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純パの会の30年と西本監督

このブログで何回か紹介した「純パの会」の会報が送られてきた。まもなく30周年だそうだ。
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30年前の1982年といえば、西武ライオンズが初優勝した年だ。西鉄時代から生き残った東尾修、そして田淵幸一や山崎裕之ら「トウが立った」と思われた他球団出身の大物、さらに松沼兄弟や森繁和、石毛宏典のような若手、外国人のスティーブ、テリーなど、それぞれが活躍していた。その4年前に日本シリーズでブレーブスを破ったときには「悪魔」に見えた広岡達朗が、このときは輝いて見えた。あそこから始まったライオンズ黄金時代は、巨人以外のチームでもこういうことができるんだと証明した点で、プロ野球を大きく変えたと思う。

「純パ」会報の2面以下は、西本幸雄さんの追悼記事が並ぶ。ある世代以上のパリーグ・ファン(特に関西の)にとって、本当に大きな存在だったのだとあらためて感じる。江夏豊が西本さんのもとで野球をやってみたいと思っていたというスポニチの内田雅也さんの記事にはぐっときた。

西本さんが無名選手を鍛え上げたように、「ダルヴィッシュが去った」今年のパリーグも、若手をどんどんブレークさせてほしい。オーナーや球団社長も、堤義明と根本陸夫のように強烈な経営手腕を見せてほしい。



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「体育社会科」その2

昨日の高橋先生のコメントは、「体育社会科」教員と「センター入試至上主義」教員を別グループととらえてはいけない、両者はつながっている、ということだと受け止めた。貴重なご指摘、ありがとうございます。

別の言い方をすれば、センター入試至上主義がしっかりした市民・社会人育成から見てマイナスであることと、部活強化が往々にして「大学や社会人で通用しない選手」を育ててしまうこと、などの問題はおなじ根っこをもっており、そのことが視野に入る教員や部活指導者を育成しなければいけない、ということだろう。

私が授業でいつも高校野球のPL学園を高く評価するのは、甲子園で勝ちまくっていたときはもちろん、その後あまり勝てなくなってからも、プロで活躍する選手を出し続けていることだ。「大学入試の成績」「甲子園の成績」だけ上がれば卒業生がその後どうなろうが知ったこっちゃない、という考え方でなく、生徒たちの卒業後の長い人生のありかたに着目した「成績評価」の物差しを、高校に限らず学校教育に広げなければいけない。

「そんなことは理想論にすぎない」と言わずに真剣に考える必要があるのは、目前の成績だけで教員をクビにするような条例を作ろうとしているどこかの府や市の教育関係者だけではないはずだ。

同様にわれわれの側でやらねばならないのは、「新しい学問の動向を勉強しないと受験指導ができない」と思わせるような入試問題を、センター入試や有力私大の入試に導入する(もちろん中長期的には、秋入学などにも合わせて入試のありかたそのものを変えること)という、これまたたいへんな仕事である。

とても大きくてたいへんな仕事である。しかし過去の人類は、「できるかどうか」でなく「やらなければならない」ことに、しばしば直面してきた。歴史を学んでいるわれわれが、それに目をつぶるのはおかしい。

一点、蛇足だが、「成績より中身としてよい教育をしたい」と願う教員や研究者には、成績至上主義者の「マニュアル主義」への不信感が強い。しかし、「中身かマニュアルか」という二者択一は論理的に正しくない。「マニュアルそのものを馬鹿にする態度」で、マニュアル主義者を屈服させることは不可能である。「中身があればよいマニュアルが作れる(使える)」とならなければいけない。

同様に、一般論ではマニュアルの必要性を認めながら「そういうよい中身を完成するのが先決だから、当分マニュアルの話などしてはいけない」という論法で実質的にマニュアルを否定する人も(とくに大学に)たくさんいるが、それも論理的に正当化できない。そのような「中身の完成」は永遠に訪れない(もし訪れたら、その瞬間にその学問は「使命を終えた」ことにならないか)。



