10月戦役・名古屋の陣

「10月戦役」最終戦は、名古屋大学で東南アジア史の教育に関する合同研究会。報告は早瀬晋三さん(大阪市大)が第一次世界大戦の東南アジアへの影響について、私が学術会議の提言を受けて東南アジア史を高校で教える際のスタンダード(ガイドライン)を作る方法について、それぞれ話した。大学教員のほか、三重県の高校の先生が3人参加してくださった(愛知県の教員にも連絡したのだが、別の会とバッティングしていた)。

早瀬さんは京大人文研の第一次大戦のプロジェクトの一部として出されている概説(レクチャーシリーズ)の1冊として「マンダラ国家から国民国家へ―東南アジア史のなかの第一次世界大戦-」という本を書く予定だそうで、その中身の一部を、土台となる研究や出版の状況とあわせて紹介した。日本では第一次大戦というと「ヨーロッパだけの戦争」というイメージが強いが、そうではない、第二次大戦で争われた世界の構図をめぐる諸問題は、ほとんどが第一次大戦ですでに現れているのだそうだ。

私の方の話題は、青山亨さん(東京外大)を代表に、深見純生さん(桃山学院大)、中村薫先生(芦屋大)ほかと組んでおこなう予定のスタンダード作りに関する問題点である。今年まで続けている「高大連携東南アジア教育科研」の後継企画として、このテーマで科研の申請をちょうどしたところである。

私の報告の論点は歴史教育の仲間には「毎度おなじみ」のものなのだが、
1)高校で教えるべき事項の選定は、基礎レベル(世界史A、歴史基礎?)、中級レベル(世界史Bのセンター入試レベル)、上級レベル(進学校の授業や難関大学の二次試験レベル)のすくなくとも3層に分けてリストアップせねばならない。
2)カタカナや漢字の表記(例:ベトナムかヴェトナムか)、訳語の問題(例:マレー連合州-実際は複数形-という「ほとんど誤訳」である用語)、価値判断の含まれた呼称(例:マレーシアやブルネイの立場を無視して「ボルネオ島」でなく「カリマンタン島」とインドネシアの呼称で呼ぶこと)、「○○朝」「△△△王国」などの政体呼称の複雑さ、等々の、専門家でも意見が分かれることがらがたくさんあり、統一したガイドライン作成は簡単ではない。
3)「できあがったリスト」「それにもとづく教科書」だけ渡されても、高校の先生や入試を出題する専門違いの大学教員は、従来となにが違うかわからず、古い間違いの再生産の一方であたらしい誤解を生み出すようなことがおこりかねない。したがって、専門家によるていねいな解説やQ&Aが不可欠である(単なる「ガイドライン」でなく、ここまで含めた「スタンダード」が必要である)。
4)同じことだが、ガイドラインができたからといってすべての教科書や入試問題がそれに従うとは限らないいっぽうで、予備校や高校教員がそれに疑問をもっても妥当か否かの判定は難しいから、専門家がチェックしてしかるべくコメントを出すことが必要になる。
5)「入試や親、教委の圧力」などの前に、現場の高校教員は思っていても「内容の精選」がなかなかできない。そうした現場に「これだけでいいんです」というモデルを提供そいて支援すること、それに対する現場からのフィードバックが大事であるし、また中学・高校でかつてのように地理や歴史をまんべんなく勉強する体制に戻ることはありえないので、大学の授業での対応モデルの構築(最低限、教養教育と教員養成教育、できれば専門教育や高度教養教育も)が必要である。教養課程用の教科書(概説書とは違う、高校に応用可能なもの)の作成、教授者・学習者に親しみをもたせるための資料集やエピソード集などの編纂も有効であろう。

などである。
これらは歴史教育全般に当てはまる話だが、東南アジア史で着手する意味は大きい。

第一に、昔の「欧米と中国だけ」のような教科書と比べて世界史の教科書が複雑化し、暗記事項が際限なく増えて高校生を苦しめている中でも、東南アジア史は「もっともわけがわからない」分野である。欧米や中国の歴史はそれなりにストーリーがあり、生徒に親しみ深いエピソードなども用意されているのに対し、東南アジアは「受け身の遅れたかわいそうな地域」という固定観念以外に説得的な構図が示されない。

