教)
・律令制(均田制、租庸調制...)
ほかに都城制もある(ただし都市全体を囲む城壁は造らない)。絵画とか雅楽などの芸術や、学術をあげてもよい。
(2)受け入れなかったものでは
・易姓革命の思想(むしろこれと逆の万世一系の方向に走る)
・科挙制
・宦官
などが基本だろう。
易姓革命はあまりぴんと来なかったのか、書いていない答案が多かったが、「日本にしかない天皇制はなぜ成立したか」が大問題だ、といった意識は今の学生・院生にはないのだろう。
受け入れたもので、学部1回生のほうは、弥生時代の稲作という答えがけっこうあったが、「技術も文化の一種」と考えるにせよ、あの時代の江南から来たものを「中国から来た」と言えるかどうかは、考えてほしかった。
今週やる小テスト(予告済み)は、毎度おなじみ「モンゴル帝国と元代アメリカ合衆国の共通点について説明せよ」
その前の週に実施した第3回小テストの課題は、
日本は中国の制度・文化・宗教などのうち何を取り入れ、何を受け入れなかったか、唐までの時代を中心に説明せよ。
書いてほしいのは、
(1)受け入れたものでは、
・漢字ないし漢字文化
・仏教(および儒教)
・律令制(均田制、租庸調制...)
ほかに都城制もある(ただし都市全体を囲む城壁は造らない)。絵画とか雅楽などの芸術や、学術をあげてもよい。
(2)受け入れなかったものでは
・易姓革命の思想(むしろこれと逆の万世一系の方向に走る)
・科挙制
・宦官
などが基本だろう。
易姓革命はあまりぴんと来なかったのか、書いていない答案が多かったが、「日本にしかない天皇制はなぜ成立したか」が大問題だ、といった意識は今の学生・院生にはないのだろう。
受け入れたもので、学部1回生のほうは、弥生時代の稲作という答えがけっこうあったが、「技術も文化の一種」と考えるにせよ、あの時代の江南から来たものを「中国から来た」と言えるかどうかは、考えてほしかった。
今週やる小テスト(予告済み)は、毎度おなじみ「モンゴル帝国と元代アメリカ合衆国の共通点について説明せよ」
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ローカルな歴史とグローバルな歴史
先週の水2の「歴史学方法論講義」(歴史研究の理論と方法)では、教科書(福井憲彦『歴史学入門』)の5章と6章をひとまとめにして、ローカルな歴史とグローバルの歴史の両方から国民国家史観(一国史観)を乗り越える方法について話した。
前半は諸理論の解説で、海域世界論や板垣雄三の「N地域論」をはじめとする多様な「地域」のとらえかた、ウオーラーステインからポメランツ、フランクその他へという世界システム論の展開などを紹介。「近代」が地域の多様性を均質化して国民国家に統合する時代だったこと、また国民国家形成の世界の一体化が同時進行した時代だったこと、「ポスト近代」に入って地域の多様性が再度主張される一方で、グローバル化が国民国家を押しつぶしながら進行していること、などに注意を喚起した。
後半は海域史ネタで中世の博多や琉球、蝦夷地、硫黄や銀など資源輸出大国としての中世日本、禅宗のネットワーク、近世の琉球と蝦夷地の「内国植民地化」などの話を取り上げ、ローカル~ナショナル~リージョナル~グローバルな歴史を連続的にとらえる(具体的には世界史・アジア史と日本史、日本の地域社会史をつなぐ)ことを説いた。
海域史ではおなじみのネタなのだが、最近教養課程で海域史の授業をしていないこともあり、学部2回生主体の受講生には、博多が東シナ海貿易の結節点かつ初期チャイナタウンの歴史の最重要遺跡であること、琉球や蝦夷地の歴史が東南アジア島嶼部の歴史とパラレルに進行することなど、新鮮な話が多かったようだ。
私が重視して、学部の英語論文を講読するゼミでも関連するテーマを取り上げているのが、交易の発展は自動的に国家形成につながらないことである。蝦夷地・北方世界やバンダ諸島(ナツメグの産地)、東南アジアの内陸山岳地帯(香木などの輸出品の宝庫)では、中・近世の貿易で大きな富が流れ込んだはずだが、首長制はできてもほとんど国家形成には至らなかった。ところがそこでは代わりに、国家のある世界と国家をもたない世界の境界上に、両者をつなぐことを基盤とした独自の政権が出現することが多い。海域世界と輸出用森林産物の産地である山・森の世界をつないだシュリーヴィジャヤやチャンパー(という連合体を構成した各地方政権)、日本の朝廷や幕府と蝦夷地をつないだ安倍氏、清原氏、平泉藤原氏、津軽十三湊の安藤(安東)氏、道南の蠣崎(松前)氏などがその典型的な例である。渤海・女真などの東北アジア勢力も似たようなものだろう。それは、「中央」側からみれば辺境の一勢力にすぎないが、後ろに「中央」からは見えない広大な後背地をもつことで成り立っている。
今回の授業に関する大事な質問や疑問が、コメントペーパーにあれこれ書かれてあった。、
・近代世界システム以前には、ヨーロッパに地域間分業はなかったか?
