京都市電・1974年

3月も路面電車から行ってみよう。私が大学に入った年の、京都市電の写真を引っ張り出してみた。
京都は町の規模、性格からいってLRTネットワークにふさわしく、実際、すでにドイツなどで進んでいた路面電車再生の提案(当時はLRTという言葉はなかったが)は再三されたのだが、市当局や市議会に理解されなかったのは、かえすがえすも残念である。しかも同じ時期に広島では路面電車再生が進んでいたのに。
明治時代にいちはやく当時最先進の乗り物である路面電車を導入した京都市の先進性は忘れられていた。その後の地下鉄の建設費による巨額の赤字(とくに悲惨な東西線の)は、だれが責任を取るのだろう。

最初は、入学後に知人からもらった烏丸線の写真。私の入学寸前に廃止されてしまった(四条通はもっと前に廃止されていた)。
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次は入学直後に下宿の近くで撮ったもの(高野と高野橋)。ラッシュ時には「急行」運転が残っていた。また四条河原町から高野までの13系統は本数が少なく、めったに乗れない路線だった。
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河原町今出川西詰め(左)と御所の北側の今出川通り(右)。12系統や22系統が走っていた今出川線と丸太町線も、私の入学後しばらくして廃止された。
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高校駅伝の選手も苦闘する北白川の急坂を上る
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銀閣寺道で南へ折れて錦林車庫へ。廃止寸前の様子である。
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ミナミに路面電車!?

昨日の夕刊(毎日)によれば、大阪府が市といっしょにまとめる予定の「グランドデザイン・大阪」の骨子案に、阿部野橋から天王寺公園、恵美須町、日本橋3丁目をへてなんばに通じるLRTの建設が盛り込まれる予定で、将来は緑地化する御堂筋を梅田まで延伸することも検討するそうだ。阿部野橋では阪堺電車との相互乗り入れを想定しているらしい(当然だろう)。

記事からよくわからないが、「民間から事業者を募る方針」とあるので、いわゆる「公設民営」にするのだろうか。ヨーロッパでは常識(日本でも一部で実施)のこのやり方でないと、建設費がかかるので民間事業者は乗らないだろう。日本では「何でもかんでも民営がいい」という幼稚な議論がまかり通っているが、EUの勉強をすればわかるように、インフラは公設・公有のままで運行を民間に委ねるなど、「上下分離」の方法がいろいろあるのだ(それについての注つきの解説もたびたび載せている「鉄道ジャーナル」は単なる趣味の雑誌ではない)。

ともあれ大阪復権に、これはいい構想だろう。札幌と大阪と2か所でLRTができたら、全国へのインパクトも半端でないはずだ。こういう「正しい政策」が出てくるところを軽視したら、「ハシズム」批判は成功すまい。

ついでに趣味の写真を紹介する。上段は警察の非協力などで廃止に追い込まれた名鉄美濃町線(新関駅)と岐阜市内線(夜の徹明町交差点)、下段はLRT化を進める富山市内線(すべて富山駅前)。対照的な道をたどった2つの都市の路線であった。
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*橋下政治については中島岳志と佐藤優が、それぞれ(賛否は別として)興味深い意見を毎日に書いていた。
**観光専用路線を別にすれば、周辺に一定の人口が固まっていないと成り立たないLRTの建設は、中心市街地の復権や中規模の通勤輸送(たとえばニュータウンの)などに適している。これは現在では、国交省などもようやく動き出した、地方都市再生のための「コンパクトシティ構想」と結びつくものである。いままでの自動車優先主義と規制緩和原理主義の結果、地方では買い物を郊外のロードサイド大型店でするのが当たり前になったが、それによる中心商店街の衰退を「改革を怠った自業自得」と思っている人も、クルマに頼った都市の拡散が高齢者につらいこと、低炭素社会に逆行していることなどは否定できまい。それに、道路の建設・維持やゴミ収集は行政がやるのだから行政コストの増加も馬鹿にならない。郊外型店舗での「安くて便利な買い物」がそういう行政コスト増を前提として成り立っていることに気づかない人たちに攻撃されたら、公務員は立つ瀬がない。

新自由主義と帝政ローマ

新自由主義の時代に学ぶべき歴史は、日本中世史だけではない。
ローマ帝国などもぴったりである。力による支配、無産市民の苦しみ、実質の改善より「カッコイイ演説」および「パンとサーカス」の政治、外部からしのびよる脅威...
すでにローマの民衆の衆愚化になぞらえて現代の庶民を攻撃する言論などもあるようだが、それを言うなら「支配層の奢侈と堕落、不見識」も言わなくっちゃ。

今朝のクラシカ・ジャパンでは、レオニード・コーガンの弾くベートーヴェンのバイオリン協奏曲をやっていた。中学生のころ大好きだった曲だ。

今月はブログをたくさん書いた。「仕事をさぼっていたんだろう」と言われそうだが、「書くことでしか晴らせないストレスがたくさんあった」という方向でご理解いただけるとありがたい。国際会議の英語のペーパーも書いたし(やたら長いので、ネイティブの校閲料が12万円もかかってしまった。おまけに、下敷きにした拙著の1章が論旨不明瞭かつ誤植多数ということをあらためて発見し、おおいに落ち込んだ)、採点や論文審査のあいまにタンロン関係の翻訳やら教科書の解説やら、いろんな仕事をしたのだ。

新自由主義と日本中世史

内藤湖南が「今の日本を理解するためなら、応仁の乱からこちらの歴史だけを学べばよい」という意味のことを述べたという、有名な話がある。では、日本中世史を学ぶ意義はどこにあるだろうか?