「体育社会科」

歴史教育研究会に来る高校の先生から、「体育社会科」(の教員)ということばを教わった。
運動部の顧問や監督が本業で、そうなるための手段として社会(地歴・公民)の教員になった人のことをいうのだそうだ。

昨日のスポーツ新聞には、選抜高校野球の出場校の詳しいデータが出ていた。このごろの老化現象でスポニチか報知かどちらだったかをもう忘れてしまったのだが、32校の監督中、保健体育教諭が15人についで、社会科教諭が7人を占めていた(その他の科目は1人か2人ずつ。学校職員や副校長と書いてある人もいた)。数学・理科や英語のような専門性が不要(に見えるだけだと思うのだが)で、しかも経済・経営系や法学系、人文系などいろいろな学部で免許が取れるため、社会科教諭が多くなるのだろう。

それが一概に悪いことだ、ケシカランというつもりはない。しかし、われわれが目ざす歴史(社会科)教育をしてもらうには、「センター入試用の暗記教育しか考えない先生」とはまたちがった方向で、上手な働きかけを考えなければいけないだろう。新しい課題が認識できた。

牛の気持ち

堅い話題が続いたので息抜きをひとつ。
好きな動物はいろいろあるのだが、親近感という点では牛である。

ベトナムの田んぼや道で、スローモーだが黙々と働く牛、のんびり寝そべる牛あるいは水牛を見ると、「同族意識」を感じてしまう(最近のおしゃべりな私しか知らない人は意外に思うかもしれないが、子供のころの私を知っている人なら納得してくれるだろう)。

年末年始の調査でも、あちこちでつい写真を撮ってしまった。ドイモイ前の牛と違って、このごろの牛は私のようにがりがりにやせてはいないが。
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DSC_4979ディンチュア・クアンモーの前で DSC_4980.jpg DSC_4987.jpg
DSC_4991クアンミン社(ヒエップホア県)xom Phu ThiのHoang Van Dangさん宅

そういいながら私はバター、クリームなどの乳製品だけでなく、牛肉も好きである。
さらに今回のバクザン調査では、流行だということで水牛の料理を食べてしまった。食肉用に飼育しているのだそうで、思ったより柔らかくて、たしかにおいしかった。
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牛さん、水牛さん、ごめんなさい。










地下鉄の弱点

大阪人はよく、東京の地下鉄の各路線が東西方向ないし南北方向の直線ルートになっておらず、互いに直交していないことを、「わかりにくい」と馬鹿にする。

これに対し、今月の鉄道ジャーナルで指摘されているように、大阪市営地下鉄には、東京と比べて他社との相互乗り入れが遅れていることによる不便さがある。昔の「市営モンロー主義」が原因といわれる。今から相互乗り入れしようと考えても、堺筋線以外はみな線路の脇に敷いたもう1本のレールから電気を取る第3軌条集電方式だから、パンタグラフで集電する私鉄やJRの路線との相互乗り入れはできない。

「市営モンロー主義」は、近鉄と阪神を難波で相互乗り入れさせればそれで十分なところに、わざわざ千日前線を別に作ったような弊害も生んだ(リニアモーター路線以外ではもっとも乗客が少ない)。他方、東京では最初に作った銀座線と丸ノ内線に乗客が集中しすぎないような路線網を早くから作ったのに、大阪では新大阪駅や千里ニュータウンえの延伸も、中百舌鳥駅での南海高野線・泉北高速との接続も全部御堂筋線にしてしまったから、御堂筋線だけが全国トップクラスの乗客を運び、他線はいずれも東京で言えば閑散路線の代表格である都営浅草線や三田線よりずっと少ない乗客しか運べないことになってしまった。このアンバランスはちょっとひどい。