・近代とポスト近代の違いは何に由来するものか? 境目はいつごろか?
・ポメランツのような論法はヨーロッパ中心史観を批判してアジアを重視したことになるのだろうか?
などのグランドセオリーに関わる問題以外にも、
・「地域の視点」を重んじるなら「蝦夷地」という他称(支配者側の、差別感のこもった呼称)はまずいはずだが、そこを呼ぶ適切な自称がない場合にはどうしたらいいのだろう?
という地域・民族問題などでおなじみの難題も出てきた。「フィリピン」がこの問題を典型的にかかえていることはご存じのかたが多いだろう。アッバース朝やオスマン帝国が支配した地域をなんと呼ぶかも、ヨーロッパ人の観念である「中東」は使いにくいが、だからといって、「西アジア・北アフリカ・東ヨーロッパ」などとするのはいかにも冴えない。
研究者がよく打つ逃げの手は「蝦夷地」とカッコをつけることである。また、より客観的な用語として「北方史」という言葉が最近よく使われるが、これは普通名詞なので、「日本列島北方史」という、いささか長い表現にしないと、それが批判的に見ている「日本史」の中でしか使えないという矛盾がある。
「フィリピン」とか「モロ民族」(フィリピン南部に住むイスラーム教徒)などの場合は、「支配者側の蔑称を、被支配者側があえて自分のものにして、そこにプラスの意味を付与するという転換をへている」ために、外部の人間もそれを使ってかまわないのだ、と説明される。「文脈変換」という人類学などの用語が以前からあるが、そういう「本来自分のものではないものを、自分のものにして使ってしまう」ことを、最近の文化研究などではappropriationと呼ぶのだろう。
前半は諸理論の解説で、海域世界論や板垣雄三の「N地域論」をはじめとする多様な「地域」のとらえかた、ウオーラーステインからポメランツ、フランクその他へという世界システム論の展開などを紹介。「近代」が地域の多様性を均質化して国民国家に統合する時代だったこと、また国民国家形成の世界の一体化が同時進行した時代だったこと、「ポスト近代」に入って地域の多様性が再度主張される一方で、グローバル化が国民国家を押しつぶしながら進行していること、などに注意を喚起した。
後半は海域史ネタで中世の博多や琉球、蝦夷地、硫黄や銀など資源輸出大国としての中世日本、禅宗のネットワーク、近世の琉球と蝦夷地の「内国植民地化」などの話を取り上げ、ローカル~ナショナル~リージョナル~グローバルな歴史を連続的にとらえる(具体的には世界史・アジア史と日本史、日本の地域社会史をつなぐ)ことを説いた。
海域史ではおなじみのネタなのだが、最近教養課程で海域史の授業をしていないこともあり、学部2回生主体の受講生には、博多が東シナ海貿易の結節点かつ初期チャイナタウンの歴史の最重要遺跡であること、琉球や蝦夷地の歴史が東南アジア島嶼部の歴史とパラレルに進行することなど、新鮮な話が多かったようだ。
私が重視して、学部の英語論文を講読するゼミでも関連するテーマを取り上げているのが、交易の発展は自動的に国家形成につながらないことである。蝦夷地・北方世界やバンダ諸島(ナツメグの産地)、東南アジアの内陸山岳地帯(香木などの輸出品の宝庫)では、中・近世の貿易で大きな富が流れ込んだはずだが、首長制はできてもほとんど国家形成には至らなかった。ところがそこでは代わりに、国家のある世界と国家をもたない世界の境界上に、両者をつなぐことを基盤とした独自の政権が出現することが多い。海域世界と輸出用森林産物の産地である山・森の世界をつないだシュリーヴィジャヤやチャンパー(という連合体を構成した各地方政権)、日本の朝廷や幕府と蝦夷地をつないだ安倍氏、清原氏、平泉藤原氏、津軽十三湊の安藤(安東)氏、道南の蠣崎(松前)氏などがその典型的な例である。渤海・女真などの東北アジア勢力も似たようなものだろう。それは、「中央」側からみれば辺境の一勢力にすぎないが、後ろに「中央」からは見えない広大な後背地をもつことで成り立っている。
今回の授業に関する大事な質問や疑問が、コメントペーパーにあれこれ書かれてあった。、
・近代世界システム以前には、ヨーロッパに地域間分業はなかったか?
