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2つのエッセイ

知人が書いているベトナム関連のエッセイが2つ。

ひとつはベトナム滞在記
http://viet.vhn.jp/osaka/Pi/index.html

こちらは訪問記
http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/ver2/2011/000219.php

どちらも視点がユニークだし、文章もいい。
私の学生にもベトナムに行ったら必ず日記を書くように言っているのだが、こういう書き手が出てほしい。
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社会ダーウィニズムとポピュリズム

高校の先生や大学生に「これを歴史教育で教えないのはいかん」としょっちゅう話していることば(概念)にこの2つがある。

社会ダーウィニズム
ダーウィンの適者生存の理論を拡大解釈し、優れた人種だけが生き残る、「劣等人種」は滅亡して当然と見なした「理論」。
19世紀ヨーロッパに出現したこの思想を、東アジア各国の近代知識人は素朴かつ真剣に受容し、劣った人種・民族は滅びたり植民地にされて当然、勝った者は優れた者だ、という前提のうえで、自国の近代化を追求した。その歴史的背景として、東アジア各国が「単一の物差しで人の上下を評価する」強固な伝統をもっていたことを重視したい。その延長上に今日までつづく学歴社会がある。また、「勝った者は何をしてもよい」「負けたら何をされても仕方がない」という前提から抜けられないため「アメリカ批判はできずにアジア諸国だけを罵倒する」近年の「反自虐史観の若者たち」の存在がある。社会ダーウィニズムを教えることが必要な領域は、ナチス・ドイツのユダヤ人虐殺だけではないのだ。

ポピュリズム
実現不可能な「カッコイイ」政策や「敵」への過激な非難攻撃など、単純明快だがインチキな大衆迎合路線で国民(有権者)の支持をえようとする政治。民主主義が機能しない「衆愚政治」の一形態。
これを緊急に教えねばならないのは、紀元前アテネの没落やローマ帝国の「パンと見せ物を」、現代のラテンアメリカのことなどを理解するためには限らない。なによりも、現代日本の都市部の政治を理解するために必要なのだ。大阪府でも東京都でも名古屋市でも。

2つ並べたのは、たいていのポピュリズム政治家は、「ヒルズ族」などと同様に、「オレは勝ち組だから偉い」「勝ち組は何をしてもよい」という思想を共有しているからだ。

しかしこういう政治家が格差社会に苦しむ「負け組」から圧倒的支持をえたりするのは、既存の政党政治や教育(二大政党制が万能であるかのような教育などがその例)がうまくいっていないからだ。
たとえば「なんでもかんでも公務員や議員を減らせばいい」という低レベルな主張があたりまえになってしまうのは、「少数派や弱者の尊重」を可能にする仕組みのない民主主義は民主主義ではないという基本中の基本すら、きちんと理解されていないからだ。たいていの面で日本社会の少数派に属し、むき出しの競争社会で生きていける見込みのない私にとって、これは本当に恐ろしいことだ。

しかも5月9日付けで書いたように、日本人は臆病である。とくに異質な者を集団のなかに抱えておくことについて、異常に、恐ろしく、信じられないほど臆病である。これとポピュリズムが結びつくといかに危険か、歴史がはっきり教えている。
同じ考えの人間ばかりいくら集めても「想定外の危機」に対処できないことは福島原発で決定的に明らかになったのに、それなのに、君が代を歌わない教員を処罰するなどということに一生懸命になっている。「懐の深い」組織や国家というのは、異質な者を許容し、しかもそれが全体を崩さないように一定範囲に押さえておく智慧や柔軟性をもったものを言う。「大国」といわれる国家はみんなそうしてきたのに、日本も大国でありたいと熱望している「愛国者」のみなさんに、どうしてこんなことがわからないのだろう。ヘテロジニアスな要素を含まない「純粋培養」や「純血種」は弱い、というのも生物学のイロハじゃなかったかね?

ついでに言えば、こういう教育を受けてきた若者は、「上から与えられる一つだけの正解」をよく覚えるようにはなっても、現実社会で当たり前の「幅のある選択肢から選ばねばならない」「正解がない」などの状況には対応できない。また「他人をけ落とす」ことは上手かもしれないが、「違った論理をもつ他者を深く理解する」「相手と違った主張をしながら相手に尊重される」などは望むべくもない。そんなことでは、「愛国者」のみなさんが気にしている国際競争に勝てるわけがない。つまりこの人たちに本当の愛国心などないのだ。そんな若者を大学に送り込んでおいて、「国際競争に勝てないのは大学のせいだ、予算カット」なんて言われても困るんだけどな。



別府の満腹

火曜日の宇都宮(栃木県の高校地歴・公民科研究会で講演)につづき、土曜日の夕方から科研の研究会出席のため別府の立命館APUへ。APUの藤田加代子さんが代表の、グローバルヒストリーのなかに近世~近代アジアの帝国とネットワークを位置づけようという研究プロジェクトである。行きは飛行機、帰りは列車で、どちらも台風の影響はほぼ受けずにすんだが、山の上(いかにも焼き畑民が住んでいそうな空間)にあるAPUの構内では、強い向かい風で前に歩けないような状況だった。