なお大阪でも東京でも、地下鉄にはもともと乗り換えなどで長い通路を歩かせても平気という無神経な駅の設計が目立ったが、ある時期以降に建設された路線で、見込みを大幅に下回る乗客しか集まらないことが多いのは、そうした不便さがいよいよ耐えがたくなってきたせいである。
具体的には、新しい路線は既存の路線と交差するためにものすごく深いところを走るケースが多いこと(たとえば大阪の永堀鶴見緑地線、東京の大江戸線)、それに深いトンネルを掘ることや建設費一般の高騰によって運賃が高くなることなどが問題である。その路線が、初期に建設され乗客の多い路線のバイパス路線として建設されたケースなど、競合する路線がある場合には、駅が地下深くて乗降や乗り換えに時間がかかったり運賃も高いのでは、勝負にならない。それどころか、地下鉄は3キロとか5キロとかの近距離利用が多いが、そういう距離で目的地までのドアツードアを考えると、体力のある若者なら自転車で走った方がよほど早いということになりがちである。LRTに切りかえるのでなければ、通路の大幅改善や、郊外路線とつないだ急行運転で新たな層の乗客を誘致するなどの策を組み合わせないと、鉄道の機能が果たせないのである。

もう1点、言い古されたことだが、欧米で出来て日本で出来ないのは、大都市内ではどの社の路線を利用しても同じ区間(距離)なら同じ運賃、同じ社の路線だけ乗っても別の社の路線を乗り継いでも同じ区間(距離)なら同じ運賃、という共通運賃制である。
日本では東京メトロと都営の乗り継ぎのように若干の乗り継ぎ割引はあるものの、基本的に別の会社の路線に乗り継げば別々に運賃を払わねばならず、近距離区間を乗り継いだ場合には、同じ距離を1つの会社だけの路線で移動した場合と比べてひどく割高になる。
人口があまりにも多く、相互乗り入れないで全部の乗客をターミナルで乗り換えさせたら大変なことになる東京ですら、都営浅草線と京成・京急の相互乗り入れのように、国鉄=JRと全面的に競合する路線では全然乗客がつかなかった。それは路線の立地自体が不利なことやダイヤのまずさもあるが、ほとんどの区間で2社ないし3社合計の運賃が並行する国鉄(JR)より高くならざるをえなかったことが決定的な原因だろう。
JR同士では別々の運賃にしなくても売り上げの適正な分配ができるのだし、共通カードがこれだけ普及しているのだから、JR・私鉄と地下鉄を合わせた東京都内共通運賃体系のようなものもできると思うのだが。

このような点を改善しないと、不景気や人口減少のなかで地下鉄の役割はどんどん縮小しかねない。トータルの所要時間や運賃を考えないままで大きな路線網を作ってしまった日本の地下鉄の歴史と現状にも、日本社会の問題点がはっきり示されているように思われる。

最終回の授業

まだ2月に食い込む授業も残っているが、今週で終わりの授業も多い。
火曜日は大学院ゼミ、水曜日はベトナム史の特殊講義と学部のゼミ、今日は東洋史の合同演習と大学院のオムニバス講義「歴史学のフロンティア」などが、それぞれ最終回を迎えた。

「歴史学のフロンティア」は森宣雄さんを聞き手にして冨山一朗さんの学問と思想遍歴(?)を語ってもらう会を下のだが、経済学、地域研究、心理分析、人類学、そして沖縄、社会変革などについて冨山節が聞けて、とても面白かった(なにがなんだかわからなかった院生もいたと思うが)。特定の学問分野(分析方法)に閉じこもらず、現実の問題と問題意識につぎつぎ「巻き込まれていく」冨山さんのスタンスと語りには、大事な問題が含まれていると思う。