・近代とポスト近代の違いは何に由来するものか? 境目はいつごろか?
・ポメランツのような論法はヨーロッパ中心史観を批判してアジアを重視したことになるのだろうか?
などのグランドセオリーに関わる問題以外にも、
・「地域の視点」を重んじるなら「蝦夷地」という他称(支配者側の、差別感のこもった呼称)はまずいはずだが、そこを呼ぶ適切な自称がない場合にはどうしたらいいのだろう?
という地域・民族問題などでおなじみの難題も出てきた。「フィリピン」がこの問題を典型的にかかえていることはご存じのかたが多いだろう。アッバース朝やオスマン帝国が支配した地域をなんと呼ぶかも、ヨーロッパ人の観念である「中東」は使いにくいが、だからといって、「西アジア・北アフリカ・東ヨーロッパ」などとするのはいかにも冴えない。
研究者がよく打つ逃げの手は「蝦夷地」とカッコをつけることである。また、より客観的な用語として「北方史」という言葉が最近よく使われるが、これは普通名詞なので、「日本列島北方史」という、いささか長い表現にしないと、それが批判的に見ている「日本史」の中でしか使えないという矛盾がある。
「フィリピン」とか「モロ民族」(フィリピン南部に住むイスラーム教徒)などの場合は、「支配者側の蔑称を、被支配者側があえて自分のものにして、そこにプラスの意味を付与するという転換をへている」ために、外部の人間もそれを使ってかまわないのだ、と説明される。「文脈変換」という人類学などの用語が以前からあるが、そういう「本来自分のものではないものを、自分のものにして使ってしまう」ことを、最近の文化研究などではappropriationと呼ぶのだろう。
モルツ球団
「ザ・プレミアム・モルツ球団」が東北復興応援のドリームマッチを8月に開催するというスポーツ新聞の記事を見て、趣旨はけっこうだが、嫌な歴史を思い出してしまった。
「モルツ球団」は、1990年代に大ヒットしたサントリーのビールのCMに登場した、1970~80年代の日本プロ野球のスターを中心とする架空チームから名前を取っている。
その架空チームは、ファイターズの監督として語り口が人気になった大沢啓治を監督に据えていたが、9人の選手は、江川卓、ランディ・バースなど全員がセ・リーグの選手だった。黄金時代の西武ライオンズをはじめ、パの選手は完全に無視された。
CMを作った人に悪気はなかったのだろう。単にパのスター選手をだれも知らなかっただけに違いない。それにしても、「結果としての差別につながる無知は罪である」ことを絵に描いたようなCMだった。
文化事業への熱心など、サントリーという会社の姿勢には当時も今も感心するのだが、このCMをやっている時代に私は、サントリーのビールを飲むことが出来なかった。
「モルツ球団」は、1990年代に大ヒットしたサントリーのビールのCMに登場した、1970~80年代の日本プロ野球のスターを中心とする架空チームから名前を取っている。
その架空チームは、ファイターズの監督として語り口が人気になった大沢啓治を監督に据えていたが、9人の選手は、江川卓、ランディ・バースなど全員がセ・リーグの選手だった。黄金時代の西武ライオンズをはじめ、パの選手は完全に無視された。
CMを作った人に悪気はなかったのだろう。単にパのスター選手をだれも知らなかっただけに違いない。それにしても、「結果としての差別につながる無知は罪である」ことを絵に描いたようなCMだった。
文化事業への熱心など、サントリーという会社の姿勢には当時も今も感心するのだが、このCMをやっている時代に私は、サントリーのビールを飲むことが出来なかった。
出家するのはどんな人?
