ベトナムで女性が年齢を聞かれる理由

昨日の昼間は基礎セミナー「ベトナムの歴史と社会」。参考資料に振り回されてうまくまとまらない発表をする学生もいれば、きちんと調べて非常に明晰なプレゼンをする学生もいる。歴史に関連した発表で面白かったのは、インドシナがフランス植民地化した理由のひとつに、タイとベトナムに挟まれて消滅寸前のカンボジアがフランスの保護国になることで国家として生き延びたという(学界では周知の事実ではあるが)理由が挙げられたこと。近年の「帝国研究」の流行の中で、まさにこういう問題が重視されている。つまり「征服する側の膨張」でなく「周辺勢力が泣きつく」という角度から帝国拡大をとらえる方法である。もちろん中心側の膨張を見なくてよいということではないが、周辺側(被征服側)を一方的な受け身の立場に置くのは正しくないのだ。

午後は京都の高校教員の読書会へ。現在は岩波の「東アジア近現代通史」第1巻をテキストにしており、今回はロシアの東進に関する2つの論文をまとめて読んだ(柳澤論文、左近論文)。担当が阪大でロシア史を専攻されたS先生だったこともあり、とても勉強になった。極東まで拡大「してしまった」ロシアの大変さがよくわかる(→ロシア帝国主義を免罪するとかそういう話をしようというのではない。しかし帝国支配体制に無理と矛盾があったということである)。本書にも引かれている左近幸村編『近代東北アジアの誕生――跨境史への試み』(北大出版会、2008年)を読むと、より具体的な話がたくさん出てくる。

読書会のあとの飲み会で、偶然だが昼間の基礎セミナーと同じ話題が出た。それは、「ベトナムでは女性に年齢を尋ねる」という話である。日本女性がムッとするケースがよくある。

飲み会で食べた賀茂ナスの田楽


基礎セミナーで最初にこれを紹介した学生も、京都の高校の先生も、これを儒教の影響(長幼の序を重んじる)と解釈したが、それが主因ではない。冨田健次先生の名著『ベトナム語の基礎知識』(大学書林)の第1課に書いてある通り、ベトナム語にはどんな相手にも使える「I」「You」のような代名詞が存在せず、自分と相手や第3者との年齢関係、親疎の関係、社会的地位の高低などにもとづいて、適切な家族・親族名称を選んで代名詞の代わりに使わなければならない(呼称詞)。たとえば相手(二人称)を呼ぶのにも、anh(お兄さん)、chị(お姉さん)、em(弟・妹)、cháu(孫)、chú(叔父さん)、cô(叔母さん)、bác(伯父さん・伯母さん)などなどいろいろな単語を使い分ける。どの語を使うべきかを判断するもっとも基本的な基準は年齢である。だから元来のベトナム語は、相手の年齢を知らないと話せないのだ(現在は外国人やよそ者向けの、かなり単純化された呼称詞の用法があるが)。他人の名前を「~さん」と呼ぶときもやはり、名前の前に適切な呼称詞を付ける。「Minhさん」は年齢や相手との親疎によって、anh Minh、em Minh、chú Minh、ông Minh(ôngは年配の男性を呼ぶ丁寧な呼称詞)などいろいろに呼ばれ方が変わる。

若い女性に平気で年齢を尋ねるのも、「呼称詞を間違えて相手に失礼な会話をする」ことを避けようという、礼儀正しい態度なのである。
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ロソクタイ?

私の家の方から石橋商店街に入るところ、「赤い橋」の手前に植え込みがあり、四季それぞれの花が植えられている。
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商店街を抜けると、梅田駅寄りの阪急電車の踏み切りのところに最近、毎朝係員が立って歩行者の誘導をしているのだが、「右側のロソクタイをお歩きください」と声を張り上げるのがいかにも冴えない。「ロソクタイ」と聞いてすぐに「路側帯」だとわかる歩行者がどいれだけいると思っているのだろう?

これは外国人にとって、とくに深刻な問題である。「日本語一級」の資格を持っている留学生でも、「ロソクタイ」はわからないだろう。踏み切りぐらいならいいが、大学の事務部でも、病院でも、警察でも、災害情報でも、日本人は(外部向けのできあがったマニュアルを暗記していないかぎり)、外国人や他業種の人間にわからない自分の業界用語、業務用語を平気で使う。日本で看護士になろうという外国人にも、試験でそういう用語を出題して平気である。相手が理解できるかどうかを考える発想も、もっと簡単な言葉に言い換えらるスキルも欠けている。

われらが歴史学の学生諸君にも、他人がわかる言葉でわかる説明をする能力の低い者が多く、そういう学生が桃木先生のゼミに出るとたっぷりしごかれることになる。

マリーンズは今日も負け。打線がひどい。
元マリーンズの剛球投手、伊良部秀輝氏が自殺。ちょっぴりショックだ。

サマン?