ホテルの窓から見た別府湾
P1030537北浜のホテルニューツルタ8F食堂から
日曜朝から始まった研究会では、2人の著名なアメリカ人研究者が報告をした。リチャード・フォン・グランさんは道光年間(1820-50)中国からの銀流出と当時の不況との関係についての国際的論争、とくについ最近ロンドンで行われご自身も出席されたパネル(ほかに林満紅、イリゴイン、岸本美緒)の論点整理をおこなった。つぎにデニス・フリンさんが地域間での商品の流れ(貨幣商品も含む)に関する「水のメタファー」(フリン著、秋田茂・西村雄志編「グローバル化と銀」山川出版社、2010年にも紹介されている)の考え方や意義を整理して説明した。2人とも銀のフローとりストックを重視した考え方を展開しており、(私の苦手な英語ではあるが)かなり解りやすかったのだが、近世~近代中国史で昔から言われている「ストックが生きない市場の「底の浅さ」」を問題にする岸本説、それを銅銭による地域市場と銀による遠隔地交易の不統合、通用銭と基準銭と機能分化などの二元的説明に組み替えた黒田(明伸)説などとは論点がじゅうぶんかみ合っていない気がした。コメントで向正樹君が、よって立つ方法論や視角の対照性を指摘したが、「地域研究」には区分されないであろう黒田氏の一般理論なども含めて、日本の「東洋史学」は対象の個性把握に強いのだとあらためて感じた。

夕方研究会が終わると、時間に余裕のあるメンバーは別府北浜のトキハデパートでお土産を買ってから、寿司を食べに行く。デパートから駅へ向かってすぐ、ビリケン食堂の角を北へ折れて少し先の「さかゑ寿司」。
P1030545.jpg
脱サラして修業したという年配の大将と、おかみさんだけの小さな店だが、「大分(別府)ってすばらしい」と感動した。
P1030547.jpg
城下カレイに関アジだけでなく、トロ、イカ、エビ、ウニ、アワビなどなどどれもとびきりの味で、これほどおいしい寿司をまとめて食べたのは、30年ぐらいまえに北海道の長万部に行って以来(人生2回目?)のような気がする。雨降りの肌寒い夜なので、赤霧島のお湯割りがぴったりだった。
P1030552.jpg

おかみさんの話ではバブル崩壊後はやはりめっきり人手が減ったとのことだが、別府にはこれだけの味があり、温泉(公衆浴場)もあちこちにあるのだから、実にもったいない。
P1030553.jpg

帰りは「白いソニック」から小倉で最終の新幹線に乗り継ぐ。やってきたのは九州新幹線全通で走り始めた鹿児島中央発の「みずほ」。普通席もシートが豪華で、あちこちに使われた木の内装も感じがよい。
P1030560小倉で「みずほ」に乗車

夜中、家に着くと小腹が空いたので、お土産に買った「カボスかるかん」を切ってみる。鹿児島のかるかんとちょっと違った味わい。
P1030563.jpg
疲れたが楽しい旅行だった。

連勝

昨日は帰りが遅くて記事が書けなかったが、マリーンズ連勝。成瀬善久が勝ち投手。

まだ7試合ずつの登板だが、杉内俊哉、田中将大、ダルビッシュ有、成瀬善久の4人は1試合当たりの投球回数が8回ないしそれ以上である。「勝利の方程式」もいいが、メジャーリーグとちがって週1回しか投げないなら、「エース」は必ず8回ぐらい投げてほしいものだ。金田や稲尾の時代でなくとも、野茂英雄は1年目に29試合登板して21完投、投球回数235回(1試合あたり8.1回)で287三振を奪っている。

昨日の夜はCSCDのリレー授業「メディア技法と表現リテラシー」担当回で吹田キャンパスへ。隔週6-7限という変則な授業で、終わると9時10分。
今年は、プロ野球の歴史について班ごとに調べて発表させた。30人弱の受講生がおり、初回に予告しておいた(A)球団の盛衰と親会社の変遷、観客動員の推移、(B)野球マンガとアニメ、(C)関西のプロ野球、(D)プロ野球と外国・外国人、(E)科学技術の発達とプロ野球、(F)今後の人気上昇・経営改善への提言、の6班に分けようとしたのだが、意外や(C)の希望者がいなかったので5班編成にした。事前の予習と当日の調べ・班の討論をもとにパワポ発表させたのだが、野球経験者や野球ファンは少なかったにもかかわらず、どの班も中身は思ったよりよくできていた。やっぱりスポーツは歴史教育の題材に使えるということか。