昨日のCSCD授業「歴史のデザイン」は、文化・芸術・宗教を担当する班が、教科書記述の状況や問題点などを紹介した。
図版などを使った新しい魅力的な解説も登場しているが、読んだこともない文学作品や見たこともない美術作品の作者・作品名を暗記させるという、「文化史」の欠陥は解消してはいない。
宗教史の場合、別の場所でも書いたが、キリスト教(特にプロテスタント)を「正常な宗教のありかた」とする史観で他の宗教が説明されていること、日本の戦後教育が軍事史と宗教史に「くさい物にフタ」をしてきたことなどが、問題にされねばならない。格差社会が続けば、食えない人間は寺院・教会(男女を問わず)か軍隊(男)、売春宿(女)に逃げ込むしかない、という鉄則が理解できない歴史教育を放置してはいけない。
発表のあとのディスカッションで、(他の授業でもよく使うネタなのだが)「近代以前の社会で、出家するのはどんな人だろうか」というネタを議論してもらった。
3つの班があるのだが、1つめの班は「権力争いに敗れた人」「貴族や支配者の次三男」「税役逃れをはかる庶民」など具体的な例をたくさん出してくれた。2つめの班は「権力・愛する人などなにかを失って、俗世を離れようとする人」「地位、学問などなにかを得るために出家する人」という、対照的な2つの方向性を指摘した。第3グループは、霊的体験をした人など、「きっかけ」を問題にした。どれも意味のある答え方である。さすがは阪大生。
いずれにしても、近代的な政教分離を前提に、単なる瞑想や修行、教義や儀式の場として宗教をとらえるのではなく、「俗人社会」とも重なり合った社会的(政治的、経済的、文化的、教育的...)な役割に着目しなければ、(前近代だけでなくポスト近代としての今日の)宗教を理解することにはならない。
図版などを使った新しい魅力的な解説も登場しているが、読んだこともない文学作品や見たこともない美術作品の作者・作品名を暗記させるという、「文化史」の欠陥は解消してはいない。
宗教史の場合、別の場所でも書いたが、キリスト教(特にプロテスタント)を「正常な宗教のありかた」とする史観で他の宗教が説明されていること、日本の戦後教育が軍事史と宗教史に「くさい物にフタ」をしてきたことなどが、問題にされねばならない。格差社会が続けば、食えない人間は寺院・教会(男女を問わず)か軍隊(男)、売春宿(女)に逃げ込むしかない、という鉄則が理解できない歴史教育を放置してはいけない。
発表のあとのディスカッションで、(他の授業でもよく使うネタなのだが)「近代以前の社会で、出家するのはどんな人だろうか」というネタを議論してもらった。
3つの班があるのだが、1つめの班は「権力争いに敗れた人」「貴族や支配者の次三男」「税役逃れをはかる庶民」など具体的な例をたくさん出してくれた。2つめの班は「権力・愛する人などなにかを失って、俗世を離れようとする人」「地位、学問などなにかを得るために出家する人」という、対照的な2つの方向性を指摘した。第3グループは、霊的体験をした人など、「きっかけ」を問題にした。どれも意味のある答え方である。さすがは阪大生。
いずれにしても、近代的な政教分離を前提に、単なる瞑想や修行、教義や儀式の場として宗教をとらえるのではなく、「俗人社会」とも重なり合った社会的(政治的、経済的、文化的、教育的...)な役割に着目しなければ、(前近代だけでなくポスト近代としての今日の)宗教を理解することにはならない。
文化人類学の先祖返り?
