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花見

4月3日はベトナム人もいっしょに花見
http://nhatvietosaka.jp/log/hanami100328.html
なんだけど、花はちゃんと咲くんだろうか?
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なぜベトナム(史)の研究を?-自己紹介その3

P1020207ランソンの昼食

「なぜベトナム(史)の研究を?」という質問をされた回数は数え切れない。拙著『中世大越国家の成立と変容』(大阪大学出版会、2011年2月)の後書きにも嫌味を書いたが、この質問のウラにあるのは「あなたはとても変人ですね」ということだ。表面上のベトナム観光、料理、あるいは投資のブームにもかかわらず、ベトナムに関する専門知識は、あいかわらず「超マイナー」の域を出ない。

変人であることは、いまさら隠そうと思わない。しかも以下の話を、私の友人や学生はさんざん聞かされているのだが、ブログを新設した機会に、あらためて理由を書いておこう。

1955年生まれの私はベトナム反戦運動に参加したことはないが、「社会」や「世界」に関心をもちはじめる中学・高校時代は、ベトナム戦争の時代だった。なにしろ横浜に住んでいながら首都圏の大学には行かない、野球の応援はパ・リーグなどなど、万事あまのじゃくで多数派・主流派にくみするのが大嫌いな私が、「ベトナムや東南アジアの歴史は、日本にほとんど専門家がいないらしい」などと聞いてしまったものだから、すっかりその気になって、京大に入って東南アジアの歴史を研究しようと決意してしまったのである。日本国民はジャイアンツのV9などという暴虐に苦しんでいる。ベトナム人民はアメリカ帝国主義の侵略に苦しんでいる。両方闘わなければならない。
 *注 もうひとつベトナムを選んだ理由があった。同じ高校に通った私の姉は帰国子女で英語が得意だったのだが、フツーに日本で育った私は英語が大の苦手で、地元の公立中学はともかく、受験名門校であるは高校では成績が悪かった。ある試験でとくにひどい点をとったとき、口の悪い英文法の教師が「君、本当にあの桃木さんの弟?」と尋ねた。純真な(?)少年の心は深く傷つき、同時にアメリカへの憎しみがふつふつとわき上がってきたのだ。「自分をこんなに苦しめるアメリカは、ベトナムで負けるがいい」。大学入試でも英語の点はまったくお粗末だった。10年あまりのちベトナムに留学して、英語もできないような人間は何語を勉強してもしんどい、ということを思い知ることになるとは、そのときには予想できなかった。

「ベトナム戦争から入った」研究者には近現代史や革命史を専攻した方が多かったのだが、もともと日本の戦国時代など前近代史に関心が強かった私は、大学では前近代史か歴史地理が勉強しようと考えていた。実は入学時点では邪馬台国の研究にかなり心ひかれていたのだが、2回生に上がったばかりの1975年4月30日に実現したサイゴン解放、これで私はベトナム史から離れられなくなった(当時は2回生の終わりに専攻を決定する仕組みだった)。その秋には、ジャイアンツが史上初の最下位になった。1975年は、わが人生最良の年だった。

その後も他人のやらないマイナーな研究を貫いていたら(いまや人気の「海域アジア史」も、最初は同様だった)、私よりもっと頭脳優秀な人たちを差し置いて、世間で有名大学といわれる大学の教授にまでなってしまった。しかし、ベトナム(史)を選んでよかったと思うのは、そうした卑俗な理由だけではない。

高校生の頃すでに、ベトナム料理はとてもおいしい、アオザイ女性はすばらしく魅力的だ、などの報道がなされていた。後者は残念ながら「深く研究」するチャンスがなかったが(ジェンダーと権力に関する論文も書いたりして、魅力のカゲにある強さは理解したつもりですが)、食い意地の張った私にとって、たしかにベトナムは食の天国だった。一般の料理やフルーツだけでなく、餅菓子などスイーツがおいしいことは、甘党の私にはこたえられない。この記事をかいているあいだにもヨダレが出そうである。ほかにも音楽や美術、旅行など、ベトナムのユニークさやすばらしさを味わえる分野はたくさんある(残念ながら鉄道はたいしたことがないが)。歴史学(東洋史学)の分野でも、どうしてもっとベトナム史を研究したがる学生が増えないのか、不思議でならない。






自己紹介その2、もしくは鉄男の思い出


勤務先のパンフレットの教員紹介の欄に学生へのメッセージを書くようになっており、以前は「社会性のあるオタクになれ」と書いていた。

子供のころ、家の近くに京急神奈川新町の車庫があった。電車の絵本が大好きで、自分でも絵を描いていた。
そこから飛んで高校時代、尊敬する多才・多趣味な親友Aに、鉄道ピクトリアルや乗りつぶしの旅を教えられた。
そのころは、急速な没落の時期に入ろうとしていた国鉄はイメージが悪く、私鉄ファンだった。