やっと勝った

今日はセの本拠地でやっているにもかかわらずパリーグが5勝1分け。
ダルビッシュに涌井も完封。和田も勝利、馬原復活。
めでたい。

マリーンズも交流戦初勝利。
しかし昨日はマーフィーまでケガ。
荻野はまた膝を手術とか。
このままファイターズとホークスに走られるとまずいな。

朝貢・冊封とは

先週土曜日の歴教研でこれをまとめようと思ったのだが、研究者側が時代によって一様でない面などばかり強調したために、高校教員は「これでは教えられない」と感じたようだ。主催者側の準備不足を反省。

その埋め合わせに、いくつかのポイントを書いておこう。専門家からは文句が出るだろうが、「文句があるならこのレベルのわかりやすい説明を自分でしろ、できないなら文句を言うな」ということである。

1.漢代から朝貢・冊封などの外交の仕組みができ、建前上は清末まで維持される。背景にあるロジック(華夷意識)は、「天子は中華の民を徳・礼・法の3つで治めるが、蕃夷には法は通用しないので、徳と礼のみを及ぼす。蕃夷といえどもそれには感化されるはずだ」。これは純粋な対外関係のイデオロギーではなく、国内統治と影響しあっている(例:「蕃夷の服属」を誇示することによって、国内で皇帝の権威を強める)。また唐代など諸外国に対する統一的な格付けが一定の効力をもったケースがあるが、朝貢・冊封関係は基本的にはそれぞれの国・勢力との一対一の関係であるから、「冊封体制」「朝貢システム」など周辺諸国に一元的に影響するシステムが実在したと理解してよいかどうかは疑問。

2.冊封を受けた国・勢力の義務は一般には、(1)中国の年号と暦を用いる(正朔を奉じる)、(2)定期的に朝貢する、(3)代替わりや新王朝の樹立は届け出て承認を得る、の3つだけ。基本的に内政にチェックがはいることはないので、(1)も中国と接触する場合のみでよい
*中国皇帝に差し出す手紙の無礼な文面を中国側で担当官がうまく直してくれるなど、現場の裁量の影響力も大きい。

3.中国側は建前上、冊封国を保護する義務を負うので、周辺国同士の戦争に対して停戦命令を出すようなことはよくあるが、実際に自分で出兵することはまれである。むしろ、中国側が膨張路線を取る時期に、冊封国が(3)の義務を果たさないことを理由に出兵するケースが目立つ。
*だから冊封国で王位を簒奪した人物は、「前の王朝が賊に滅ぼされ、一生懸命探したが末裔も見つからないので、賊を討った私が国人に推されて仮に政務をとっています。どうか事情ご賢察のうえご承認ください」といった理屈をでっちあげなければならない。

4.朝貢・冊封関係を媒介として貿易がおこなわれることがよくある。朝貢品に対しては通常、より価値の大きい返礼(回賜)が与えられるし、使節団が携帯した商品の貿易を許される、商人団の随行が許されるなどいろいろな恩典が伴うケースが多く、朝貢と無関係な貿易が許された時代でも、「朝貢しておいたほうが有利」ということは少なくなかった。ただ逆に、朝廷が財政難で回賜が少ないとか、中国側のタカリ役人や悪徳商人にひっかかって、外国側が大損するケースもあった(それが続くと朝貢が来なくなる)。
*朝貢・冊封関係イコール貿易の手段という説明は、日本史や東南アジア史でよく見られるが、政治=文化的に自分が周辺である事実を見たくないナショナリストの言説にからめとられている場合が多い。「冊封体制」はなくても、「周辺諸国が影響を受けている」事実はある。

5.中国は朝貢以外の国際関係をすべて否定していたわけではないので(例:西・北の遊牧民との対等やそれ以上の関係)、朝貢によらない外交関係と貿易をすべて否定した明朝前期の体制は異例である。ただし明も含め中華帝国は、朝貢国をすべて冊封しようとしていたわけではない(例:唐は日本の遣唐使が来ても冊封しない。明も足利義持以降の室町将軍を冊封しないままで貿易は認める)。清の場合はより柔軟に、(やってきた使節そのものは朝貢の扱いをするが)多くの国との「互市」を認める。
 *陸の朝鮮やロシアとの国境はもちろん、海でも琉球船が福州に来るから、「清朝が外国貿易を広東一港に限った」事実はない。この教科書記述や入試問題がまかり通ってきたのは、この部分が「中国史でなくイギリス史」になっているからである。

6.清末にも朝貢(冊封)国の内政の「自主」を認めていたが、列強への対抗上、ベトナムや朝鮮では軍事的「保護」路線に傾斜する(近代的な属国関係に接近)。しかしその失敗が中国本土への侵略強化につながったことに懲りて、中華民国(や人民共和国)は、清朝の「藩部」だった地域を守ろうとやっきになる(しかも「自主を許していたのがまずかった」という「反省」をともなって)。
*この部分は岡本隆司氏の一連の著作による(読みやすいのは「岩波講座東アジア近現代通史」第一巻の論文など)

こんなもんでどうでしょうね。
プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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