本屋で見つけて、栗本慎一郎『ゆがめられた地球文明の歴史 「パンツをはいたサル」に起きた世界史の真実』という本を買った。
氏が書いたポランニの経済人類学の解説本で蒙を啓かれた身としては、悲しい「トンデモ史学」の本である。
「ほとんどすべての日本人は、中学・高校の世界史の教科書だけで歴史の知識を得ている」という「はじめに」の第1行(p.2)から二重三重の意味で間違っている(もし著者の言う通りだったら、われわれとしてはうれしいのだが、残念ながらそういう状況になってはいない)ことは、歴史教育関係の方なら常識だろう。
「はじめに」での、「そこに言われている科学としての歴史と言ったって、知的思想的に劣っているものだ」(p.2)、「歴史を考えることは、実はつねに「異文化理解」という側面をもっているものだ。けれども、正規の歴史学とやらは、そんなことは全然無視している」(p.3)という記述などなど、本書では歴史学と歴史学者への口汚い攻撃が繰り返されるが、何十年前の話をしているのだろう。今はもう教えていない「絶対主義」の古い解説を得々とするような、個々の知識の古さは、言ってもしかたがないが。
ここに限らず著者は、
・敵の中のできの悪い部分でもって敵を代表させ、それをやっつけることで自分を正しく見せかける。
・自分に都合の悪い研究や自分の知らない歴史は、存在しないことにする。
・否定できないものはすべて正しいという論法を使う。
など、学知の持ち主としては恥ずかしい書き方を繰り返す。
これまた「はじめに」で、これまでの世界史を「ヨーロッパのゲルマン民族とアジアの漢民族(中国人)の自己中心的で勝手な俗説の寄せ集めなのである」と著者は書く。阪大では当たり前の説で、著者の発明だとはとうてい思えないが、代わりに中央アジアの北部草原の動きですべてを一元的に説明する論法は、著者が馬鹿にする歴史学者の一部が唱える「中央ユーラシア中心史観」と同様、論理的に支持できない。「ヨーロッパが最初から進んだ独自の地域だった」という虚構を批判するのは正しくても、「アジアとヨーロッパ」という二項対立自体は否定しない(オリエンタリズムを裏返しただけの)著者の論法も、私がいつもけなしてきた「裏返しのアジア中心史観」にすぎない。「賢い文化人類学者」はこんな非論理的なことをやらないはずだ。
ちなみに著者は、文明というのはエコロジカルな調和をこわす「病」である、ヨーロッパの「発展」(実は病)の根源は必ず正統派と強力な異端派が存在する二重性にある、などの大事な指摘をしているのだが、なにしろ初期の文化人類学や民族学が得意とした、アマチュア好みの時空を飛び越えた推論を縦横に振り回すうえに-中央ユーラシア中心史観は、それを今でも使っている部分がある-、「アジア・東欧北満洲起源説」を「人類史の主流」(p.23)などと肯定的に言ったりするものだから、せっかくの大事な指摘(もしかして中央ユーラシア中心史観へのキツイ皮肉??)が読者に伝わるとは思えない。
「最初から真実を求める人」(p.9)だけのために書かれた本書に、東南アジアなどは出てこない。アフリカも人類誕生以外は出てこない。私は人類学者からの、「歴史学者は進んだ者、強い者の立場でしかものを考えないが、人類学はそうではない」という批判を有り難かったと思っている人間だが、著者にとって(歴史を論じる場合には?)そんなことはどうでもいいらしい。
どの分野でも、人間年を取ると、子供時代や若いころの考え方に戻ってしまうことがよくある。著者の「とっくに消えたマルクス主義のドグマへの執拗な批判」「アームチェア人類学の時代への逆行」などはその例だと感じた。また、部分部分は良くても全体の構築力(まとめる力)が落ちることが多い。クラシック音楽で言えば、私の大好きなラフマニノフが作曲した、ピアノ協奏曲第4番はその痛ましい例である。本書も、いいことを書いている「部分」はあって、全体の構成はデタラメである。
百歩譲って、「今でもマルクス主義を信じている団塊の世代」向けなら、この本は使えるところがある。が、この本の内容は、大学生向けの講義で話されているそうだ。こういう「自己中心的で勝手な俗説の寄せ集め」を聞かされる学生は、困るだろうな。