しかも、同様に新しく教科書に盛り込まれ構図がわかりにくいアフリカ、ラテンアメリカ、オセアニアと比べると、東南アジアは教える事項がはるかに多い(山川用語集には300を超える用語が載っている)。東南アジア史の専門家が執筆に加わっている教科書はごく一部なので、中国史やインド史の専門家に書かせて基礎的な間違いをフリーパスにしている教科書も少なくない(それらを単純に数えた「用語集頻度」にもとづく入試の出題事項や教科書記載事項の選定は、受験生に対する犯罪ではないか?)。

したがって、東南アジア史は――センター入試でも最大3問程度しか出ないから現場側が教えることを「パス」する選択肢はかなりあるのだが――上記のような解説をともなったガイドラインを作る強い責務がある。

第二に、こうした歴史学も専門分化・タコツボ化がはなはだしく、学会ごと(地域や領域ごと)のガイドライン作りといっても、西アジアのイスラーム史などは組織的に動けるだろうが、「ヨーロッパ史」「中国史」などの領域で全体を見回して有機的な取り組みを組織できるかどうかは、きわめて疑わしい。そういうところでガイドライン作りを強行すれば、他とのバランスを考えずに自分の専門領域だけについて「あれが足りない、これが足りない」と主張するというこれまでの事態(それが、教科書の事項数を際限なく増やしてきた)をますます悪化させるだけではないか。

東南アジア史も、専門研究の面ではすべての史料原語を読める人間などいないから、全域をひとりで研究することは不可能である。しかし専門家がひどく少ないのと裏腹に、全域の歴史を概説として書いたり教えた経験、概説や事典作成のために討論・協力した経験などは豊富である。これを活かし、自地域の利害だけでなく世界史全体を考えたガイドライン・スタンダードを作成すれば、そのインパクトは大きいと思われる。

ただし第三に、今回の研究会に集まった関係者は、全員50代以上である。もともと専門家が少ない東南アジア史で、若手研究者は「絶滅危惧種」に近い。他方、社会的に必要な仕事は増える一方である。大学全体の不景気に帰すことができない、人文系の怠慢(漫然と「既存のメジャー領域」の教員・学生ばかり再生産してきたこと。それも多くは「狭い範囲しか語れない」タイプの)を今や公然と問題にすべきではないか。


夕食は名大のすぐ前の中華料理屋へ。東北地方の料理とのこと。上段中央の干した豆腐の料理が逸品。
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魚の丸揚げを食べると庄内の楽口福を思い出す。大連出身のおじさんはどうしているだろうか。
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ドラフト会議

マリーンズは1位藤岡、2位中後と大物左腕投手が指名でき最高の結果。
私の気持ちも少しだけ晴れた。
これで菅野がすなおにファイターズに入ってくれれば最高なのだが。

マリーンズの次の課題は打線の強化だろう。チーム本塁打がおかわり中村1人より少ないなんてひどすぎた。
外国人頼みでいいのかな? それと捕手に遊撃手。東洋大から藤岡といっしょに指名した鈴木大地はショートストップで活躍してくれるだろうか。

ソ連崩壊から20年

うかつなことに、今年がソ連崩壊20周年であることに、今日の夕刊を見て気付いた。
留学中のハノイ大学ベトナム語科で「10月革命70周年記念式典」があったのは、ちょうど今ごろの季節ではなかったか。
そろそろ来年度の授業科目の担当などが決まる時期なのだが、去年から「市民のための世界史」で使っている解説「30分でわかる社会主義・共産主義」をもうすこしわかりやすくしなければならない。

今夜のクラシカ・ジャパンはシューベルトの美しき水車屋の娘(昔は「水車小屋」でなく「水車屋」と訳していた)。それにベートーベンの交響曲8番とピアノ協奏曲1番。このごろベーターベンを聞くことも少なくなったが、この秋はウイーンフィル特集とかあって、よく聞く。「水車屋」はフィッシャーディスカウのレコードを母が大好きだったもので、小さいころを思い出す。ベートーベンをさんざん聞いたのは中高生のころだ。なつかしいが、あのころに戻れはしない。