大学に入って京都に暮らし、路面電車が好きになった。旅行も好きだったので休みには全国を旅したが(海外旅行はまだ容易でなかった)、北九州も福岡も、京都も仙台も、つぎつぎと路面電車が廃止されていった。ヨーロッパではすでにLRTが当たり前になりつつあったのだが、日本ではまだ路面電車は郷愁の対象でしかなかった。

自動車が王様、路面電車どころか鉄道そのものが過去のものという論調と世の中の仕組み。組合が(公務員が)悪いから国鉄は大赤字になったのだいう論調と、高速道路には国費を出すが鉄道建設はすべて借金でやらせる政策。私は気づいた。巨人が王様だという論調、子どもたちに巨人しか知らせない仕組みと、同じじゃないか。

こうして院生時代には、「乗り鉄」や時刻表を読む以外に、鉄道趣味誌に乗る各路線や会社の経営状況の記事、それに「都市交通年報」を愛読書するようにになった。あるべき便利なダイヤを考えるという趣味もできた。地方交通の状況を見るために国鉄に乗って全国をめぐった。ベトナム留学直前の1986年9月末に旅客営業をしていた国鉄の路線は全部乗りつぶした。

国鉄は分割民営化で便利になったかもしれない。しかしLRTは富山以外ではちっとも実現しない。首都圏以外の大手私鉄の乗客は、20年前の三分の二とかいう水準に落ち込んでいる。ローカル鉄道に至っては十分の一が当たり前だ。貨物輸送のモーダルシフトもほとんど進まない。そこに、膨大な累積赤字に目をつぶった高速道路無料化などというたわごと。(1)石油が無限、(2)しかも1960年代なみの安さ、(3)日本の人口密度が1桁低く排気ガスや騒音による環境負荷がたいしたもんだいにならない、こうした条件がそろわない限り、21世紀に自動車利用促進策など採ってはいけない。なぜ税金を使うなら鉄道を便利にすることに使わないのか。

かなり長い間、日本の学校の社会科や地理の教科書では、「デトロイトの自動車工場」があこがれの的として紹介されていた。こういう教育を変えねばならない。私の趣味はここでも、社会性を帯びざるをえない。

自己紹介その1、もしくはパ・リーグを応援する精神

かつては推理小説が大好きだった。高校・大学では将棋の同好会・部に入っていた。クラシック音楽は今でも聴く(芸術の素養に欠けた私の唯一の「高尚な」部分である)。しかし現在の私の代表的な趣味といえば、スポーツ観戦、なかでもパ・リーグをあげねばならない。
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小学校1年生でプロ野球に興味をもった。電車も好きだったせいか、関東人にもかかわらずブレーブス・ファンになった。関西の大学を志望した大きな理由は、「阪急電車で西宮球場に行きたい」ということだった。オリックスへの身売りで失望し、イチローの登場でブルーウェーブを熱烈応援したが、彼がメジャーリーグへ行ってからは完全に離れて流浪、近年はマリーンスを応援している。好きな選手は石井茂雄、長池徳二、星野伸之...今は福浦和也に成瀬善久というところか。尊敬する人は西本幸雄。
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ところで、純パの会という組織があり、私も会員である。
残念ながら最近HPの更新が止まっているようだが、会の歴史を書いたページには、宮田親平「七たび生まれ変わっても 我、パリーグを愛す」という名文(珍文?)なども載っている。この会や有力会員が出した本も何冊かある。

若い方はピンとこないかもしれないが、1950年に日本のプロ野球が2リーグに分かれてから最近までの歴史は、民主主義が日本ではいかに根付きにくいかを証明する歴史だった。ひとつの球団だけが圧倒的な人気を誇り、同じリーグの球団はそのおこぼれにあずかれたが、もうひとつのリーグはマスコミから、評論家から、ファンから、公然と無視された。実力が「セ」より一桁低いならしかたがない。そうではないのに、無視された。「フツーの人」はプロ野球ならセだけ見るのが当然とされていた。私の場合も、ベトナム史を専攻していることと同じくらいに、パ・リーグを応援していることで変わり者扱いされた。

そういうなかでパ・リーグのファンになった人々は、そろって野球通(+変人?)だった。シーズン中は自分のひいきチームや選手を応援しても、日本シリーズではそろってパのチームを熱烈に応援する。1988年に最終試合で優勝を逸したバファローズのファンは、優勝したライオンズを応援した。89年に最終1試合前にV逸が決まったブレーブスのファンも、優勝したバファローズを応援した。相手が巨人だろうとその腰巾着のチームだろうと、パの代表を応援する点に変わりはなかった。「背リーグ」の枠組みに安住した「アンチ巨人」などといっしょにしないでほしい。