今朝ちらっと見たA新聞の記事(名古屋本社版・外信面)。中国東北地区で満洲族の「サマン」という風習について紹介している。しばらく考えてわかった。

シャーマニズムのことである。現代中国語で薩満教(サーマンチャオ)。これをおこなうシャーマン(薩満)はたしかにサーマンだ。中国語はできても文化や歴史の素養のない記者が書いてしまい、本社のデスクも輪をかけて教養がなかったものか?

しかしこういうことはよくある。昔TVで見たパリを舞台にしたアメリカ映画で、日本語の吹き替えが「ラテン・クオーター」としゃべっていてがっかりしたことがある。やっぱりこれは、「カルチエ・ラタン」と呼んでくれなくっちゃ有り難みが出ない。

ベトナム人の英語通訳で、中国の固有名詞が出てきたときに、たとえばペキンをベイジンと発音する人は、最近までほとんどいなかった。あくまでベトナム読みして「バッキン」で平気な顔をしていた。「自国語でも翻訳(通訳)対象言語でもない言葉をわかるように翻訳(通訳)できるかどうかというのは、けっこう根の深い問題である。

LRTのこと(その3)

先週の台風のあとは一挙に梅雨明け、猛暑となるのかと思ったらそうではなく、ひんやりした日があったり、今朝は名古屋の家を出る際に、雷をともなう強い雨に見舞われた。JR中央線のダイヤが乱れ、新幹線に乗るのが遅くなった。地下鉄乗り継ぎで行くんだった。

プロ野球オールスター戦は、近年パが大きく負け越していたのでどうなることかと思っていたが、パの2勝1敗でやれやれ。今年も第1戦はひどかったが、3戦の場所がゴールデンイーグルスの本拠地である仙台だったのが幸いしたか。秋のドラフト会議での指名順のこともあるので、交流戦で大勝したからオールスターは負けてもいい、とはならない。

何度も取り上げる『鉄道ピクトリアル』路面電車特集のなかでも、宇都宮浄人「LRTをめぐる日本の現状と課題」(注付きの立派な論文である)は勉強になる。
・LRTというと日本では低床式など路面電車の新式車両(LRV)だけがイメージされるが、広辞苑の2006年版には「都市の新交通システムの一つ。路面電車の性能を向上させるなどして、他の交通手段との連続性を高めたもの」とある単なる路面電車でなく、「連続性」をキーワードとする、新しいシステムなのだ。筆者は一般の鉄道と比べた具体的な特性として、
-中規模都市、大都市郊外の支線などに適した、バスより大きな中量輸送力
-地下鉄や通常の新交通システムに比べた乗り降りの容易さ(結果として中規模都市なら移動時間も短くなる)
-高頻度とバスに勝る定時性、部分的に地下を走ったり既存の鉄道に乗り入れることも可能な柔軟性
-地下鉄はもちろん既存の新交通システムやモノレールより大幅に安い建設コスト
  -中心市街地・商店街の復活などまちの環境改善
などをあげる。
・日本でもLRT推進の声は行政・住民側合わせれば68もの都市・地域であがっているが、実現したのは富山市だけである。うまくいかない基本的理由は、LRT建設を訴える少数派の市民運動が至る所に見られる一方で、多数派の住民は自家用車の利用を前提として、LRT建設を無駄な公共事業と考え(またLRT建設で既存の道路の車線が減少することも、頭から受け付けない)、これに反対していることである。また「客を奪われるバス会社の反対」も力をもつ。筆者はさらに、日本では公共交通が独立採算性で運営され、「赤字」になってはならない、「赤字」の公共交通はムダであるという認識が根強いことを指摘する。

おまけ(2000年の鉄道ピクトリアルの特集の表紙。このときは遠からずLRTが各地にできるだろうと思ったのだが...)