氏が書いたポランニの経済人類学の解説本で蒙を啓かれた身としては、悲しい「トンデモ史学」の本である。
「ほとんどすべての日本人は、中学・高校の世界史の教科書だけで歴史の知識を得ている」という「はじめに」の第1行(p.2)から二重三重の意味で間違っている(もし著者の言う通りだったら、われわれとしてはうれしいのだが、残念ながらそういう状況になってはいない)ことは、歴史教育関係の方なら常識だろう。
「はじめに」での、「そこに言われている科学としての歴史と言ったって、知的思想的に劣っているものだ」(p.2)、「歴史を考えることは、実はつねに「異文化理解」という側面をもっているものだ。けれども、正規の歴史学とやらは、そんなことは全然無視している」(p.3)という記述などなど、本書では歴史学と歴史学者への口汚い攻撃が繰り返されるが、何十年前の話をしているのだろう。今はもう教えていない「絶対主義」の古い解説を得々とするような、個々の知識の古さは、言ってもしかたがないが。
ここに限らず著者は、
・敵の中のできの悪い部分でもって敵を代表させ、それをやっつけることで自分を正しく見せかける。
・自分に都合の悪い研究や自分の知らない歴史は、存在しないことにする。
・否定できないものはすべて正しいという論法を使う。
など、学知の持ち主としては恥ずかしい書き方を繰り返す。
これまた「はじめに」で、これまでの世界史を「ヨーロッパのゲルマン民族とアジアの漢民族(中国人)の自己中心的で勝手な俗説の寄せ集めなのである」と著者は書く。阪大では当たり前の説で、著者の発明だとはとうてい思えないが、代わりに中央アジアの北部草原の動きですべてを一元的に説明する論法は、著者が馬鹿にする歴史学者の一部が唱える「中央ユーラシア中心史観」と同様、論理的に支持できない。「ヨーロッパが最初から進んだ独自の地域だった」という虚構を批判するのは正しくても、「アジアとヨーロッパ」という二項対立自体は否定しない(オリエンタリズムを裏返しただけの)著者の論法も、私がいつもけなしてきた「裏返しのアジア中心史観」にすぎない。「賢い文化人類学者」はこんな非論理的なことをやらないはずだ。
ちなみに著者は、文明というのはエコロジカルな調和をこわす「病」である、ヨーロッパの「発展」(実は病)の根源は必ず正統派と強力な異端派が存在する二重性にある、などの大事な指摘をしているのだが、なにしろ初期の文化人類学や民族学が得意とした、アマチュア好みの時空を飛び越えた推論を縦横に振り回すうえに-中央ユーラシア中心史観は、それを今でも使っている部分がある-、「アジア・東欧北満洲起源説」を「人類史の主流」(p.23)などと肯定的に言ったりするものだから、せっかくの大事な指摘(もしかして中央ユーラシア中心史観へのキツイ皮肉??)が読者に伝わるとは思えない。
「最初から真実を求める人」(p.9)だけのために書かれた本書に、東南アジアなどは出てこない。アフリカも人類誕生以外は出てこない。私は人類学者からの、「歴史学者は進んだ者、強い者の立場でしかものを考えないが、人類学はそうではない」という批判を有り難かったと思っている人間だが、著者にとって(歴史を論じる場合には?)そんなことはどうでもいいらしい。
どの分野でも、人間年を取ると、子供時代や若いころの考え方に戻ってしまうことがよくある。著者の「とっくに消えたマルクス主義のドグマへの執拗な批判」「アームチェア人類学の時代への逆行」などはその例だと感じた。また、部分部分は良くても全体の構築力(まとめる力)が落ちることが多い。クラシック音楽で言えば、私の大好きなラフマニノフが作曲した、ピアノ協奏曲第4番はその痛ましい例である。本書も、いいことを書いている「部分」はあって、全体の構成はデタラメである。
百歩譲って、「今でもマルクス主義を信じている団塊の世代」向けなら、この本は使えるところがある。が、この本の内容は、大学生向けの講義で話されているそうだ。こういう「自己中心的で勝手な俗説の寄せ集め」を聞かされる学生は、困るだろうな。