伯父の来日

母の兄で、戦後アメリカに留学してそのままアメリカで就職・定住した化学者がいる。関東大震災の年(1923年)生まれでこの11月に88歳になる。たびたび学会や実家訪問(東京)のために来日しているのだが、今月来日し、昨日、岡山に行く途中の新大阪で会うことができた。

企業に勤めたあと大学教授になり、今でも週に半日は大学に行って研究しているということだが、50歳過ぎてから健康のためにスケート、スキーやなんとバレエも始めずっと続けているという人で、今回も数日前に白浜に行って、バスと歩きで1日名所巡りをしたという(ホテルは予約せずに行き、駅前で交渉して民宿に泊まったとか)実に元気な老人である。戦前の日本人は偉かったというべきか。

今回の来日に会わせて、母が手伝い自伝を自費出版したのだが、これがなかなか面白い。戦前戦後の日本社会(旧制高校まで神戸・堺で暮らし大学は東京帝大)や私の母方の親戚の昔の様子などが興味深いだけでなく、2008~09年に阪大で出した歴史教育の本を読んで刺激を受けたこともあるようで、日本やアメリカの歴史についてたくさん書いている。最近のアメリカでの先住民復権の動きなども詳しい。
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中国(漢民族の一枚岩の国家?)の周辺への侵略膨張を過度に強調する点、西洋の世界侵略をキリスト教文明だけで説明する点など、評価しがたい点もあるが、理系のインテリがここまで書けるのは立派である。

戦前戦後の社会や当時のインテリについて興味のある方には、無料で進呈しますので、ご希望があれば私の大学のメールにでもご連絡ください。momoki[a]let.osaka-u.ac.jpです([a]を@にかえてください)。


西洋中心史観批判のワナ

(前の記事からつづく)
「アンチ巨人は巨人ファンの一種」とよく言ったものだ。しょせん巨人の手のひらの上で踊るだけだからである。
「オリエンタリズム」のサイードも、裏返しの「オクシデンタリズム」ではだめだと警告していた。

東洋史学者である私が以前から再々問題にしているのは、「西洋中心史観の裏返しとしてのアジアの特定地域(たいてい自分が研究する地域)中心主義」である。中国中心主義、中央ユーラシア中心主義、(西アジアの)イスラーム中心主義などいろいろあるが、共通するのは、アジアの他地域とのきちんとした比較なしに自地域をある時期の世界の中心と主張すること、それに東南アジア、アフリカなど中心性をもたない(大文明を形成しなかった)地域を頭から軽視することである。これでは、西洋中心史観に対抗すべき非西洋世界が分裂してしまう。

少し違うのだが、今回のPalat先生の「無条件にインドと中国をアジアの代表として扱い、なぜヨーロッパは資本主義化したのにインド・中国はできなかったかを論じる」という方法も、私にはヨーロッパ中心主義、アジア内での特定地域中心主義の両方を再生産するものに感じられた。Palat先生はヨーロッパ例外主義(ヨーロッパ中心主義)が世界史的普遍性を主張する(アジア特定地域中心主義はそうではない)とコメントしたが、私の意見では、アジア特定地域中心主義の克服は、西洋中心史観に本当に立ち向かうための必要条件である。

こういう問題がおこりがちなのは、さまざまな方法論や地域の研究を統合しなければならないグローバルヒストリーの難しさにもよる。今回の研究会でもそれが露呈するケースがあった。

第一に歴史社会学、経済史、国際政治学、歴史学などの方法論の間のギャップが問題になる。
たとえばリーバーマンは、著書のあらゆる章で「国家単位での政治=文化統合」が主題だと繰り返しているのだが、(なまじ経済のトレンドを組み込んだばかりに?)今回の研究会でも「資本主義化を論じていない」といった批判を浴びた。「近代国民国家の基礎となる中規模の政治=文化統合の成立過程の研究」(それが国民国家史観が前提にしてきたような「内発的・必然的」に成立したものではなく、「違った者になっていた可能性」が常にあったことを明示する)という歴史学者リーバーマンの目的は、あまり理解されていないように思われる。