近代日本国家の前提となる「伝統」としての「天皇制」や「国風文化」「武家社会」、それに「日本型の家制度」などが中世に成立したものであること。これが第一の解答だろう。リーバーマンのいう、後世の国家にとってのCharterの成立である(ただしリーバーマンは律令国家から応仁の乱までを長い長いチャーター時代としているが)。つまり、現代社会とのつながりによって歴史を学ぶ意味を主張するのである。

*何度も書いているように、現在では鎌倉幕府の成立でなく平安中期(代表的には院政と荘園制から)から中世とみるのが学界の常識である。また、「実権はないがしかし天皇家以外の人間は絶対に位につけない」という意味の「天皇制」が確立するのも平安時代である。

第二の解答は、新自由主義が荒れ狂う時代には中世史を学べ、という理屈である。これは、「歴史は繰り返す」から、現代につながっていなくても学ぶ意味のある事象を見いだすことができる、という主張である。

平雅行先生その他の受け売りで、これもたびたび話したり書いたりしてきたが、中世日本では律令制によって国家がすべてを管理する仕組みが立ち行かなくなり、もろもろの国家業務は、法律家の家、軍人の家(=武士の起源)、陰陽道の家などなど、いろいろな「家」によって、一定の権益とひきかえの世襲的な請負制によって遂行されるようになった。また国家から離れたところで、農業開発や宗教活動などの公共機能を果たし、それをてこにして地域社会を牛耳るような「領主」や「寺社」の勢力も拡大した。要するに「民営化」や「アウトソーシング」が全面的に進んだのである。

結果はどうだったか。最近の理解によれば、平安~鎌倉期の経済はきわめて不安定で、トータルでも低迷が続いたらしい。「中世温暖化」は東日本には恩恵を与えたが、西日本はむしろ旱魃の激化などで経済停滞をもたらした可能性があるそうだ。
また、国家業務の請負化は、国家財産の私物化を容易にした。初期の上級武士は軍事貴族だが、下級武士は要するに暴力団や地域のゴロツキである。中世の特徴として「自力救済」「下克上」などがよくあげられるが、こういった連中が支配する中での自力救済というのは、「方丈記」のように天災を持ち出さずとも、じゅうぶんオソロシイ格差社会をもたらしたとしか思えない。要するに、かつての「暗黒の中世」像は、全面的に間違っていたとはいえないのだ。さる中世史の大家が「中世には暮らしたくない」と言ったとか言わないとか。

中世日本は、現代の新自由主義の社会ととてもよく似ている。では、中世に容易に見いだせる「そのなかでもたくましく生きていた人々」「新しい文化や社会の萌芽」を、現代社会は生み出せるだろうか?


海禁と朱印船貿易

中部本社版の朝日新聞に名大の入試問題が掲載されており、世界史で中島楽章さんと私の共著の「交易の時代の東・東南アジア」(『海域アジア史研究入門』所収)がリード文に使われているのを発見。名大は研究者の著作をよく使うようだ。

リード文の穴埋めや語句を答える問題以外に、「明朝の海禁=朝貢体制」「朱印船」についてそれぞれ説明させる論述問題が出ていた。世界史(アジア史)と日本史の接続にとって超重要なテーマなのだが、まだまだ現場できちんと理解はされていない。
朝日の解答例もあんまりいい解答ではなかった。高校現場でも、海禁=朝貢体制と日明貿易(通称「勘合貿易」)、いわゆる後期倭寇(および秀吉の朝鮮侵攻)、それに朱印船などを一連の流れとして結びつけた説明をしてほしい(琉球王国の盛衰もそこに入れれば完璧)。阪大では2007年の世界史の問題で、そういう理解を問う問題を出しているので、知らない方はこの機会にぜひ見ていただきたい。これらの流れと、16世紀に始まる「銀による世界の一体化」の両方を理解しないと、現在まで日本のありかたに影響している江戸時代の鎖国の意味がわからない、というのが海域アジア史のキモである。

蛇足で、ネットをみていて「海域アジア史研究入門」を「海洋アジア史研究入門」とまちがえて紹介してくれているブログを発見。中身は好意的なんだけど、タイトルは訂正してくれるといいな。

江夏豊と林義一

新聞の書評欄に出ていたので買ってみた。「ただの主力投手」と「エース」の違いの議論は、「4番打者」も同じだと書いてある点も含め、大事なポイントを突いている。また落合博満論が、選手・監督のどちらについてもおもしろいのは、「一匹狼」同士の親近感のなせるわざか。
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江夏豊といえば、オールスターの9連続三振(たしか前の年の最後の登板も連続三振を取っていて、通算十何連続三振のはずだ)、日本シリーズの「江夏の21球」など、パリーグがさんざん煮え湯を飲まされた投手だが、高卒2年目でシーズン400奪三振とか、とんでもないピッチャーだったことはまちがいない。球種が少ない分、いろんなことを考え工夫したピッチャーだったことは、本書からもよくわかる。「考えずに投げた」ピッチャーの代表として江川卓をあげているのには吹き出した。かれがブレーブスかライオンズに入っていればそこも変わったのではないかと、今でも考えることがある。

教育という点で興味深いのは、野村克也の話もそうなのだが、江夏が2年目に1年だけ指導を受けていまだに「決定的だった」と言わせているた林義一の話。
大映スターズというチームのエースだった人だ。大映スターズ出身のコーチでは、大杉勝男を「月に向かって打て」と言ってホームラン王にした飯島滋弥という人もいた。オーナーの永田雅一(もとは岸伸介の秘書かなにかをやっていた人。西本幸雄とケンカして1年でクビにした人でもある)を含め、滅びたチームだが大事な役割を果たしていた。現代史の重要なひとこまである。
プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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