合同演習のほうは、中央アジア史の院生発表2本。どちらもよく調べていて中身は面白いのだが、例によってまとめかたに課題が残る。
たとえば、隋唐帝国における遊牧民の役割や中央ユーラシア的原理の影響を強調するのは正しい。その例として、唐帝国の軍事面で支えたのは府兵制などではなく「覊縻支配」下の遊牧軍団であったことが、さいきんつぎつぎ指摘されている。それに関する発表をYさんがしたのだが、太宗が個人的な結びつきで重用した3人の蕃将の大きな役割を指摘したストーリーはとても面白かった。そこにモンゴル帝国のケシク制に象徴される遊牧民の支配者と近臣の結合の仕組みが影響していただろうという指摘も、たぶん正しいだろう。
問題は、支配者と私的に結びついた近臣集団が国家を動かすしくみは遊牧国家固有の特徴であるかのように聞こえる説明をしてしまったこと。

Rさん自身はそのつもりではないのだが、これは従来の遊牧国家の研究者がこういう言い方を、しばしば論理をきちんと詰めずにしてきた点に問題がある。そういうしくみが遊牧国家に一般的に見られたことは事実だろう。しかしその事実は、それが「遊牧国家に固有」であることの証明にはならない。合同演習に出ている学生・院生・教員から、当然そこを突っ込まれた。

たとえば唐は、いちおう「中華帝国」にはちがいない。とすれば、経書や春秋戦国時代~秦漢の歴史に見られる支配者とその仲間や部下の人格的結合(漢などの古代帝国の成立を「任侠的結合」から説明するような理屈もあった)を無視して、遊牧的原理の影響だけで説明していいだろうか。
きびしく言えば、こういう点で遊牧的原理を強調しすぎると、逆に漢民族王朝は完璧な非人格的官僚制によって動いていた(そんなことは、近代にすらありえない)という理屈になって、かえって「中華帝国主義」(中央ユーラシア史学界が批判してやまないもの)を美化することにないかねない。実際に中国の官僚が完全に公的かつ非人格的に動くのだったら、なぜ科挙の「殿試」は必要だったのか? 「なにが遊牧的かを問うなら、なにが中国的かも問わねばならない」という片山先生の指摘はまことに正当である。

もう1点、日本史のT君が指摘していたが、官僚機構より支配者と私的に結びついた近臣集団が優越するのは、室町幕府がそうである(たぶん院政期も同じだろう)。ここは日本である。日本人が日本語で発表する際に、日本によく似た状況があるものを無視するとしたら、それは正しくない。

ほかにも、今学期の特殊講義で論じたわが大越李朝をはじめ、近臣集団の役割が大きい国家や時代はたくさんある(東南アジアの「マンダラ国家論」は、官僚制でなく「取り巻き集団」が国家を動かす点も強調している)。

国家の成立期にこういうことは一般的に見られるのではないかという質問も出たが、唐代後半に宦官の権力が強くなったケースなどもあり、成立期だけとは言えないと思う。

ある国家の支配領域や業務のなかに、官僚組織や部族や地域・身分・職能集団などがフォーマルにカバーしきれない部分があれば、それこがインフォーマルな紐帯によってカバーされるのは、ある意味当然だろう。ただそこにも、ケシクとか宦官とか義兄弟結合とか、個々の条件によっていろいろな具体的形態があり、その現れる頻度や制度化のされかたもそれぞれの国家や時代によって違う。そうした広い比較をへてなお残る特殊性とそれを成り立たせる背景が説明できれば、ケシクやネケルなどの議論は完璧になるだろう。

かつて東南アジア史研究は、ナショナリストの研究もアメリカ的「地域研究」も共通して、インド中心主義や中国中心主義に反発するあまり、インドや中国と違う要素を見つけ出しそれを「ベトナム固有」「インドネシア固有」「東南アジア固有」などと説明することに熱中した。それは大きな成果もあげたが、あるところまで来ると、インドや中国にないから東南アジア固有とはいえないこと、インド(中国)か東南アジアかという二者択一は、インドや中国をかえって、建前として主張されるだけで実態はそうではない一枚岩の帝国や大文明にしてしまう、という矛盾に気が付かざるをえなかった。中央ユーラシア史にその轍を踏んでほしくない。

鉄道ジャーナルの関西の鉄道の特集についても、いろいろ紹介したい点があるのだが、別の機会に譲る。













プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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