またウオーラーステイン以後、近代を論じる諸学も近世までを視野に入れるのが当然になったが、その「近代の前提として近世を見る」方法は、中世や近世の変動そのものに意味を見出す歴史学(前近代史)の方法と同じではない。その差はたとえば、いずれにせよヨーロッパとアジアの間での巨大な分水嶺になった18世紀の理解において、システムや構造の変化に注意を集中する諸学と、「それがなぜ18世紀におこったか」に強い関心をもつ歴史学との違いとしてあらわれる。

第二に言うまでもなく、世界各地域の歴史をすべて高いレベルで統合することの困難である。
今回のPalat先生はたとえば、農耕社会から見た遊牧民を軍事的脅威(用心棒にもなりうる)、軍馬の供給者としてのみ扱ったが、リーバーマンがある程度おこなったように、遊牧国家(そこにいるのは遊牧民だけでない。オアシシスの商業ネットワークとの共生は遊牧国家成立に必須の要素である)がもつ広大な多元社会を統治するノウハウを見ないのは古い。
ただし中央ユーラシア史研究者は、Palat先生がそうしたノウハウを遊牧国家のものでなく北アフリカからインドに連なる乾燥地帯(の農耕国家)の財産としている点に注意する必要がある。どこが古いかと言えば大文明や世界帝国は西アジアがいちばん古い以上、中央ユーラシア史においても、そちらとの連続性やそこからの影響を無視するわけにはいかないだろう。別言すれば、Palat先生がモンゴルなどの北の遊牧民(大農耕社会との空間的区別が明瞭)と、北アフリカ~インドの南の遊牧民(農耕社会と入り組んで存在)のありかたを区別していた点は傾聴に値する。

また、近代の側からだけ中国を見る研究者は、中華帝国を漢民族だけのものと見るコンヴェンショナルな通念から抜け出せない場合が多いように思われる。遊牧民やオアシス民との「共有財産」である「大きい中華」と、漢民族が圧倒的中心となる「小さい中華」が交互にあらわれたという中国史の新しい常識は、国際政治学だけでなく経済史にとっても必要なものだと思うのだが。

日本や東南アジアがよく理解されていないグローバルヒストリーの議論は枚挙にいとまない。
Palat先生は稲作を勤勉革命のみに向かう(そして勤勉革命からは資本主義は発生しないとする。他方稲作が「インヴォリューション」に向かう可能性は論じなかった)と説いたが、資本主義の定義も稲作の理解も古い気がした。

最後は毎度同じ結論になってしまうのだが、「各ディシプリン・地域の専門家が学際的に協力する」だけでは、こうした事態の克服は永遠に不可能である。あいだをつなぐ「インターフェイス」や「通訳・翻訳者」の養成が必要である。

西洋中心史観を批判するパターン(2)

(前の記事からつづく)
より理論的なアプローチもよくおこなわれる。
1.上記の5と重なるが、「近代化」の内容・意義をとらえ直すことにより、「進んだヨーロッパ」という常識をひっくり返そうとする方法。
2.また、ヨーロッパ-アジアなどの比較の枠組みの虚偽性を問題にすることもある。

1にはさまざまな反近代主義のほか、「資本主義」を基準にすることを拒否したフランク「リオリエント」なども含まれるだろう。2には観念を扱うサイードだけでなく、「北西ヨーロッパでもイングランドでもなくフランスとロシアの」「政治・文化統合」を比較の題材にしたリーバーマンなども含まれる。

事実レベルにせよ理論的問題にせよ、きちんと考えないと議論にならないのは、「近代」「近代性 Modernity」「近代化」とはなにかということである。近代性とは資本主義のことか(では資本主義とはなにか)、工業化のことか、それとも市民社会か、はたまた国民国家のことか? あるいはどれか単一の要素に還元できない諸要素の複合体か? そして近代化とは「良いこと」「必然的なできごと」と言えるのか?(つづく)
プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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