*桃木注:公共交通が黒字でなければいけないという仕組みは、戦後アメリカが押しつけたものが、日本人の二宮尊徳的価値観と結びついて定着したものであろう。そのアメリカの仕組みは、自動車産業が政治を動かして作り上げたもので、結果として20世紀半ばにアメリカの路面電車はいったん壊滅したが(地下鉄と貨物輸送の一部を除き、鉄道全般が急速に衰退した)、20世紀末以後にはそれはおかしいとなり多くの都市でLRTが建設された、というのが、アメリカ交通史の標準的理解であろう。

・国会では議員立法によるLRT推進法案が2006年に作られ、その後、政府の地域公共交通活性化・再生法案に統合されて2007年に成立、現在ではLRTの建設に公的支援が受けられるほか、軌道事業の上下分離(いわゆる公設民営)も可能になっている。さらに「交通基本法」が今年の国会に上程・審議されている。この法案では交通の権利は採算以前の基本的人権であること、環境負荷の低減などが明記されている。つめり政府はLRTなど公共交通機関の整備を後押しする立場に立っている。
・高齢社会にあったまちづくり全体を議論する中で、公共交通問題を位置づけ、「赤字」「黒字」だけで公共交通を判断してはいけないことを多くの人に理解してもらうことが必要である(大規模災害のあとに短期間で復旧でき、ガソリン供給が絶たれてもみんなが移動が出来るという点でも、中小規模の公共交通機関は重要→宮城県石巻市が震災後に、新しいまちづくりの挑戦として、LRT導入を提示しているそうだ)。欧米でもLRTは当初から支持されていたわけではないが、実際に建設したら公共交通機関全体の利用者が激増してバスや商店街も納得した、などの例が多いので(仏のルマン、ストックホルムなどの例が引かれている)、日本でもいきなり欲張らずに、小さな例から初めて大きく育てていく姿勢が求められる。

宇都宮市の例を引きながら、全国共通の問題として「市民によるLRTへの反対もしくは疑問」「そうした市民の反対や疑問に答えを用意できない自治体」「そして交通という利害関係が輻輳する分野の調整ができないという現実」と述べるあたりは、「いずこも同じ」の感を強くした。「新しい歴史教育への市民や高校現場の疑問」「そうした市民・現場の疑問に答えられない研究・教育の“専門家”」「地域や領域ごとの主張が輻輳する歴史学・歴史教育の調整ができないという現実」... ああ!

この特集号では、宇都宮氏の論文以外でも、このままで日本が世界の趨勢から決定的に後れ、取り返しのつかない事態に陥る(必要な技術開発も含めて)のではないかという危機感があちこちで表明されている。富山市の森雅志市長のインタビューも含め、多くの人に読んでほしい。


留学歓送会

東洋史学専門分野の院生が3人、この秋から留学するので、今夕は石橋で歓送会があった。学生が企画したものだが、私のゼミ生が2人いるので(T君がインドネシアへ、Mさんがベトナムへ)、私も参加させてもらった。
東洋史のOGや日本史、外国語学部などの院生の参加もあり、盛り上がった(一部は今ごろまだ飲んでる?)。


私のゼミ生が留学するたびに、いつも言っていることがある。紹介しておきたい。
・日記を毎日つけること。
・なるべく日本人とは話をしないこと。ストレスがたまってだれかの悪口を言いたい場合には、他の国から来た留学生と(なるべく現地語で)話すこと。
・資料収集や調査研究をあせらずに、まず日常会話を含む言葉の習得と、人間関係作りをすること。
・相手にとってあなたは「日本人代表」であることを心せよ(行動に気を付けろという意味もあるが、研究を志す人間にとってより大事なのは、日本のことを正しく認識し、聞かれたら説明すること←私が日本史の勉強をするよようになった重要なきっかけは留学だった)。

このごろの留学生は、短期間で論文を書かねばならないこともあり、言葉もよくできないうちから文書館に通って資料だけ集めるという話をどこでも聞く。しかしそんなことで論文が他人より早く書けたとしても、就職にはほとんどつながらない。大学・研究機関以外への就職なら当たり前だが、「研究者」としての就職でも、研究対象地域の言語が初級ぐらいは教えられる、その言語(と英語)で論文や学会発表ができる、その地域との学術交流がコーディネートできる、ぐらいのことがなければ、就職は限りなく困難である。これは不景気や超貧困な学術政策のせいとかいう以前の問題である。逆に、そういう能力を身につけ人間関係をつくっておけば、あとから優れた研究はいくらでもできる。

同様に、「研究が出来ない」という理由で、日本より研究環境の劣る国・地域に院生や若手研究者が行きたがらない、という話もいろいろな分野で耳にするが、長期戦略を考えたら賢明ではない。ある時期論文が書けなくても、その間の海外修業の経験が、新しい問題意識の獲得も含め、就職や昇進に有利に働くケースは多い。