「女性差別とのたたかい」と言われてもピンと来ない女性が多いかもしれない。だが男女平等はほんとうに実現しただろうか。それと同じことだ。まだ球界は平等ではない。私が職場の「ラボカフェ」の一環として始めた「スポーツカフェ・パシフィック」でお招きした純パの会の吉田由季子代表は、「純パの会は社会運動です」とおっしゃった。その通りだと思う。

日本語をとらえなおす方法

外国語として出会う日本語
日本語を母語としない日本語学習者の疑問や誤りを見ていると、日本語の特徴がわかるという本。
「私の国には、こめかみがたくさんあります」「大通公園でうおのめを食べました。とてもおいしかったです」「今日は本当にネコ暑いですね」「母が怒って、ドアを蹴りました」... なにがどう間違ったかわかりますか?

あとがきの「言語の違いを乗り越えるには、「日本人が外国語を勉強して、上手に話せるようになる」あるいは「外国人が日本語を勉強して、日本人のように話せるようになる」という二つの選択肢しかないのでしょうか。「日本人が日本語を勉強して、日本語を客観的にとらえられるようになる。それによって、外国人のたとえつたない日本語であってもそれを理解したり、自分の日本語をわかりやすく言い換えたりすることができるようになる」という三つめの選択肢も、あっていいのではないかと思います」には我が意を得たりと感じた。大学でも街でも、日本語の下手な外国人に対して、ゆっくりはっきりしゃべろうとする日本人は少なくないが、「外国人にわかる表現とわからない表現」を区別して日本語をしゃべれる人は少ない。外国でも同じで、私のベトナム留学中にも、外国人にわかるベトナム語でしゃべってくれる先生とそうでない先生がいた。前者がどんなにありがたかったことか。日本の役所の窓口なども、こうした技術をもつ日本人を配置するだけで、外国人にあたえる印象はまったくちがったものになるだろう。

もう1冊、工藤真由美・八亀裕美『複数の日本語 方言からはじめる言語学』も勉強になった。標準語だけを基準にすると「おかしい、説明しにくい」としかならない色々な方言が、世界の言語学のなかに置けば「普通の言語現象のパターンのひとつ」ととらえられ、中には「方言の方が世界標準に合っている」ということもあるのだそうだ。恥ずかしながら西日本方言の「~しよる」と「~しとる」の違いがきちんとわかっていなかったことを、この本で知った。

この2冊を読んでいるうちに、われわれが歴史の業界で「一国史」や「国民国家史観」、とりわけ「日本史学界」を批判するのと同じことが言われているのに気づいた。だからこの記事は、カテゴリーを「ベトナム」でなく「歴史」にしておこう。

第50回大阪大学歴史教育研究会のお知らせ

50回続きました。

各位
2011年3月30日

いつもお世話になっております。
大阪大学歴史教育研究会の後藤敦史です。
まずは、震災で被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。

いよいよ2011年度がはじまろうとしております。
2011年度最初の例会を下記の通りご案内申し上げます。
例会では、大橋厚子先生より、強制栽培制度を事例に
植民地支配と歴史教育に関してご報告をいただきます。
また、中村薫先生には、4月23日に開催される
日本学術会議公開シンポジウム「新しい高校地理・歴史教育の創造」
に先立ちまして、先生が調査されたアンケート結果に関連して
ご報告をいただきます。

※日本学術会議公開シンポジウムにつきましては、
日本学術会議のHP
http://www.scj.go.jp/
をご参照ください。

2011年度最初であるとともに、
第50回、という節目の例会でもあります。
皆様お誘い合わせの上、奮ってご参加ください。


第50回大阪大学歴史教育研究会

日時:2011年4月16日(土)13:30~
場所:大阪大学豊中キャンパス文法経本館2階大会議室

報告:
①桃木至朗(大阪大学歴史教育研究会代表)
大阪大学歴史教育研究会2011年度の方針

②大橋厚子(名古屋大学大学院・教授)
「植民地支配に関する教育をめぐる近年の問題-強制栽培制度を事例として-」

参考文献
大橋厚子「強制栽培制度」(池端雪浦編『変わる東南アジア史像』、
山川出版社、1994年、219-239頁)
 同  「オランダ支配下のジャワ」(『歴史と地理:世界史の研究』215号、
2008年、53-56頁)
 同  『世界システムと地域社会-西ジャワの得たもの失ったもの
1700-1830』、京都大学学術出版会、2010年)
※2008年論文については、会場にてコピーをお渡しいたします。

③中村薫(芦屋女子短期大学・教授)
「日本学術会議による地理歴史科の科目改革案について
―高校教員へのアンケート調査より―」

研究会にて皆様とお会いできることを楽しみにしております。

--
後藤敦史
連絡先 go.to.at.sea0510@gmail.com
090-6412-9802
プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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