大昔の自分の経験を押しつけてはいけないのだが、狭い意味の研究や論文執筆に直結しない部分で、日本を離れて困ったり考え込んだり遊んだりしながら暮らす、そこに留学の大きな意味がある。

今回の3人にも、がんばってほしい。

基礎セミナー

昨日、都合でアップロードできなかった「鉄道ピクトリアル」の表紙。


巻頭のグラビアには「新しい路面電車」「利便性向上と環境への配慮」「導入の続く超低床車」の写真が並び、本文には「LRTをめぐる日本の現状と課題」「都市の拡散から凝集へ-富山ライトレールとまちづくり-」「欧米におけるLRTの動向」「路面電車の公的規制」「鉄軌道直通運転の試み」などの記事が並ぶ。単なる懐古趣味の特集でないことがわかるだろう。

今朝は早起きして大手前病院(天満橋)に行き、毎年恒例の人間ドックを受診。近年、毎年のように1つぐらい「精密検査」の指示がついてくるが、今年はどうなることやら。もっともそれは実際に精密検査するとたいていなんともないので、より大きな現在の問題は脳の老化か。今日も病院から帰る途中や大学に行ってから、いくつかボケをやらかしたり嫌な思いをした。

大学では、数年ぶりに回ってきた教養課程の「基礎セミナー」でやっている「ベトナムの歴史と文化」を昨日から再開。「基礎セミナー」は毎週同じ時間にやらなくてもよいので、今年は4月に2回集まってオリエンテーションをしたあとしばらく休み(その間にベトナム関係のイベントに出るかベトナム人にインタビューして、どちらもレポートを提出することを義務づけた)、夏に数回集まって、4月に決めたテーマの研究発表を1人ずつ順番におこなう、というやりかたにした。登録者は高校生2人を含め14人(近隣の高校生が申し込むと、若干名に限り受講できる)。

初回の昨日は、映画(ベトナムに関する映画/ベトナムで作った映画の両方)、コーヒー(生産やベトナム式の飲み方)について、今日は前近代と現代の中国との関係、とそれぞれ2人ずつ発表した。1回生なのでまだ調べ方が浅かったりパワポの操作に慣れていなかったりといろいろだが、みんな一生懸命やっている。アメリカのベトナム戦争映画は相手のベトナム(人)にほとんど関心がななく、わけのわからない敵と戦っているだけであることなど、鋭い指摘もあった。意外だったのは、かつてあれほど地上波のTVなどでも放映したアメリカのベトナム戦争映画が、現在の日本ではほとんどDVDで売られていないこと。

1990年代のベトナム・ブームの時期と比べて、日本ではベトナム料理屋の質の向上など交流・理解が深まった面もたしかにあるのだが、忘れ去られたこともたくさんあるようだ。そしてすぐれた入門書やHP/ブログはまだまだ少ない。たとえば、再三再四述べてきたが、複雑な外国語の人名・地名等をカタカナで完全に表記することは無理であるから、ベトナム語の細かい表記に目くじら立てても仕方がない。が、それにしても「タモリの中国語(あるいは「餃子の王将の中国語)」なみのデタラメは困る。大手出版社の新書などで、ベトナムの固有名詞をしっちゃかめっちゃかな表記で書いたものが平気で売られているのは、「ベトナムをなめてるんだろう」とツッコミたくなる。

どんどん脱線するが、これまた再三再四述べてきたように、日本ではベトナム語を含むマイナー言語の専門家養成体制はまったく貧弱である。ベトナムに対する学術・技術面での支援なども、日本側の英語での発信が弱いこともあり、日本語の文献をベトナム語訳して読ませたり、日本人専門家の日本語での指導をベトナム語訳して聞かせるケースが多いのだが、翻訳や通訳はベトナム人任せ、という分野が少なくない。だが、それでいいのだろうか。

ベトナム人の日本語力も、急速に上昇したとはいえ、日本語の上手な中国人や韓国人に比べたらまだまだである。
実際、私程度のベトナム語力でも、不正確な翻訳・通訳の例を見つけるのは簡単である。ところが、ベトナム人任せの分野では、正確な翻訳・通訳がおこなわれているかどうかの「品質検査」ができないのだ。

はっきり言おう。こういう国や社会の利益が明白に損なわれる状況が目の前にあるのに、学習者の側はかつてメジャーだった(しかし現在は人が余っている)西洋の言葉にばかり群がる状況が今後も続くなら、「マイナー言語」を優遇するアファーマティブ・アクションでも導入するしかない。



プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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